サッカー界の宝石、井手口陽介。その輝きは中学・高校時代から放たれていた。福岡から大阪への転機、挫折と復活—。天才の素顔と成長の軌跡に迫る。
福岡から大阪へ – 中学進学と環境の変化
井手口陽介選手の中学時代は、サッカー選手としての大きな転機となりました。福岡市出身の井手口選手は、中学進学を機に大阪へ移住し、ガンバ大阪ジュニアユースに加入しました。
この決断の背景には、母親の亜紀子さんの存在がありました。井手口選手が小学5年生の時、次兄が埼玉・江南南サッカー少年団と対戦した試合を見た母親が、そのプレーの質の高さに驚き、「陽介が中学生になるタイミングには福岡を出て、より高いレベルに挑戦させてみたい」と考えたのです。
ガンバ大阪ジュニアユースのセレクションでは、井手口選手の才能が即座に認められました。ガンバ大阪アカデミーのスタッフ全員が満場一致で合格を決定し、最終選考を待たずして早々に合格を告げられたのです。
この環境の変化は、井手口選手にとって大きな挑戦でした。福岡を離れ、大阪で新しい生活を始めることは、13歳の少年にとって決して容易なことではありませんでした。しかし、この決断が後の彼のサッカーキャリアに大きな影響を与えることになります。
追手門学院での学生生活
中学時代:追手門学院中学校での様子
井手口選手の中学時代は、ガンバ大阪ジュニアユースでの活動が中心でした。追手門学院中学校に通いながら、サッカーの練習に励んでいました。この時期の井手口選手について、彼自身は「好きでサッカーやっていた。考えてサッカーしたこともないし、自分の感覚でやっていましたね」と振り返っています。
この言葉からは、サッカーに対する純粋な情熱と、自然体でプレーに取り組む姿勢が伺えます。中学時代から既に頭角を現し、チームの中心選手として活躍していました。
2011年のメニコンカップ クラブユース東西対抗戦では最優秀選手賞を受賞するなど、その才能は周囲からも高く評価されていました。
高校時代:追手門学院高校でのサッカー活動
高校進学後も、井手口選手は追手門学院高校に進学し、ガンバ大阪ユースでの活動を続けました。しかし、この時期は彼にとって決して平坦な道のりではありませんでした。母親の亜紀子さんによると、高校に入ると急に性格が暗くなったといいます。
「寮の門限を守らず、授業にも度々遅刻して、学校での生活態度は荒れていました」と振り返っています。
サッカー面でも困難な時期がありました。ユース日本代表の合宿に呼ばれながらも、ミーティングにノートを持っていかなかったり、練習で気に入らないことがあるとクーラーボックスを蹴飛ばしたりするなど、素行の悪さが目立ちました。そのため、代表メンバーから外されてしまうこともあったそうです。
しかし、高校2年生の時に母親が大病を患ったことをきっかけに、井手口選手は立ち直りました。それ以降は何事にも前向きに取り組むようになり、サッカーへの姿勢も大きく変わっていきました。
ガンバ大阪ユースでの活躍
井手口選手のガンバ大阪ユースでの活躍は目覚ましいものでした。中学2年生の時点で既に飛び級でユースチームの練習に参加し、その年のJユースカップにも出場するなど、早くから頭角を現していました。
ユース時代の井手口選手について、当時のユースチームの梅津博徳監督(現ガンバ大阪ジュニアユース監督)は「心は熱く、頭はクールに」というアドバイスを送っていたそうです。この言葉は、井手口選手のプレースタイルの基礎となり、現在でも意識しなくても自然と表現できるようになっているといいます。
高校2年生の時には、トップチーム2種登録を果たし、プロの世界に一歩近づきました。この早期の昇格は、井手口選手の才能と努力が認められた証でもあります。
学生時代の転機
井手口選手の学生時代における最大の転機は、高校2年生の時に訪れました。母親の大病がきっかけとなり、それまでの荒れた生活態度を改め、サッカーに対する姿勢も大きく変わったのです。
この出来事を境に、井手口選手は何事にも前向きに取り組むようになりました。サッカーへの取り組み方も変わり、より真剣に練習に励むようになったといいます。
この転機は、井手口選手のキャリアにとって非常に重要なものでした。私生活での困難を乗り越え、家族の支えを実感したことで、サッカー選手としての決意を新たにしたのです。
プロへの道
井手口選手のプロへの道は、高校3年生でのトップチーム昇格から始まりました。2014年3月31日、ガンバ大阪のトップチームへの昇格が発表されました。
ガンバ大阪でのユースチーム在籍中のトップチームへの飛び級昇格は、宇佐美貴史以来5人目という快挙でした。この事実は、井手口選手の才能がいかに特別なものであったかを示しています。
プロデビューは2014年4月16日、ナビスコカップの鳥栖戦で果たしました。その後、徐々に出場機会を増やし、チームに欠かせない存在へと成長していきました。
井手口選手の学生時代から学ぶこと
井手口選手の学生時代からは、以下のような教訓を学ぶことができます
- 努力と才能の融合: 井手口選手は生まれ持った才能を持っていましたが、それだけでなく、常に努力を重ねてきました。中学時代から飛び級でユースチームに参加するなど、年上の選手たちと競い合うことで成長を遂げました。
- 環境の変化を活かす姿勢: 中学進学時に福岡から大阪へ移住するという大きな環境の変化を、自身の成長の機会として活かしました。新しい環境に適応し、そこで自身の才能を開花させた姿勢は、多くの若い選手たちの模範となるでしょう。
- 困難を乗り越える力: 高校時代に直面した生活態度の乱れや、サッカーへの姿勢の問題を、家族の支えと自身の決意で乗り越えました。この経験が、後のプロ選手としての精神的な強さにつながっていると考えられます。
- 自分のスタイルを貫く勇気: 「平常心で試合に入れるところが僕の(Play iceの部分)だと思います」という言葉からも分かるように、自分のプレースタイルを確立し、それを貫く勇気を持っていました。
まとめ
井手口陽介選手の学生時代は、サッカー選手としての基礎を築いた重要な時期でした。福岡から大阪への移住、ガンバ大阪ジュニアユースでの活躍、追手門学院での学生生活、そしてプロデビューへと続く道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
しかし、困難を乗り越え、自身の才能を開花させた井手口選手の姿勢は、多くの若い選手たちにとって良い模範となるでしょう。彼の経験は、努力と才能の融合、環境の変化を活かす姿勢、困難を乗り越える力、そして自分のスタイルを貫く勇気の重要性を教えてくれます。
現在、井手口選手はヴィッセル神戸で活躍しており、日本代表としても経験を積んでいます。彼の今後の活躍に、サッカーファンからの期待が高まっています。
井手口選手の輝かしい未来が、彼の学生時代の経験と努力の上に築かれていることは間違いありません。