阪神時代の横田慎太郎!年度別データと成績・守備範囲・名場面エピソード

阪神時代の横田慎太郎!年度別データと成績・守備範囲・名場面 スポーツ

阪神タイガース時代の横田慎太郎さんについて、
「年度別データ」「成績」「守備範囲」「名場面エピソード」をまとめていきます。

※数字や出来事は、NPB公式やニュース記事などをもとに書いています。

  1. 横田慎太郎という選手は、どんな人だったのか?
  2. 阪神時代の年度別成績まとめ
    1. ◆ 2014年〜2015年:まずはファーム中心の下積み時代
    2. ◆ 2016年:唯一の1軍シーズン、開幕スタメンも経験
      1. ① 2016年オープン戦で大ブレイク
      2. ② 開幕スタメンでデビュー!親子2代“開幕戦スタメン”の快挙
      3. ③ 初盗塁・初ヒット・本盗まで記録
      4. ④ しかし…1軍の壁とフォームの迷い
      5. ⑤ シーズン後も期待されていた
  3. 横田慎太郎の守備範囲・守備の評価
    1. ◆ 守備範囲の広さ
    2. ◆ 強肩ぶり
  4. 名場面エピソード①:2016年シーズンの“キラリと光る瞬間”
    1. ◆ 開幕シリーズで見せたフルスイング&足の速さ
    2. ◆ 巨人戦での“本盗”という珍しいプレー
  5. 予期せぬ病との闘いと、引退までの流れ
    1. ◆ 2017年:脳腫瘍が見つかる
    2. ◆ 2019年:現役引退を決断
  6. 名場面エピソード②:2019年・引退試合「奇跡のバックホーム」
    1. ◆ 試合の状況
    2. ◆ それでも通った“完璧な一球”
    3. ◆ 球場全体が湧いた「奇跡」
  7. 引退後の活動と「人として」の評価
  8. なぜ横田慎太郎は、今もこれほど語られるのか?
    1. ◆ ① 伸び盛りで病に倒れた「もしも」の選手
    2. ◆ ② 病気と向き合いながら、最後まで前を向いた姿
    3. ◆ ③ 数字よりも心に残る「守備範囲」と「バックホーム」
  9. まとめ:数字以上のものを見せてくれた、阪神時代の横田慎太郎
    1. ◆ 阪神時代の年度別成績
    2. ◆ 守備範囲・守備の評価
    3. ◆ 名場面エピソード
    4. ◆ それでも語り継がれる理由
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横田慎太郎という選手は、どんな人だったのか?

まずはサクッとプロフィールから。

  • 名前:横田 慎太郎(よこた しんたろう)
  • 生年月日:1995年6月9日
  • 出身:鹿児島県(日置市)
  • 身長/体重:187cm/94kg(大型外野手)
  • ポジション:外野手(主にセンター)
  • 投打:左投げ・左打ち
  • 経歴:鹿児島実業高校 → 2013年ドラフト2位で阪神タイガースに入団

体が大きくて、足も速くて、肩も強い。
いわゆる“走攻守そろった外野手”になることを期待されていた選手でした。

プロ入り後は徐々に頭角を現し、特に2016年の春に一気に名前が知られるようになります。
そして、のちに「奇跡のバックホーム」と呼ばれる引退試合の一球へとつながっていきます。


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阪神時代の年度別成績まとめ

まずは、1軍公式戦での年度別データを整理しておきます。
NPB公式サイトにある成績をもとにしています。

◆ 2014年〜2015年:まずはファーム中心の下積み時代

  • 1軍出場:なし
  • 所属:阪神タイガース
  • 主戦場:ウエスタン・リーグ(2軍)

この頃の横田選手は、2軍で少しずつ試合経験を積んでいました。
2015年にはウエスタンで打率.240台〜.260台、5本塁打、二桁盗塁など、
**「長打も足もある外野手」**として評価を上げていきます。

◆ 2016年:唯一の1軍シーズン、開幕スタメンも経験

NPB公式による1軍成績は次の通りです。

  • 年度:2016年
  • 球団:阪神
  • 試合:38試合
  • 打席:109
  • 打数:105
  • 得点:14
  • 安打:20
  • 二塁打:2
  • 三塁打:0
  • 本塁打:0
  • 打点:4
  • 盗塁:4(盗塁刺 2)
  • 打率:.190
  • 出塁率:.220
  • 長打率:.210

数字だけ見ると「物足りない」と感じるかもしれませんが、
この年、横田選手には大きな出来事がいくつもあります。

① 2016年オープン戦で大ブレイク

  • 金本知憲監督の方針で、オープン戦から「2番・中堅」で積極起用
  • オープン戦の打率は.393で12球団トップクラス(規定打席到達選手の中で最高)

長打も打つし、足も速い。
「将来の4番候補」「トリプルスリーも狙えるのでは」と期待されるほどでした。

② 開幕スタメンでデビュー!親子2代“開幕戦スタメン”の快挙

  • 2016年3月25日・対中日ドラゴンズ開幕戦(京セラドーム大阪)
  • 「2番・センター」で先発出場し、1軍デビュー

実は、父・横田真之さんも、現役時代にロッテで開幕戦スタメン出場の経験があります。
そのため、横田慎太郎選手は、NPB史上5組目の「親子で開幕戦スタメン」という
珍しくて価値ある記録も残しています。

③ 初盗塁・初ヒット・本盗まで記録

  • 開幕戦でプロ初盗塁を成功
  • 翌日の試合で内野安打のプロ初ヒット
  • 4月6日の巨人戦では、三塁走者として重盗で本盗(ホームスチール)に成功
    → 阪神としては2012年以来の本盗でした。

バッティングはまだ粗さもありましたが、
思い切りのよさと、積極的な走塁・守備でファンの心をつかんでいきます。

④ しかし…1軍の壁とフォームの迷い

出塁することを意識しすぎたことなどから、
途中で打撃フォームを崩してしまい、打率は.190まで低下。

  • 5月6日に1軍登録抹消
  • その後は1軍と2軍を行ったり来たり
  • 夏場以降は完全に2軍中心となる

ただ、2軍では4番を任されたり、盗塁を量産したりと、
「課題はあるけれどポテンシャルはすごい」という評価を受け続けていました。

⑤ シーズン後も期待されていた

  • 2016年オフの契約更改では、年俸150万円増の870万円でサイン
  • 球団も「このまま終わる選手ではない」と見ていたことがうかがえます。

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横田慎太郎の守備範囲・守備の評価

横田選手を語るうえで外せないのが、広い守備範囲強肩です。

◆ 守備範囲の広さ

センターというポジションは、外野の要です。
横田選手は、

  • 一歩目のスタートが速い
  • 体の大きさのわりにフットワークが軽い
  • 打球への読みがよく、前後左右に大きく動ける

といった点が評価されていました。

実際、オープン戦や1軍公式戦でも、

  • ランナー二・三塁のピンチで、
    中前に落ちそうな打球をスライディングキャッチ
  • 外野の深い位置からでも、
    きっちり中継にボールを返して走者の進塁を止める

といったプレーが何度もあり、「守備がうまい若手」としても名前が挙がっていました。

◆ 強肩ぶり

引退試合の「バックホーム」の前から、
すでに横田選手は肩の強さでも注目されていました。

  • 三塁コーチが「これはタッチアップ余裕だろう」と思うようなフライでも、
    余裕を持ってアウトにしてしまうシーン
  • ライト方向へのヒットでも、三塁を狙うランナーを刺すプレー

など、「走ってきたランナーが『やばい!』と思うような送球」が持ち味でした。


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名場面エピソード①:2016年シーズンの“キラリと光る瞬間”

2016年は、数字だけ見れば物足りないかもしれませんが、
ファンの記憶に残るプレーがいくつもあった年です。

◆ 開幕シリーズで見せたフルスイング&足の速さ

  • 中日との開幕カードで、
    安打こそ多くはありませんでしたが、
    全打席フルスイングのアグレッシブな姿勢。
  • 四球でも出ればすぐにスタートを切るような俊足ぶり。

「打てなくても、何とかしてチームに貢献したい」という気持ちが
プレーから伝わってくる選手でした。

◆ 巨人戦での“本盗”という珍しいプレー

前で触れたとおり、

  • 2016年4月6日 巨人戦(東京ドーム)
  • 三塁ランナーの横田選手が、
    一塁ランナーとの重盗でホームへ突っ込む
  • 阪神の一軍戦としては2012年以来の“本盗”を成功させる

普通、ホームスチールはリスクの高いプレーです。
それを決めたということは、

  • 走塁への自信
  • 度胸
  • ベンチとの信頼関係

がそろっていた証拠でもあります。


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予期せぬ病との闘いと、引退までの流れ

◆ 2017年:脳腫瘍が見つかる

将来を期待されていた矢先、
2017年に脳腫瘍が見つかり、長期の闘病生活へと入ります。

手術・リハビリを経て、
なんとか野球ができる状態に戻ろうと努力するものの、
視野の障害などもあり、外野守備を続けるのは簡単ではありませんでした。

◆ 2019年:現役引退を決断

最終的に、横田選手は2019年限りで現役引退を決断します。

しかし、阪神は彼のために、
ファームの引退試合という特別な舞台を用意しました。

そして、ここで生まれたのが、
後に「奇跡のバックホーム」と呼ばれる伝説の一球です。


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名場面エピソード②:2019年・引退試合「奇跡のバックホーム」

◆ 試合の状況

  • 日付:2019年9月26日
  • カード:阪神タイガース(ファーム) vs ソフトバンク
  • 球場:ほっともっとフィールド神戸
  • 横田選手:守備から途中出場(外野)

試合の最終盤、
センターに打球が飛び、
ランナーは三塁からホームに突っ込んできます。

普通なら、

  • 送球が少しそれればセーフ
  • 外野手が一歩出遅れてもセーフ

というタイミングの打球でした。

◆ それでも通った“完璧な一球”

しかし横田選手は、

  • 打球の落ちる位置をしっかり読み
  • 前へ出ながらキャッチし
  • 一切のためらいなく、本塁へワンバウンド送球

結果は見事なクロスプレーでタッチアウト
まさに「魂のバックホーム」という言葉がふさわしいプレーでした。

映像を見た人ならわかるのですが、
送球の方向・強さ・バウンドの高さ、
どれを取ってもプロの外野手として一級品のボールでした。

◆ 球場全体が湧いた「奇跡」

この一球には、いくつもの意味が重なっています。

  • 視野障害と闘いながら、何度も転倒しつつ守備練習をしていた日々
  • 「もう前と同じようには守れないかもしれない」という不安
  • それでもユニフォームを着てグラウンドに戻ってきた覚悟

そうしたものが、すべて“バックホームの一球”に込められていたと
多くの関係者が語っています。

アウトになった瞬間、
ベンチもスタンドも、
涙と拍手でいっぱいになったと言われています。


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引退後の活動と「人として」の評価

横田慎太郎さんは、引退後も

  • 講演活動
  • 学校での「夢授業」
  • 若い世代へのメッセージ発信

などを通じて、自分の経験を人に伝える仕事をしていました。

児童自立支援施設の子どもたちに向けて、

  • 病気と向き合ったこと
  • 夢をあきらめそうになったこと
  • それでも前を向こうとしたこと

を語り、「力になりたい」と言っていたのが印象的です。

2023年には、病気の再々発により28歳の若さで亡くなりますが、
その生き方と姿勢は、今も多くの人の胸に残り続けています。


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なぜ横田慎太郎は、今もこれほど語られるのか?

阪神時代の1軍成績だけを見ると、

  • 通算38試合
  • 打率.190
  • 本塁打0本

いわゆる「スター選手」と呼ばれるような数字ではありません。

それでも、横田慎太郎さんの名前が
今も多くの阪神ファン、野球ファンに語られる理由は、
数字では測れない“ストーリー”があるからです。

◆ ① 伸び盛りで病に倒れた「もしも」の選手

  • オープン戦首位打者クラスの成績
  • 将来の中軸候補とまで言われたポテンシャル

だからこそ、
「もし病気になっていなかったら」
「もしあのまま成長していたら」
という“もしも”を多くの人が考えてしまいます。

◆ ② 病気と向き合いながら、最後まで前を向いた姿

脳腫瘍という大きな病と闘いながらも、

  • リハビリを続けて再びグラウンドへ戻る
  • 引退試合であれだけのプレーを見せる
  • 引退後も、子どもたちに向けて夢を語り続ける

この生き方そのものが、
「プロ野球選手」以上に大きな意味を持つ物語になっています。

◆ ③ 数字よりも心に残る「守備範囲」と「バックホーム」

横田選手の守備範囲は、
単に「外野を広く守れた」という意味だけではありません。

  • 病気で視野が狭くなっても、前へ前へと歩き続ける
  • 自分の守れる範囲で最大限のプレーをする
  • 最後の一球まで全力で投げる

その姿は、
「人生の守備範囲」の広さを感じさせてくれます。


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まとめ:数字以上のものを見せてくれた、阪神時代の横田慎太郎

最後に、内容をギュッとまとめます。

◆ 阪神時代の年度別成績

  • 1軍出場は2016年の38試合のみ
  • 打率.190、本塁打0本、打点4、盗塁4
  • しかし、オープン戦では打率.393で12球団トップクラスの成績を残し、
    将来の中軸候補として大きな期待を受けていた。

◆ 守備範囲・守備の評価

  • 187cmの大型外野手ながら、足が速く、守備範囲が広い
  • 打球判断や強肩も高評価で、「センターを任せたい選手」として期待された
  • 引退試合のバックホームは、その守備力の象徴的なシーン

◆ 名場面エピソード

  1. 2016年開幕シリーズ
    • 開幕戦スタメンで1軍デビュー
    • “親子2代開幕戦スタメン”というNPB史上5組目の記録
    • 初盗塁・初ヒット・本盗も記録
  2. 2019年ファーム引退試合「奇跡のバックホーム」
    • 病気と闘った末のラストゲーム
    • センターからの完璧なバックホームで走者を刺し、
      球場全体が涙と拍手に包まれる

◆ それでも語り継がれる理由

  • 病気で夢を絶たれながらも、最後まで前を向いて生きたこと
  • 数字以上に、ファンの心に残るプレーとストーリーを残したこと
  • 引退後も講演や夢授業を通じて、
    子どもたちに「夢をあきらめない大切さ」を伝えていたこと
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