阪神タイガース時代の横田慎太郎さんについて、
「年度別データ」「成績」「守備範囲」「名場面エピソード」をまとめていきます。
※数字や出来事は、NPB公式やニュース記事などをもとに書いています。
横田慎太郎という選手は、どんな人だったのか?
まずはサクッとプロフィールから。
- 名前:横田 慎太郎(よこた しんたろう)
- 生年月日:1995年6月9日
- 出身:鹿児島県(日置市)
- 身長/体重:187cm/94kg(大型外野手)
- ポジション:外野手(主にセンター)
- 投打:左投げ・左打ち
- 経歴:鹿児島実業高校 → 2013年ドラフト2位で阪神タイガースに入団
体が大きくて、足も速くて、肩も強い。
いわゆる“走攻守そろった外野手”になることを期待されていた選手でした。
プロ入り後は徐々に頭角を現し、特に2016年の春に一気に名前が知られるようになります。
そして、のちに「奇跡のバックホーム」と呼ばれる引退試合の一球へとつながっていきます。
阪神時代の年度別成績まとめ
まずは、1軍公式戦での年度別データを整理しておきます。
NPB公式サイトにある成績をもとにしています。
◆ 2014年〜2015年:まずはファーム中心の下積み時代
- 1軍出場:なし
- 所属:阪神タイガース
- 主戦場:ウエスタン・リーグ(2軍)
この頃の横田選手は、2軍で少しずつ試合経験を積んでいました。
2015年にはウエスタンで打率.240台〜.260台、5本塁打、二桁盗塁など、
**「長打も足もある外野手」**として評価を上げていきます。
◆ 2016年:唯一の1軍シーズン、開幕スタメンも経験
NPB公式による1軍成績は次の通りです。
数字だけ見ると「物足りない」と感じるかもしれませんが、
この年、横田選手には大きな出来事がいくつもあります。
① 2016年オープン戦で大ブレイク
- 金本知憲監督の方針で、オープン戦から「2番・中堅」で積極起用
- オープン戦の打率は.393で12球団トップクラス(規定打席到達選手の中で最高)
長打も打つし、足も速い。
「将来の4番候補」「トリプルスリーも狙えるのでは」と期待されるほどでした。
② 開幕スタメンでデビュー!親子2代“開幕戦スタメン”の快挙
- 2016年3月25日・対中日ドラゴンズ開幕戦(京セラドーム大阪)
- 「2番・センター」で先発出場し、1軍デビュー
実は、父・横田真之さんも、現役時代にロッテで開幕戦スタメン出場の経験があります。
そのため、横田慎太郎選手は、NPB史上5組目の「親子で開幕戦スタメン」という
珍しくて価値ある記録も残しています。
③ 初盗塁・初ヒット・本盗まで記録
- 開幕戦でプロ初盗塁を成功
- 翌日の試合で内野安打のプロ初ヒット
- 4月6日の巨人戦では、三塁走者として重盗で本盗(ホームスチール)に成功
→ 阪神としては2012年以来の本盗でした。
バッティングはまだ粗さもありましたが、
思い切りのよさと、積極的な走塁・守備でファンの心をつかんでいきます。
④ しかし…1軍の壁とフォームの迷い
出塁することを意識しすぎたことなどから、
途中で打撃フォームを崩してしまい、打率は.190まで低下。
- 5月6日に1軍登録抹消
- その後は1軍と2軍を行ったり来たり
- 夏場以降は完全に2軍中心となる
ただ、2軍では4番を任されたり、盗塁を量産したりと、
「課題はあるけれどポテンシャルはすごい」という評価を受け続けていました。
⑤ シーズン後も期待されていた
- 2016年オフの契約更改では、年俸150万円増の870万円でサイン
- 球団も「このまま終わる選手ではない」と見ていたことがうかがえます。
横田慎太郎の守備範囲・守備の評価
横田選手を語るうえで外せないのが、広い守備範囲と強肩です。
◆ 守備範囲の広さ
センターというポジションは、外野の要です。
横田選手は、
- 一歩目のスタートが速い
- 体の大きさのわりにフットワークが軽い
- 打球への読みがよく、前後左右に大きく動ける
といった点が評価されていました。
実際、オープン戦や1軍公式戦でも、
- ランナー二・三塁のピンチで、
中前に落ちそうな打球をスライディングキャッチ - 外野の深い位置からでも、
きっちり中継にボールを返して走者の進塁を止める
といったプレーが何度もあり、「守備がうまい若手」としても名前が挙がっていました。
◆ 強肩ぶり
引退試合の「バックホーム」の前から、
すでに横田選手は肩の強さでも注目されていました。
- 三塁コーチが「これはタッチアップ余裕だろう」と思うようなフライでも、
余裕を持ってアウトにしてしまうシーン - ライト方向へのヒットでも、三塁を狙うランナーを刺すプレー
など、「走ってきたランナーが『やばい!』と思うような送球」が持ち味でした。
名場面エピソード①:2016年シーズンの“キラリと光る瞬間”
2016年は、数字だけ見れば物足りないかもしれませんが、
ファンの記憶に残るプレーがいくつもあった年です。
◆ 開幕シリーズで見せたフルスイング&足の速さ
- 中日との開幕カードで、
安打こそ多くはありませんでしたが、
全打席フルスイングのアグレッシブな姿勢。 - 四球でも出ればすぐにスタートを切るような俊足ぶり。
「打てなくても、何とかしてチームに貢献したい」という気持ちが
プレーから伝わってくる選手でした。
◆ 巨人戦での“本盗”という珍しいプレー
前で触れたとおり、
- 2016年4月6日 巨人戦(東京ドーム)
- 三塁ランナーの横田選手が、
一塁ランナーとの重盗でホームへ突っ込む - 阪神の一軍戦としては2012年以来の“本盗”を成功させる
普通、ホームスチールはリスクの高いプレーです。
それを決めたということは、
- 走塁への自信
- 度胸
- ベンチとの信頼関係
がそろっていた証拠でもあります。
予期せぬ病との闘いと、引退までの流れ
◆ 2017年:脳腫瘍が見つかる
将来を期待されていた矢先、
2017年に脳腫瘍が見つかり、長期の闘病生活へと入ります。
手術・リハビリを経て、
なんとか野球ができる状態に戻ろうと努力するものの、
視野の障害などもあり、外野守備を続けるのは簡単ではありませんでした。
◆ 2019年:現役引退を決断
最終的に、横田選手は2019年限りで現役引退を決断します。
しかし、阪神は彼のために、
ファームの引退試合という特別な舞台を用意しました。
そして、ここで生まれたのが、
後に「奇跡のバックホーム」と呼ばれる伝説の一球です。
名場面エピソード②:2019年・引退試合「奇跡のバックホーム」
◆ 試合の状況
- 日付:2019年9月26日
- カード:阪神タイガース(ファーム) vs ソフトバンク
- 球場:ほっともっとフィールド神戸
- 横田選手:守備から途中出場(外野)
試合の最終盤、
センターに打球が飛び、
ランナーは三塁からホームに突っ込んできます。
普通なら、
- 送球が少しそれればセーフ
- 外野手が一歩出遅れてもセーフ
というタイミングの打球でした。
◆ それでも通った“完璧な一球”
しかし横田選手は、
- 打球の落ちる位置をしっかり読み
- 前へ出ながらキャッチし
- 一切のためらいなく、本塁へワンバウンド送球
結果は見事なクロスプレーでタッチアウト。
まさに「魂のバックホーム」という言葉がふさわしいプレーでした。
映像を見た人ならわかるのですが、
送球の方向・強さ・バウンドの高さ、
どれを取ってもプロの外野手として一級品のボールでした。
◆ 球場全体が湧いた「奇跡」
この一球には、いくつもの意味が重なっています。
- 視野障害と闘いながら、何度も転倒しつつ守備練習をしていた日々
- 「もう前と同じようには守れないかもしれない」という不安
- それでもユニフォームを着てグラウンドに戻ってきた覚悟
そうしたものが、すべて“バックホームの一球”に込められていたと
多くの関係者が語っています。
アウトになった瞬間、
ベンチもスタンドも、
涙と拍手でいっぱいになったと言われています。
引退後の活動と「人として」の評価
横田慎太郎さんは、引退後も
- 講演活動
- 学校での「夢授業」
- 若い世代へのメッセージ発信
などを通じて、自分の経験を人に伝える仕事をしていました。
児童自立支援施設の子どもたちに向けて、
- 病気と向き合ったこと
- 夢をあきらめそうになったこと
- それでも前を向こうとしたこと
を語り、「力になりたい」と言っていたのが印象的です。
2023年には、病気の再々発により28歳の若さで亡くなりますが、
その生き方と姿勢は、今も多くの人の胸に残り続けています。
なぜ横田慎太郎は、今もこれほど語られるのか?
阪神時代の1軍成績だけを見ると、
- 通算38試合
- 打率.190
- 本塁打0本
いわゆる「スター選手」と呼ばれるような数字ではありません。
それでも、横田慎太郎さんの名前が
今も多くの阪神ファン、野球ファンに語られる理由は、
数字では測れない“ストーリー”があるからです。
◆ ① 伸び盛りで病に倒れた「もしも」の選手
- オープン戦首位打者クラスの成績
- 将来の中軸候補とまで言われたポテンシャル
だからこそ、
「もし病気になっていなかったら」
「もしあのまま成長していたら」
という“もしも”を多くの人が考えてしまいます。
◆ ② 病気と向き合いながら、最後まで前を向いた姿
脳腫瘍という大きな病と闘いながらも、
- リハビリを続けて再びグラウンドへ戻る
- 引退試合であれだけのプレーを見せる
- 引退後も、子どもたちに向けて夢を語り続ける
この生き方そのものが、
「プロ野球選手」以上に大きな意味を持つ物語になっています。
◆ ③ 数字よりも心に残る「守備範囲」と「バックホーム」
横田選手の守備範囲は、
単に「外野を広く守れた」という意味だけではありません。
- 病気で視野が狭くなっても、前へ前へと歩き続ける
- 自分の守れる範囲で最大限のプレーをする
- 最後の一球まで全力で投げる
その姿は、
「人生の守備範囲」の広さを感じさせてくれます。
まとめ:数字以上のものを見せてくれた、阪神時代の横田慎太郎
最後に、内容をギュッとまとめます。
◆ 阪神時代の年度別成績
- 1軍出場は2016年の38試合のみ
- 打率.190、本塁打0本、打点4、盗塁4
- しかし、オープン戦では打率.393で12球団トップクラスの成績を残し、
将来の中軸候補として大きな期待を受けていた。
◆ 守備範囲・守備の評価
- 187cmの大型外野手ながら、足が速く、守備範囲が広い
- 打球判断や強肩も高評価で、「センターを任せたい選手」として期待された
- 引退試合のバックホームは、その守備力の象徴的なシーン
◆ 名場面エピソード
- 2016年開幕シリーズ
- 開幕戦スタメンで1軍デビュー
- “親子2代開幕戦スタメン”というNPB史上5組目の記録
- 初盗塁・初ヒット・本盗も記録
- 2019年ファーム引退試合「奇跡のバックホーム」
- 病気と闘った末のラストゲーム
- センターからの完璧なバックホームで走者を刺し、
球場全体が涙と拍手に包まれる
◆ それでも語り継がれる理由
- 病気で夢を絶たれながらも、最後まで前を向いて生きたこと
- 数字以上に、ファンの心に残るプレーとストーリーを残したこと
- 引退後も講演や夢授業を通じて、
子どもたちに「夢をあきらめない大切さ」を伝えていたこと


