日本テレビのアナウンサー・菅谷大介(すがや だいすけ)さんが、2025年11月8日に53歳で亡くなりました。死因は「消化管からの出血」。2022年にすい臓がんを公表し、闘病しながらアナウンサーと管理職の仕事を続けてきた矢先の、あまりにも突然の訃報でした。
ニュースやSNSには、「やさしい声が好きでした」「一番好きなアナウンサーでした」という言葉があふれています。
せっかくなら、悲しいニュースだけでなく、「どんな経歴の人だったのか」「どんな番組で私たちに声を届けてくれていたのか」「どんな言葉を残したのか」を、ゆっくり振り返ってみたいところです。
この記事では、
- 菅谷大介アナの経歴(学生時代~日テレ入社、すい臓がん公表まで)
- 出演していた主な番組
- 人柄がわかるエピソード
- 代表的な「名フレーズ」
をまとめていきます。「そうそう、あの番組で見てたなぁ」と思い出しながら、静かに読み進めてもらえたらうれしいです。
菅谷大介アナのプロフィールと経歴
千葉県佐倉市生まれの「生徒会長」
菅谷大介さんは、1971年11月19日生まれ。千葉県佐倉市の出身です。
中学は佐倉市立臼井中学校。ここで生徒会長もつとめていました。クラスメイトからの信頼が厚く、人前に立つことにも慣れていたようです。
高校は千葉県立千葉東高校。大学は千葉大学法経学部、さらに国際基督教大学(ICU)の大学院で国際関係論を学びました。
勉強も本気、部活や趣味も本気。あとで詳しく触れますが、アメリカンフットボールやゴルフ、演劇などにも夢中になったそうです。
1997年、日本テレビに入社
大学院を出たあと、1997年に日本テレビにアナウンサーとして入社します。同期には馬場典子さんや蛯原哲さんなどがいます。
入社した当初、本人は「報道志望」で、政治や社会ニュースを中心に伝えたいと思っていたそうです。ところが、会社からの指示で、いきなり「全日本プロレス中継」の実況を担当することになります。
プロレスはほとんど見たことがなかったため、本や映像を見て、技の名前や選手の特徴を必死に勉強。現場で試合を目の前にしたとき、「すごい」と心から感動し、プロレスの魅力にハマっていったといいます。
「自分の得意分野」ではなくても、任された仕事に全力で取り組む。ここに、後から出てくる「真面目で責任感が強い菅谷アナ」の姿がよく表れています。
報道からバラエティ、スポーツまで「何でもこなす」アナに
日本テレビに入ってからの菅谷アナは、とにかく担当番組が幅広いのが特徴でした。
報道・情報番組では、
- NNNニュースダッシュ(サブキャスター、のちに日曜メインキャスター)
- NNNきょうの出来事(平日サブキャスター)
- NNN Newsリアルタイム
- news every.サタデー(2010年~2018年、メインキャスター)
- NNNニュースサンデー
- NEWS ZERO の代理キャスター など
情報・ワイドショー系では、
- スッキリ!!(コーナー担当&ニュースキャスター、加藤浩次さんの代理MCも)
- PON!
- バゲット(火曜レギュラー)
- ヒルナンデス!(ニュースコーナーの代理出演)
- 朝の情報番組 ZIP! の金曜解説キャスター(2023年4月から2025年3月まで)
バラエティ番組でも、
- TVおじゃマンボウ
- スーパージョッキー(「大ちゃん」として体当たり企画を担当)
- 中井正広のブラックバラエティ
- AKBINGO! / NOGIBINGO! のコーナー進行、実況 など
さらにスポーツ・中継では、
- プロレス(全日本プロレス、プロレスリング・ノア)
- NFL中継「NFL on 日テレG+」「オードリーのNFL倶楽部」
- オリンピック(平昌五輪スピードスケート女子パシュート、カーリングなどの実況)
と、ジャンルを問わず活躍していました。
代表的な出演番組を振り返る
ここからは、視聴者の記憶に残りやすい番組をいくつかピックアップして、「どんな菅谷アナが見られたのか」を振り返ります。
1. news every.サタデー:土曜の顔として
2010年4月から2018年9月まで、土曜夕方のニュース番組 「news every.サタデー」 のメインキャスターをつとめていました。
ニュースを読み上げるときの声は落ち着いていて、聞き取りやすく、表情もどちらかというと「穏やか」。緊急ニュースや事故のニュースのときも、感情をあおりすぎず、冷静に事実を伝えるスタイルでした。
一方で、明るい話題や特集では、やさしい笑顔と少し柔らかいトーンで話すことも多く、「土曜の夕方にぴったりのニュースキャスター」という印象を持っていた人も多いのではないでしょうか。
2. ZIP!:金曜の解説キャスターとして再び朝の顔に
2023年からは、朝の情報番組 「ZIP!」 の金曜解説キャスターに就任。ニュースの背景をていねいに説明したり、スポーツや社会の話題を少しくだけた雰囲気で伝えたりと、「ニュースの頼れる先生」のようなポジションで出演していました。
すい臓がんの闘病を公表したあとも、体調を見ながら出演を続けていたことを思うと、その画面の向こう側には相当な努力と覚悟があったことがわかります。
3. スーパージョッキー:体を張る「大ちゃん」
若いころには、伝説のバラエティ番組 「スーパージョッキー」 にも出演していました。ここでは、視聴者が恐れおののいた「熱湯コマーシャル」に自ら入浴したり、プロレスラーにビンタされるような、体を張った企画もこなしていたそうです。
ニュースを読むクールな姿しか知らない世代からすると、「えっ、そんなことまでやってたの?」と驚くエピソードです。
真面目な報道アナの顔と、バラエティで体を張る顔。そのギャップも、菅谷アナの魅力のひとつでした。
4. オリンピック中継:平昌五輪・女子パシュートの実況
2018年平昌オリンピックでは、スピードスケート女子団体パシュート決勝の実況を担当。日本が金メダルをとった、歴史的なレースです。
ゴールの瞬間に、菅谷アナは
「この瞬間は永遠だ!」
と叫びました。
このフレーズは話題になり、「名実況だ」という声もあれば、「狙いすぎでは?」といった批判もあり、賛否両論でした。ですが、それだけ多くの人の心に残った一言だった、ということでもあります。
人柄が伝わるエピソード
趣味は「アメフト・ゴルフ・演劇」
日本テレビの公式プロフィールによると、趣味はアメリカンフットボール、ゴルフ、演劇。どれも「最初は仕事で関わった」のがきっかけで、その後どんどんのめり込んでいったそうです。
最初はよく知らない世界でも、ちゃんと勉強して、実際に体験して、その魅力を知る。
これはアナウンサーの仕事にも通じる姿勢だと思います。
- プロレス実況 → 事前に徹底的に本や資料で勉強
- NFL中継 → 難しいルールを視聴者にも伝わるようかみくだく
- 舞台や演劇 → 取材を通じて自分もファンになる
「伝えるために、まず自分が楽しむ」「知らないものを、好きになるまで学ぶ」。
こうした姿勢は、画面を通しても伝わっていました。
現場での「やさしさ」の証言
すい臓がんでの闘病公表後、インスタグラムやニュース記事には、共演者やスタッフからの「菅谷さんは本当にやさしい方でした」という声がいくつも寄せられています。
ものまねタレントのJPさんは、菅谷アナの訃報に、「ロケでとてもやさしく接していただきました」とコメントしていました。
また、がん闘病の番組では、奥様の支えや、周囲のスタッフへの感謝を何度も口にしていたと報じられています。
- 自分だけの闘病ではなく、「家族と一緒に乗り越えようとしていること」
- 同じ病気の人たちに、すこしでも希望を届けようとしていたこと
これらからも、「周りの人を大切にする人柄」がよく伝わってきます。
すい臓がん公表と「がんを知る」発信者としての顔
2022年、すい臓がんを公表
菅谷アナは、2022年1月にすい臓がんと診断され、抗がん剤治療を続けたあと、4月に腹腔鏡手術を受けました。
その年の8月、「実は、すい臓がんでした」と自ら公表。
このために、インスタグラムのアカウントも新しく立ち上げています。
インスタでは、
- がんがどうやって見つかったのか
- 手術や抗がん剤治療のつらさ
- それでも仕事に復帰できたことへの感謝
- 同じ病気の人や家族へのメッセージ
などを、自分の言葉でていねいに書いていました。
「私の経験が、誰かの役に立てば」
菅谷アナは、公表の理由として「自分が経験したことを伝えることで、誰かの役に立ちたい」と語っています。
これは簡単な決断ではありません。
すい臓がんは「発見が難しく、進行が早い」とされる、重い病気です。
それを公表することは、
- 「かわいそう」と見られる不安
- 仕事への影響
- 家族への配慮
など、いろいろな葛藤があったはずです。
それでもあえて、闘病の体験を語る道を選んだのは、
同じ病気で苦しむ人たちに、少しでも情報と希望を届けたい
という、アナウンサーとして、そして一人の人間としての使命感があったからだと思われます。
インスタに刻まれた言葉「日はまた昇る」
インスタグラムの投稿の中で、特に印象的なのが、
「日はまた昇る」
「昇るから沈む しかし必ずまた昇る」
という一文です。
一度太陽が沈んでも、翌日にはまた昇る。
体調が悪い日もある。落ち込む日もある。
それでも、「また昇る日」が必ず来ると信じて、一日一日を大切に生きていこう――。
そんな思いが込められた言葉として、多くのフォロワーの心に残りました。
菅谷大介アナの「名フレーズ」まとめ
ここでは、菅谷アナの言葉の中から、よく知られているものをいくつか紹介します。
1. 「この瞬間は永遠だ」― 平昌五輪・女子パシュート金メダルの瞬間
先ほども触れたように、2018年平昌オリンピック・女子団体パシュートで日本が金メダルをとった瞬間、菅谷アナは
「この瞬間は永遠だ!」
と叫びました。
- 4人の選手が力を合わせて走りきったこと
- オリンピックという「人生で何度もない舞台」での金メダル
- 国中が注目する中で、日本代表が頂点に立ったこと
それらを一言で表現しようとした結果、生まれたフレーズだったのでしょう。
賛否はあったものの、「あのゴールシーンとセットで思い出す言葉」として、多くの視聴者の記憶に残っています。
2. 「日はまた昇る」― 闘病中に見つけた希望
すい臓がんを公表してからのインスタ投稿にたびたび登場するのが、
「日はまた昇る」
という言葉です。
体調が悪い日もある。検査の結果に不安になる日もある。
それでも、太陽のように、また元気な日がやって来ることを信じる。
このフレーズは、がんと向き合う人だけでなく、日々の仕事や人間関係でしんどさを抱えている人にも、心にしみる言葉です。
3. 「私の経験が、誰かの役に立てば」― 情報発信への覚悟
闘病を公表したとき、そして「がんを知る」企画やインスタで、菅谷アナは
自分の経験を伝えることで、どこかの誰かの役に立てたらうれしい
という趣旨のメッセージを何度も残しています。
これは、まさにアナウンサーの原点のような言葉です。
- 「自分のため」だけでなく、「誰かのために語る」
- つらい体験も、誰かに届けば「意味のあるもの」になる
そんな思いがにじむフレーズです。
仕事ぶりから見える「菅谷大介」という人
ここまでの話を整理すると、菅谷大介アナは、こんな人だったとまとめることができます。
- 努力家で、任された仕事に全力で向き合う人
- 報道志望から、プロレスやNFLなどのスポーツ実況へ
- 初めてのジャンルも徹底的に勉強して、自分のフィールドにしていく
- ジャンルの壁をこえる「オールラウンダー」
- 報道・情報番組
- バラエティ
- スポーツ中継
- ドラマやアニメの出演、吹き替えまでこなす幅の広さ
- 穏やかながら、芯の強い人柄
- 視聴者から「声がやさしい」「落ち着く」と愛された
- 共演者から「やさしくて、気配りのできる人」と慕われた
- 自分の病気を「情報」として社会に還元しようとした人
- すい臓がんを公表し、インスタや番組で闘病を語る
- 「自分の経験が誰かの役に立てば」という姿勢
アナウンサーとしてだけでなく、「生き方」そのものが、多くの人の心に残ったのではないでしょうか。
これから私たちにできること
訃報のニュースを見て、「ああ、あのニュースの人か」「ZIP!で見ていたのに」とショックを受けた人も多いと思います。
もちろん、視聴者にできることは限られています。
でも、こんな小さなことなら、誰にでもできるはずです。
- 菅谷アナの実況や出演シーンを、動画や録画で見返してみる
- すい臓がんや消化管の病気について、少しだけでも知識を増やしてみる
- 忙しくても、定期検診や健康診断をおろそかにしない
菅谷アナ自身、健康診断がきっかけでがんが見つかったと語っています。
その経験を伝えてくれたことを、私たちが「自分ごと」として受け止めること。それもまた、一つの「恩返し」になるのではないでしょうか。
まとめ
菅谷大介アナの声は、ニューススタジオから、スポーツ会場から、そしてバラエティの現場から、何度も私たちの生活に届いていました。
- 悲しいニュースを、落ち着いて伝える声
- オリンピックのゴールの瞬間に、思わず熱くなる声
- 朝の情報番組で、やさしくニュースをかみくだく声
その一つひとつが、今も録画やネットの動画の中に残っています。
「日はまた昇る」
菅谷アナが選んだこの言葉を、これから私たちも、自分の毎日の中でそっと思い出していきたいところです。
心から、ご冥福をお祈りします。



