2025年11月、日本テレビの菅谷大介アナウンサーが、消化管からの出血のため53歳で亡くなったと報じられました。
すでに膵臓(すいぞう)がんを公表し、闘病しながらもアナウンサーとして仕事を続けていた最中の、あまりにも突然の別れでした。
そんな菅谷アナの「本音」や「がんと向き合う姿」は、公式インスタグラム(@sugaya_daisuke_)にたくさん残っています。Instagram
そこには、病気のつらさだけでなく、家族への感謝、仕事への思い、そして「がんサバイバー」として前を向こうとする言葉が、静かに、でも力強くつづられています。
この記事では、
- 菅谷大介アナがどんな経緯で膵臓がんを公表したのか
- 公式インスタに残された「がんサバイバー」としての言葉
- そこから見えてくる、膵臓がんと向き合う姿勢
- 私たち一般の大人が、そこから何を受け取れるのか
を読み解いていきます。
菅谷大介アナとは?経歴をかんたんにおさらい
まずは、菅谷大介アナのプロフィールをざっくり確認しておきましょう。
- 1971年11月19日生まれ、千葉県佐倉市出身
- 1997年に日本テレビ入社
- 情報番組、ニュース、バラエティ、スポーツ中継など幅広く担当
- 箱根駅伝、プロレス、ゴルフなどのスポーツ実況でもおなじみだった
アナウンサーとしてはベテランの域に入りながらも、どこか穏やかで、熱くなりすぎない、それでいて心に残る実況やナレーションが印象的な人でした。
そんなベテランアナが、ある日「膵臓がん」を公表します。ここから、彼のインスタの物語が始まります。
膵臓がん公表とインスタ開設:最初の一歩
「実は、膵臓がんでした」から始まった投稿
2022年1月、菅谷アナは膵臓がんと診断され、同年4月には腹腔鏡による約4時間の手術を受けました。
その後、抗がん剤治療を続けながら同じ4月下旬には仕事にも復帰しています。
そして、8月。彼は、自身のインスタグラムを開設し、そこで「実は、膵臓がんでした」と切り出し、病気のことを公表しました。
投稿の内容をやさしく言い換えると、こんな気持ちが込められていました。
- 健康診断で膵臓がんが見つかったこと
- すでに手術を受けていること
- 抗がん剤を飲みながら、通院しつつ働いていること
- 今は「元気に頑張れている」こと
- 同じ病気で悩む人に、少しでも希望を届けたいこと
このタイミングでインスタを始めたのは、
「病気のことを隠すより、ちゃんと伝えたほうが、同じ立場の人の力になれる」
そう考えたからだと報じられています。
プロフィール欄にもにじむ「がんと共に生きる」決意
公式インスタのプロフィールには、「アナウンサー29年目」「日テレアナウンサー」「すい臓がん」といった言葉とともに、「がんサバイバー」のハッシュタグも使われていました。
自分の病気を「隠すもの」ではなく、「一緒に生きている事実」として、あえて前に出している。その姿勢が、プロフィールの短い文からも伝わってきます。
インスタに映る「闘病する日常」の景色
菅谷アナのインスタを見ていくと、「闘病」と聞いて多くの人がイメージするような、ベッドの上の写真ばかりではありません。
むしろそこにあるのは、山、神社、仕事、家族、友人…「ふつうの日常」を大事にしようとする姿です。
1)杓子山から見た富士山の写真
ある投稿では、山梨県の杓子山に登ったときの写真が載っています。背後には、雲の間から姿を見せる富士山。
菅谷アナは、下山途中に少しずつ姿を現した富士山の様子を、丁寧に言葉で表現していました。
病気と向き合いながら山に登るのは、体力的にもきっと簡単ではありません。それでも、
- 足を一歩一歩前に出すこと
- すぐには見えなくても、少しずつ景色がひらけていくこと
を楽しむような文章が添えられ、そこに「今を生きている喜び」がにじみ出ています。
2)箱根神社のおみくじ「日はまた昇る」
2024年8月には、箱根神社を訪れたときのおみくじの写真も投稿されました。おみくじには「日はまた昇る」といった趣旨の言葉が書かれていたと紹介し、「この言葉をかみしめて一日一日過ごしていきます」と結んでいます。
「日はまた昇る」というフレーズは、
- つらい時も、必ず朝は来る
- 落ち込む日があっても、また立ち上がれる
というメッセージとして、多くのがんサバイバーの心にも響く言葉です。
菅谷アナ自身も、この言葉を「自分への約束」として受け止めていたように感じられます。
3)宮里藍さんとのツーショット
女子プロゴルファー・宮里藍さんとのツーショット写真も印象的です。
この投稿では、膵臓がんを公表したあとに、宮里さんからすぐにメッセージが届いたこと、そのことがとても嬉しかったことがつづられていました。
ここには、
- 闘病は「一人で頑張るもの」ではなく、
- 気にかけてくれる人の存在が、どれほど心の支えになるか
という、がんサバイバー共通の思いがにじんでいます。
4)53歳の誕生日報告:プロレス実況アナとしてのユーモア
2024年11月の投稿では、「53歳の誕生日を迎えました」と報告し、プロレス実況でおなじみの技名「53歳」にも触れながら、「自分がその年になったことに感慨深い」と書いていました。
重い病気の経験者でありながら、ちょっとしたプロレスネタを交えて語る姿には、
- 「病人」ではなく、
- 「仕事を愛する一人のアナウンサー」としての誇り
が感じられます。
5)最後のインスタ投稿と「#がんサバイバー」
そして、最後のインスタ更新は2025年10月26日。カーリング中継で解説者と一緒に写るツーショット写真でした。投稿のハッシュタグには「#すい臓がん #がんサバイバー」と記されていました。
亡くなるわずか2週間ほど前まで、彼は
- 仕事に全力で向き合いながら
- 自分を「がんサバイバー」として誇りを持って名乗り続けていた
その事実が、この最後の投稿から伝わってきます。
「がんサバイバー」という言葉に込められた意味
「治った人」だけじゃない
「がんサバイバー」という言葉は、「がんを経験した人」を広く指す言葉として使われています。
- 今まさに治療中の人
- 治療がひと段落して経過観察中の人
- 何年も前に治療を終えた人
いずれも「サバイバー(生き抜いている人)」です。
菅谷アナがハッシュタグに「#がんサバイバー」とつけていたのは、
たとえ病気が完全になくなっていなくても、
「今、この瞬間を生きている自分」を肯定したい
という宣言のようにも見えます。
病気だけで「自分」を定義しない
インスタの投稿を見ると、病気の話はもちろん出てきますが、それだけではありません。
- 山登り
- 神社のおみくじ
- スポーツ実況の現場
- 同僚や選手との写真
など、「好きなこと」「やりたいこと」がたくさん写っています。
これは、
- 自分を「病気の人」とだけ見ない
- 「病気も含めた、ひとりの人間」として生きる
という、がんサバイバーならではの視点だといえます。
そもそも膵臓がんとは?かんたん解説
ここで一度、「膵臓がん」そのものについても、やさしく整理しておきます。
膵臓ってどこにあって、何をしている臓器?
膵臓(すいぞう)は、おなかの奥のほう、胃のうしろあたりにある細長い臓器です。
- 胃で消化しきれない脂肪やたんぱく質を分解する「消化液」を出す
- 血糖値を調整する「インスリン」などのホルモンを出す
という、大事な役割を持っています。
なぜ「見つかりにくい」のか
膵臓がんは、
- 体の奥にあって、超音波検査(エコー)などで見えにくい
- 初期のうちは症状がほとんどない
- 通常のがん検診のメニューに含まれていないことが多い
といった理由から、「早期発見がとても難しいがん」とされています。
そのため、日本の統計でも、膵臓がんの5年生存率は全がんの中で最も低いグループに入っています。
早期に見つかると、可能性は大きく変わる
一方で、10〜20mm程度の小さいうちに見つかった場合の5年生存率は50%、10mm以下で見つかると80%以上になるというデータもあります。
つまり、
「膵臓がん=絶望」ではなく、
「いかに早く見つけるか」で未来が大きく変わる
ということです。
菅谷アナの場合も、定期的な検査がきっかけで、まだ自覚症状がない段階で見つかったとされています。これは、彼自身も「奇跡的だった」と語っています。
菅谷アナのインスタから学べる「がんとの向き合い方」
では、菅谷アナのインスタに出てくる言葉や写真から、私たちは何を学べるでしょうか。
中学生にも伝わるレベルの言葉にして、4つのポイントにまとめてみます。
① 「怖さ」や「不安」を言葉にする
膵臓がんと告げられたとき、心の中には当然「まさか自分が」「怖い」という思いがあったはずです。実際、インタビューではその戸惑いや恐怖も率直に語っています。
それでも彼は、
- 病名を隠さず公表する
- 治療の経過や思いをインスタで発信する
という道を選びました。
「不安」を心の中で抱え込むのではなく、「言葉」にして外に出すことで、
少しずつ「受け止められるもの」に変えていったように見えます。
② 感謝をちゃんと言葉で伝える
インスタの投稿には、
- 妻の支えに対する感謝
- 同僚アナウンサーやスタッフへの感謝
- 病気を知って励ましてくれた仲間への感謝
が何度も登場します。特に、抗がん剤治療の裏で妻が食事や生活面を支えてくれたことへの思いは、記事でも大きく取り上げられました。
闘病生活は、どうしても「自分のことで精いっぱい」になりがちです。
それでも「ありがとう」と言葉にして発信していたことが、多くの人の胸を打ちました。
③ 「好きなこと」をあきらめない
山登り、プロレス、ゴルフ、駅伝の実況…。
菅谷アナは、病気のあとも、自分が好きなもの・やりたい仕事を簡単には手放しませんでした。
もちろん、休まなければならない時期もあったはずです。
しかし、
- 体調と相談しながらでも、
- 工夫しながらでも、
「好きなことを続けること」は、がんサバイバーの心の支えになります。
④ 一日一日を「おみくじ」のように味わう
箱根神社のおみくじの投稿で、「この言葉をかみしめて一日一日過ごしていきます」と書いていたように、
彼は、
- 先のことを考えすぎて不安になるのではなく
- 「今日一日」を丁寧に味わう
という生き方を選んでいたように感じられます。
これは、がんに限らず、私たち全員にとって大事な視点ではないでしょうか。
がんサバイバーの言葉を「自分ごと」として受け取るには
ここまで見てきたように、菅谷大介アナのインスタには、
- がんサバイバーとしての率直な思い
- 日々を楽しもうとする姿
- 感謝とユーモア
がつまっています。
では、がんを経験していない私たちが、それを「自分ごと」として受け取るには、どうしたらいいでしょうか。
最後に、いくつかのポイントをまとめます。
1)「いつか自分も病気になるかもしれない」という前提で生きる
膵臓がんに限らず、病気は誰にでも起こりうることです。
- 「自分だけは大丈夫」と思わない
- 「気になる症状があれば、早めに医師に相談する」
- 家族にがんの人がいれば、自分も検査について考えてみる
こうした小さな意識の変化が、将来の「早期発見」につながるかもしれません。
2)元気なうちから「やりたいことリスト」を書いておく
菅谷アナは、闘病中も山に登り、スポーツを実況し、神社でおみくじを引き、「やりたいこと」をちゃんとやっていました。
私たちも、
- 「いつか時間ができたら」と先延ばしにするのではなく
- 元気なうちに、小さな夢でもどんどん叶えていく
そんな生き方を、あらためて考えてみてもいいのかもしれません。
3)周りに病気の人がいたら、「何をしてあげられるか」を一緒に考える
菅谷アナのインスタやインタビューには、妻や同僚、友人たちの支えが何度も登場します。
- ただ話を聞く
- 一緒に散歩に行く
- 好きなものを差し入れする
- SNSでさりげなく応援メッセージを送る
どれも大きなことではないかもしれませんが、
本人にとっては「生きる力」になる可能性があります。
おわりに:インスタに残された「静かなメッセージ」
菅谷大介アナは、2025年11月8日、突然この世を去りました。
しかし、公式インスタグラムには、今も彼のまなざしとことばが残っています。
- 「膵臓がんでした」と正面から打ち明けた投稿
- 山から見た富士山や、箱根神社のおみくじ
- 宮里藍さんをはじめ、仲間たちへの感謝
- 53歳の誕生日をユーモラスに語る文章
- 最後まで「#がんサバイバー」と名乗り続けたハッシュタグ
それらは、派手な言葉ではありません。
けれども、がんと共に生きるとはどういうことか、
そして「当たり前の毎日」がどれだけ尊いかを、静かに教えてくれます。
もしこの記事を読んで「自分も一度、菅谷アナのインスタをのぞいてみようかな」と感じたなら、ぜひ実際の投稿にふれてみてください。
そこには、ニュースの画面だけでは伝わらない、
ひとりの人間・菅谷大介の「生きた証」が、たしかに刻まれています。



