「マック鈴木って、高校時代に“事件”を起こして退学したらしい…」
「そこからどうやってメジャーリーガーまで行ったの?」
そんなふうに気になって、このキーワードで検索している人は多いと思います。
実はマック鈴木さんの人生は、
「高校時代の大きなしくじり」→「事実上の国外追放」→「そこからメジャー挑戦」
という、かなりドラマチックな流れになっています
今回は、
- 高校時代に何があったのか(“事件”の中身)
- どうして「国外追放」レベルの話になったのか
- そこからアメリカ行きを決断し、メジャーを目指すまでの物語
- その経験から見える「しくじりの活かし方」
を整理していきます。
マック鈴木ってどんな人?ざっくりプロフィール
まずは簡単におさらいです。
- 名前:マック鈴木(本名:鈴木 誠)
- 生年月日:1975年5月31日
- 出身:兵庫県神戸市
- ポジション:投手
- 特徴:
- 日本のプロ野球(NPB)を経験せずに、
アメリカ・メジャーリーグに直接たどり着いた初めての日本人選手 - シアトル・マリナーズで1996年にメジャーデビュー
- 日本のプロ野球(NPB)を経験せずに、
普通に聞くと「すごいエリートコース」に聞こえますが、
実はその出発点は“高校中退”でした。
高校時代:名門校に入るも、ヤンチャすぎて大問題に
名門・滝川第二高校に入学
マック鈴木さんは、兵庫県の滝川第二高校という、野球の名門校に入学します。ウィキペディア+1
- 野球が強い学校
- 甲子園も狙えるレベル
- 将来は「プロ野球選手も夢じゃない」と言える環境
本来なら、ここから“高校野球スター→ドラフト→プロ入り”という、王道のルートが見えていたはずです。
大晦日に起きた「傷害事件」
ところが、1年生の年末、大晦日。
地元で他校の生徒とケンカになり、警察沙汰の傷害事件に発展してしまいます。
報道や本人の語りによると、
- 自分1人 対 不良グループ4人 という状況で争いになった
- 結果として「傷害事件」として扱われるレベルのトラブルになった
- これがきっかけで、高校を自主退学することになった
とされています。
「プロ野球の道は終わった」と思った瞬間
警察沙汰の事件を起こし、名門校を退学。
この時点で、
「もうプロ野球選手の道は終わった」
と本人は思ったそうです。
- 学校の信用は失う
- プロからのドラフトの話も消える
- 進学の道もほぼ断たれる
当たり前ですが、
「真面目に野球をやってきたのに、たった一度の大きなケンカで全部パー」
という状態です。
退学後も“ケンカ続き”で、日本での道が閉ざされる
実は、問題はここで終わりません。
退学後も、マック鈴木さんはケンカを2回ほど起こしてしまったと、別のインタビューなどで語られています。
- 学校も辞めている
- 警察沙汰も経験済み
- さらにケンカが続く
まさに、
「ヤンチャを通り越して、ちょっと危ない方向に転がり始めていた」
という感じです。
この状況では、
- 日本の高校で野球をやり直す
- 社会人野球からプロを目指す
といった道も、ほとんど残っていませんでした。
転機①:父の“決断”「アメリカへ行け」
そんなとき、大きな転機になったのが父親のひと言です。
ラジオのインタビューなどによると、
退学後のマック鈴木さんの姿を見た父は、こう考えました。
- このまま日本にいても、環境は変わらない
- 友達も同じ、遊び場も同じで、また問題を起こすかもしれない
- 人として成長するには、まったく違う世界に放り込むしかない
そして父は、周りの反対もある中で、
「アメリカに行ってこい」と、息子を海外に送り出す決断をします。
本人も、
「とりあえず親元を離れて、お金の面でも困ってこいと、1人でポンと放り出された」
と語っています。
言い方は少し乱暴ですが、
ここには親としての“本気”が見えますよね。
「国外追放」という表現の真意
バラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演した際、
マック鈴木さんは、自分の16歳での渡米を「国外追放」と表現しています。
もちろん、法律的な意味での「国外追放」ではなく、
- 日本での進路がほぼゼロ
- 問題ばかり起こす
- これ以上ここにいてもダメだ
という状況で、
「もう日本にいてもどうしようもないから、外に出ろ」
という“事実上の国外追放”だった、という意味です。
親にとっても、相当な覚悟だったはずです。
転機②:16歳で単身アメリカへ 洗濯係から再スタート
渡米先は「1Aサリナス・スパーズ」
1992年、16歳のマック鈴木さんは、
父の後押しもあり、アメリカの1Aサリナス・スパーズというチームの「球団職員」として渡米します。
ここでの最初の仕事は、なんと…
- 洗濯係
- 用具の管理
- 球場の雑用
つまり、「選手」ですらなかったのです。
日本でいえば、
「甲子園を夢見ていた高校球児が、
いきなりプロ球団の洗濯係として裏方スタート」
というかなり極端な転落&再出発です。
言葉も通じない、友達もいない、洗濯係
想像してみてください。
- 英語はほとんど話せない
- 友達もいない
- 仕事は雑用と洗濯
ここで挫折して、日本に帰りたくなってもおかしくありません。
でも、マック鈴木さんは、
- 元々の体格の良さ
- 空手や水泳で鍛えた運動神経
- 「ここで逃げたら本当に終わる」という危機感
を武器に、
地道にトレーニングとアピールを続けていきます。
転機③:洗濯係から「投げさせてくれ」へ
ラジオのインタビューによると、
当時のサリナス・スパーズは、シーズン142試合で100敗するほどの弱小チームだったそうです。
それを見ていたマック鈴木さんの頭に浮かんだのが、
「これ、俺が投げた方がいいんちゃうか?」
という、とんでもなく前向き(?)な発想でした。
この“謎のポジティブさ”が、
彼の人生を大きく変えることになります。
- 練習の合間に黙々と投げ込み
- 自分の実力を周りに見せつける
- チームスタッフや関係者の目に留まる
こうした積み重ねの結果、
ついに投手としてのチャンスをつかんでいきます。
シアトル・マリナーズと契約、そしてメジャーへ
その後、マック鈴木さんは、
シアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、
1A・2A・3Aと階段をのぼっていきます。
- 1993年:マリナーズ傘下1Aで4勝12セーブと活躍
- 1996年:ついにメジャー昇格。日本プロ野球未経験の日本人として初のメジャーリーガーに。
ここまでの流れを一言で言うと、
「高校のケンカで退学になったヤンチャ少年が、
洗濯係からはい上がって、メジャーリーガーになった」
という、ほとんどマンガのような話です。
もし高校時代に“事件”を起こしていなければ、
- そのまま高校野球でそこそこ活躍 → 国内の大学 → 社会人 → プロに届くかどうか…
という、全く違うルートを歩んでいた可能性もあります。
皮肉ですが、
あの事件がなければ、メジャーには行っていなかったかもしれない
とも言えるんですね。
「しくじり」から生まれた3つの学び
マック鈴木さん自身、『しくじり先生』などで高校時代の事件を振り返りつつ、
そこから得た教訓を語っています。
ここでは、その内容も踏まえて、
私たちの生活にも使えそうなポイントを3つにまとめてみます。
① 大きな失敗は、「環境ごと変える」覚悟がないと抜け出せない
高校を退学するほどの事件を起こしたあと、
同じ街・同じ仲間・同じ遊び場にいれば、
同じようなトラブルを繰り返す可能性が高いですよね。
だからこそ、お父さんはあえて
「言葉も通じないアメリカに放り込む」
という極端な選択をしました。
これは私たちにも当てはめやすくて、
- 仕事で大きなミスをした
- 人間関係でうまくいかなくなった
そんなときも、
- 部署を変える
- 住む場所を変える
- 全く別のコミュニティに身を置いてみる
など、「環境ごと変える」ことでスイッチが切り替わることがあります。
② どんなに下のポジションからでも、チャンスは拾える
マック鈴木さんのスタートは「洗濯係」です。
普通なら、
「なんで洗濯なんかやらなあかんねん…」
と腐ってしまいそうなところです。
でも彼は、
- 裏方の仕事をちゃんとこなしつつ
- 空き時間で黙々とトレーニング
- 「俺が投げた方が…」と自分を売り込む
この結果、ただの洗濯係が「ピッチャー」としてピックアップされるという、
とんでもないジャンプを成功させました。
今、自分のポジションがどれだけ地味でも、
「ここでちゃんと結果を出してたら、次のステージに引っ張ってくれる人がいるかも」
と思えるかどうかで、その先はものすごく変わりそうです。
③ 親や周りの“覚悟ある決断”が、人生を変えることもある
16歳の子どもを、言葉も分からない国に単身で送り出す。
これ、親としてはかなり怖い決断ですよね。
お父さんも、
「人として成長するために」
という思いを込めてアメリカ行きを勧めたと言われています。
もちろん、誰もが同じことを真似できるわけではありませんが、
- 子どもにあえて厳しい選択をさせる
- それでも信じて送り出す
こうした“覚悟のある背中押し”が、
一人のメジャーリーガーを生んだのは確かです。
まとめ
ここまでをざっくりとまとめると…
こうやって振り返ると、
高校時代の「事件」は、確かに大きなしくじりですが、
それがきっかけで環境を変え、
結果的には世界の頂点・メジャーリーグまでたどり着いた
とも言えます。
もちろん、
「じゃあ問題行動してもいいんだ!」
という話ではまったくありません。
でも、
- どれだけ大きな失敗をしても、
- そこで人生が完全に終わるわけじゃない
ということを、マック鈴木さんのストーリーは教えてくれます。
最後に
ここまで偉そうに、
- 失敗から学ぶこと
- 環境を変える勇気
- 親の覚悟ある決断
なんて、真面目に語ってきましたが――
もし高校時代のマック鈴木さんが、
ケンカも事件も何も起こさず、
そのままおとなしく高校生活を終えていたら……
たぶん今ごろ、どこかの会社で、
「昔はちょっと野球やっててん」
と、飲み会でだけ武勇伝を語る
“よくいる元球児のおじさん”で終わっていたかもしれません。
そう考えると、
人生、ちょっとくらい“やらかした人”のほうが、
あとから話のネタには困らないのかもしれませんね。
…とはいえ、
警察沙汰になるレベルの「事件」だけは、
記事を読んでいるあなたも、どうか全力で回避してください。
ネタとしては強烈ですが、心臓に悪すぎますから。



