「嘉数純平って、卒業後はどうするの?」
國學院大學の“沖縄コンビ”の一人として、出雲・全日本・箱根で存在感を見せてきた嘉数純平選手。
この記事では、
- 実業団か、普通の企業への就職か
- その中で、有力な進路候補はどこなのか
- 実業団に進んだ場合、どんな未来が待っていそうか
を解説していきます。
※本記事は、2025年12月時点で公開されている情報をもとにまとめています。今後、状況が変わる可能性もある点はご理解ください。
嘉数純平はどんな選手?ざっくりプロフィール
まずは基本情報から、サクッと整理しておきましょう。
- 名前:嘉数 純平(かかず・じゅんぺい)
- 生年月日:2003年7月8日
- 出身地:沖縄県
- 大学:國學院大學 人間開発学部・健康体育学科(長距離ブロック・4年/134期)
身長は161cm、体重47kgと、駅伝選手の中でもコンパクトな体格です。
しかし、その小柄な身体からは想像できないほど、キレのある走りと粘り強さが持ち味です。
國學院大の公式プロフィールによると、主な自己ベストはこんな感じ。
- 高校5000m:14分22秒17
- 5000m:13分54秒13
- 10000m:28分40秒16
- ハーフマラソン:1時間01分30秒
「13分台」「28分台」「61分台」という数字は、箱根駅伝常連校の中でも、しっかり“戦力”として数えられるレベルです。
決して派手なタイムではないものの、「チームの層を支える実力者」という立ち位置と言っていいでしょう。
中学時代はバスケ部?意外なスタート
面白いのは、嘉数選手が中学時代は陸上部ではなかったという点です。
- 中学:那覇市立 仲井真中学校
- 部活:バスケットボール部
- でも、足の速さを買われて陸上大会にも出場
という「二刀流」生活を送っていました。
同郷で、のちに國學院でもチームメイトになる上原琉翔選手と一緒に、全国中学駅伝にも出場しています。
バスケ部で鍛えられた俊敏さとスタミナ。
それを見た指導者や周りの大人たちが「この子、走りでもいけるぞ」と感じたのは、想像に難くありません。
本人も、
続けていったら、もっと才能を伸ばせるかもしれない
と考えるようになり、スカウトを受けた高校で本格的に陸上の道へ。
ここから、嘉数純平の“ランナー人生”が本格スタートします。
北山高校時代:沖縄を背負って走る
高校は、駅伝好きにはおなじみの
- 沖縄県立 北山高等学校
へ進学します。
北山高校時代の主な成績は、まとめるとこんな感じ。
- 全国高校駅伝:3年連続出場
- 1年:3区 57位
- 2年:6区 26位
- 3年:3区 36位
- 沖縄県高校総体
- 3000m OP:1位
- 5000m:1位
- 南九州高校総体 5000m:7位
高校からは陸上一本に絞り、
「県内では頭ひとつ抜けた存在」
へと成長していったことが分かります。
特に3年時の県総体で、3000mと5000mの“2冠”を達成しているのは、
高校3年間で、しっかり結果を出してきた選手
であるという、わかりやすい証拠です。
この実績を引っさげて、強豪・國學院大へ進学します。
國學院大で一気に開花:駅伝三冠を狙うチームの一員に
國學院大に入学してから、嘉数選手は着実に“戦力”として存在感を高めていきます。
三大駅伝での主な出走は、こんな感じ。
- 2年:出雲駅伝 6区 区間5位
- 3年:全日本大学駅伝 1区 区間2位(チーム優勝に貢献)
- 3年:箱根駅伝 6区 区間16位(初の箱根)
特に、全日本大学駅伝の1区・区間2位はかなりインパクトのある結果です。
1区は、各大学の“エース級”が並ぶハイレベルな区間。そこで区間2位というのは、
「一発の強さ」も持っている選手
だと評価していいでしょう。
一方で、初の箱根6区では「今までで一番苦しいレースだった」と語っています。
山からの下りという特殊区間で、寒さもあり、思うように身体が動かず。
悔しい思いをしながらも、
来年こそは優勝して、この悔しさを晴らしたい
とコメントしているあたり、メンタルの強さも感じます。
沖縄出身の上原琉翔選手と共に、
- 「沖縄から箱根へ」
- 「沖縄勢2人でチームを頂点に」
というストーリーも、メディアで取り上げられています。
そもそも「実業団」と「普通の就職」って何が違うの?
ここで、タイトルにもある
「実業団か就職か?」
というテーマを、いったん整理しておきましょう。
実業団とは?
簡単に言うと、
企業に所属しながら、競技を続けるアスリートの集団
です。
- 給料は企業から出る
- でも仕事の中心は「走ること」
- ニューイヤー駅伝などで、会社の“看板”として走る
というイメージです。
もちろん、広報活動やイベント出演など「会社員」としての側面もありますが、
一般の社員とは働き方がかなり違います。
一般就職(競技は趣味か、市民ランナーとして)
一方、普通の企業に一般職として就職した場合は、
- 仕事がメイン(営業・事務・福祉・教育など)
- 仕事の合間や休日に、趣味として走る
- 市民マラソンなどに出場することはあっても、トップレベルのレースは難しい
という形になるのが普通です。
だから、箱根クラスのランナーにとって
- 「競技をガチで続けるのか」
- 「競技は一区切りで、社会人としてのキャリアを優先するのか」
は、かなり大きな人生の分かれ道になります。
嘉数純平の進路は「実業団コニカミノルタ」が有力…どころかほぼ確定
では、嘉数選手の場合はどうなのか。
2025年12月時点で、大学駅伝の進路情報をまとめたサイト「駅伝ナビ」では、
2026年度の実業団入り予定選手として、以下のように掲載されています。
嘉数純平 コニカミノルタ 國學院大學
同じく國學院大のチームメイトである
- 高山豪起選手:中国電力
- 鎌田匠馬選手:コニカミノルタ
- 上原琉翔選手:富士通
と並んで、進路がリストアップされています。
このことから、
- 嘉数選手の進路は「実業団」
- 所属先は「コニカミノルタ」が有力(メディアで進路として明記)
と見てほぼ問題ない状況と言えます。
もちろん、正式な発表は企業や大学から出るのが筋なので、
最終的には公式情報を待つ必要がありますが、
「就職か?実業団か?」という問いで言えば、
進路は“実業団”、コニカミノルタ行きが有力(≒内定済み)
と考えてよい段階でしょう。
コニカミノルタ陸上競技部ってどんなチーム?
では、嘉数選手が進むとされるコニカミノルタ陸上競技部とは、どんなチームなのでしょうか。
ざっくり言うと、
「ニューイヤー駅伝で何度も優勝している、超名門実業団」
です。
- チーム創設:1970年
- ニューイヤー駅伝優勝:8回(2001, 2002, 2003, 2005, 2006, 2008, 2013, 2014)
- 実業団駅伝の優勝回数は全チーム中2位
「21世紀の駅伝王者」と呼ばれたこともあるほどの強豪です。
さらに、
- 世界陸上やオリンピック代表を輩出
- マラソンでも2時間6分台の選手を抱えるなど、“世界を見据えたチーム”
という特徴があります。
つまり、
「箱根で鍛えた嘉数選手が、さらに“世界レベルの駅伝・マラソン”へ挑戦できる環境」
が整っていると言えるでしょう。
嘉数純平はコニカミノルタでどんな役割を担いそう?
ここからは、少し“妄想混じり”になりますが、
嘉数選手がコニカミノルタに入った場合をイメージしてみましょう。
①駅伝の「つなぎ区間」〜「攻めの区間」までこなせる万能タイプ?
大学時代に
- 出雲の終盤区間(6区)
- 全日本1区での好走
- 箱根6区という特殊区間経験
を持っていることから、
- スタートで流れを作る区間
- 中盤で我慢して流れをキープする区間
- アップダウンのあるコースでの粘り
など、いろいろなタイプの区間に対応できる選手として育てられる可能性があります。
実業団駅伝では、
- チーム事情
- 他のメンバーの状態
によって、走る区間が毎年変わることも多く、
「どこでも一定レベルで走れる選手」は、監督にとって非常にありがたい存在です。
②ハーフ〜マラソンへのステップアップ
嘉数選手は、すでにハーフマラソンで1時間01分30秒という好記録を持っています。
実業団に入ると、
- ハーフマラソンで実績を積む
- その延長線上でフルマラソンにも挑戦
という流れになる選手が多いです。
コニカミノルタは、マラソンでも実績のある選手が揃っているので、
その中で刺激を受けながら、
「沖縄生まれのマラソンランナーが、世界の大きなレースを走る」
なんて未来も、十分に想像できます。
もし「普通の就職」を選んでいたら?
ここで、少しだけ“もしも話”もしてみましょう。
もし嘉数選手が、
「実業団には行かず、一般企業に就職します!」
と決めていたとしたら、どうなっていたでしょうか。
- 日中は、会社でフルタイム勤務
- 朝か夜に、1〜2時間のランニング
- 休日に30km走やレースに出場
という、“市民ランナー寄り”の生活になっていたはずです。
もちろん、それはそれで立派な選択です。
しかし、
- 13分台・28分台・61分台
- 箱根や全日本での経験
というスペックを考えると、
「ガチの競技をあと数年続けてからでも、一般就職は遅くない」
という判断になったとしても、まったく不思議ではありません。
せっかく手にした“トップレベルの走力”を、
いきなり会社の飲み会での「運動会リレー要員」だけにしてしまうのは、
正直ちょっともったいないですよね。
実業団を選んだことの意味
嘉数選手が実業団を選んだ背景には、きっとこんな思いがあるはずです(ここからは推測です)。
- まだ本気で追いかけたい「タイム」や「舞台」がある
- 沖縄の中高生ランナーに、「自分もやれるかも」と思ってほしい
- 大学4年間の悔しさ(箱根6区など)を、そのまま終わらせたくない
特に、文化放送のインタビューで語っていた
「来年こそは絶対に優勝したい」
という言葉には、単なる“学生時代の目標”以上の熱量がありました。
その熱を持ったまま、今度は「ニューイヤー駅伝」や「マラソン」の世界に飛び込んでいく。
そう考えると、実業団コニカミノルタという進路は、
「挑戦を続けるための、自然な一歩」
に見えてきます。
ファンとしてできる“ささやかな応援”
では、私たちファンにできるのは何でしょうか。
難しく考える必要はありません。
- 駅伝やマラソンのテレビ中継で、名前を見つけたら少し注目してみる
- コニカミノルタ陸上競技部の公式サイトやSNSをチェックする
- 箱根シーズンに、國學院大や沖縄勢の記事を読んでみる
たったそれだけでも、
「画面の向こうで走っている誰かの背中を、少しだけ押している」
ことにつながります。
特に嘉数選手のような、“派手ではないけれど堅実な選手”は、
ファンのこうした小さな応援で、
意外とメンタル面の支えを得ているものです。
まとめ
ここまでの内容を、もう一度シンプルにまとめます。
つまりタイトルの答えとしては、
「嘉数純平の進路は、一般就職ではなく“実業団コニカミノルタ”が有力」
という結論になりそうです。
もし一般企業に就職していたら…
もし嘉数選手が、実業団ではなく普通の会社に就職していたら――
朝。
上司「嘉数くん、通勤時間どれくらい?」
嘉数「片道“10キロのジョグ”で45分くらいです」
昼休み。
同僚「最近、運動不足でさ〜。1キロ走っただけでゼーゼーするよ」
嘉数「じゃあ、アップは終わりですね。本番はあと20キロです」
社内運動会。
幹事「リレーのアンカー、誰にしようかな…」
全員「嘉数くん、確定でしょ」
こうして毎回、
職場のイベントで“ガチすぎるランナー”として
伝説になっていたかもしれません。
でも実際の進路は、
そんな社内行事レベルでは全く足りない、
100kmのタスキをつなぐ“ニューイヤー駅伝の世界”
です。
私たち一般人は、せいぜいエレベーターとエスカレーターの乗り換えで息切れしないようにしつつ、
テレビの前から、
「嘉数、がんばれ!」
と、ゆるく、しかし熱く応援していきましょう。
…まずは、自分の通勤の“早歩き”から鍛えないといけないのは、
嘉数選手ではなく、私たちの方かもしれませんね。

