2025年12月23日。
日本ゴルフ界のレジェンド、“ジャンボ”尾崎将司さんがS状結腸がんのため78歳で亡くなった、というニュースが流れました。
この記事では、
- そもそもジャンボ尾崎は、どんな指導者だったのか
- 原英莉花は、ジャンボから何を受け継いだのか
- 佐久間朱莉は、ジャンボから何を学び、どう開花したのか
- そして2人は、これから何を背負っていくのか
を整理していきます。
選手から“名伯楽”へ:ジャンボ尾崎はどんな指導者だった?
まずは「師匠」側から。
ジャンボ尾崎と言えば、
現役時代の成績だけでもモンスター級です。
- 日本ツアー通算 94勝(歴代1位)
- プロ通算 100勝超(112〜113勝とされる)
- 賞金王 12回
……と、数字だけでもお腹いっぱいになるレベルですが、
晩年のジャンボは「名指導者」としても注目されていました。
「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」の存在
ジャンボは2010年代後半から千葉県に
「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を立ち上げ、若い選手を受け入れてきました。
ここから巣立った、あるいは深く関わった選手は、
- 西郷真央
- 原英莉花
- 佐久間朱莉 など
女子ツアーの主役級がずらりと並びます。
本人はインタビューで、
「若い子が頑張っているのを見るのが好き。
可能性を伸ばす手助けをしたい」
と語っています。
かつては「女子は教えない」と言っていたとも言われますが、
その考えを変えさせたのが、のちに女子ツアーの顔になる原英莉花でした。
共通しているのは「甘やかさない愛情」
ジャンボのコメントを読んでいると、
ある共通点があります。
- 褒めるときはしっかり褒める
- でも、その直後に必ず“辛口ひと言”を添える
たとえば、あるインタビューでは
門下生たちの活躍をこう評しています。
「みんなよく頑張ってるよ。
でも、まだまだ下手ってことだな」
キツいようでいて、そこには
「もっと上に行けるだろ」
という期待が込められています。
この「厳しいけど、ちゃんと見てくれている大人」が、
門下生たちにとってのジャンボでした。
姉弟子・原英莉花:ジャンボが「道しるべ」と呼ばれた理由
ではここから、主役の2人を見ていきます。
まずは姉弟子ポジションの原英莉花から。
原英莉花のざっくりプロフィール
- 名前:原 英莉花(はら えりか)
- 生年:1999年2月15日
- 身長:約173cmと長身、飛ばし屋タイプ
- 主な実績:日本女子プロ選手権、日本女子オープンなど国内メジャー複数優勝
アマチュア時代から注目され、
プロ入り後も“飛距離とスタイル”で人気を集めてきました。
そして彼女は、ジャンボ門下の「女子1号」としても知られています。
「道しるべ」としての師匠
2024年の記事で、原はジャンボについて
「正しいところに導いてくれた道しるべ」
と表現しています。
単にスイングを教わるだけではなく、
- どんな練習をすべきか
- どんな試合運びをするべきか
- プロとして、どう振る舞うべきか
その方向性そのものを示してくれる存在だった、ということです。
「ジャンボのパター」でつかんだ初優勝
2019年のリゾートトラストレディスで、
原はツアー初優勝を飾ります。
このとき話題になったのが、
「師匠のジャンボがすすめたマレット型パターで勝った」
というエピソード。
クラブ選びの細かいところまで
口を出す(=気にかけている)あたりに、
師弟の深い関係がにじみます。
復活優勝と「今日から尊敬することにしたよ」
2023年、日本女子オープンで原が復活優勝。
その時の映像や記事には、
- ジャンボが満面の笑みで祝福
- 「やっぱり何か持っている」とコメント
さらに別の場面では、
「今日からエリカを尊敬することにしたよ。でも……」
と、いかにもジャンボらしい“オチ付き”の褒め言葉も。
全力で褒めつつも、
ちょっと茶化して笑いを入れる。
この距離感が、2人らしい師弟関係です。
佐久間朱莉:ジャンボ門下の“0期生”から年間女王へ
続いては、後輩でありながら
いまや女子ツアーの頂点に立った佐久間朱莉です。
佐久間朱莉のざっくりプロフィール
- 名前:佐久間 朱莉(さくま あかり)
- 生年:2003年4月15日
- 中学3年で日本女子オープンに出場
- 2021年プロテスト合格
- 2025年シーズン:複数優勝&年間女王、JLPGAアワードで個人3冠(賞金・平均ストローク・MVP)
2025年は、文字通り女子ツアーの主役になりました。
入門のきっかけは「原英莉花と一緒に回った日」
面白いのは“入門エピソード”です。
- 中学3年のとき、日本女子オープンに出場
- そのとき、原英莉花と同じ組で回った
- それがきっかけで「ジャンボ尾崎アカデミー」に入りたいと決意
つまり佐久間にとって原は、
- 憧れのプロ
- そしてのちに「姉弟子」となる存在
だったわけです。
その後、2017年11月のアカデミー正式設立より前に門を叩いたため、
佐久間は“0期生”と呼ばれています。
「上位陣がアメリカに行ってるから勝って当たり前だ」
2025年のKKT杯バンテリンレディスで初優勝を挙げたあと、
佐久間はジャンボのもとへ優勝報告へ。
そこでのやり取りが、いかにもジャンボ節です。
- 佐久間「ようやく勝てました!」
- ジャンボ「まずはおめでとう」
- しかしその直後に 「上位陣がみんなアメリカに行ってるから、勝って当たり前だ」
と、辛口コメント。
これ、冷たく聞こえるかもしれませんが、
裏返すと
「お前なら、そのメンバーの中では勝って当然の実力がある」
と認めているわけです。
期待しているからこその辛口なんですね。
ドンペリを“3年寝かせた”祝勝会
さらに微笑ましいエピソードもあります。
- 3年前、佐久間はジャンボに
「私が初優勝したら開けてください」と
高級シャンパン・ドンペリをプレゼント。 - しかし、なかなか勝てず、ドンペリはそのまま寝かされることに。
- そしてついにKKT杯で初優勝。
- 祝勝会で、そのドンペリが“開封”されました。
佐久間本人は
「シャンパンはあまり好きじゃないから、美味しいかは微妙でしたけど…
開けてもらえたのが嬉しかった」
と笑っています。
ジャンボにとっても、ようやく開けられた一本。
師匠として、最高の一杯だったはずです。
2025年「年間女王」になった佐久間へ、師匠からのメッセージ
2025年シーズン、佐久間は4勝を挙げ、
ついに年間女王のタイトルを獲得。
そのとき、師匠ジャンボから届けられたコメントがこちら。
「朱莉、年間女王おめでとう。
1年を通して他の誰よりも強かったという証。
昨年は勝てず悔しかったはずだが、その思いがあったからこそ
今年の成績につながった。本当によかったな。
残りの試合、皆に集大成を見せてやれ。」
これを読んだ佐久間は、
表彰式で号泣したと報じられています。
姉弟子・原もその場で抱きしめて祝福したそうで、
「ジャンボ門下の物語」がぎゅっと詰まったワンシーンです。
原英莉花&佐久間朱莉が“ジャンボから受け継いだもの”
ではここから、
2人がジャンボから具体的に何を受け継いだのかを整理してみます。
「飛ばす勇気」と“攻めるゴルフ”
2人に共通するのは、まず飛距離です。
- 原英莉花:女子ツアー屈指の飛ばし屋
- 佐久間朱莉:ドライバーだけでなく、攻めのアイアンが持ち味
これは単に筋力や体格だけではなく、
「狙うと決めたら、ちゃんと狙いに行く」
という攻めるマインドを含んでいます。
ジャンボ自身が、
現役時代から“豪快なドライバーで魅せるスター”でした。
そのスタイルを、
スイングの形だけでなく考え方として受け継いでいるのが
原と佐久間だと言えるでしょう。
「甘やかさない言葉」で鍛えられたメンタル
2人のエピソードで何度も出てくるのが、
ジャンボの辛口コメントです。
- 「まだまだ下手ってことだよ」
- 「勝って当たり前だ」
普通に言われたら落ち込みそうな言葉ですが、
2人はそれをエネルギーに変えているように見えます。
- 原:不調やケガからの復活優勝を何度も経験
- 佐久間:勝てない時期を乗り越え、翌年に4勝&女王
「結果が出なかった悔しさを、
どう次のシーズンの成長につなげるか」
という考え方は、
ジャンボがずっと大事にしてきたものです。
「勝ち方」「プロとしての見られ方」
ジャンボが門下生を見るときに、
よく口にしていたのが
「トップになれるかどうか」
という視点です。
単にツアーでそこそこ稼ぐ選手ではなく、
- 賞金女王
- メジャーチャンピオン
- 世界を相手に戦う選手
こういった“頂点”を常に意識させていました。
実際、
- 原は国内メジャーを複数勝ち、
大会の格にこだわる勝ち方をしてきました。 - 佐久間は年間女王&個人3冠という
「一年通して一番強い選手」の証を手にしています。
勝ち方、タイトルの重み、
プロとしてどう見られるか。
その意識を、2人はしっかり受け継いでいるように思います。
「うちの子」感のある距離の近さ
ジャンボは、門下生たちを
よく「うちの子たち」と呼んでいました。
- ドンペリを3年寝かせて待つ
- 優勝報告には必ず会いに行く
- アカデミーの合宿で同じ屋根の下で暮らす
こうしたエピソードを見ていると、
師匠というより、
「ちょっと怖いけどすごく気にしてくれるオジサン」
のような距離感です。
原と佐久間は、その“家族的な空気”も含めて
しっかりと受け取っています。
- 原は「大師匠」として強い尊敬を示し、
- 佐久間は泣きながら感謝を伝える。
それぞれのやり方で、
「ジャンボファミリー」の一員であることを
大事にしているように見えます。
ジャンボなきあと、2人は何を背負っていくのか
2025年12月、
偉大な師匠を失った今、
原と佐久間には新しい役割も乗ってきます。
「ジャンボのゴルフ」を語り継ぐ役目
2人はこれから、
- 会見やインタビューでジャンボの教えを語る
- 若い選手から「ジャンボさんってどんな人でした?」と聞かれる
- 海外メディアからもコメントを求められる
そんな場面が増えていくはずです。
そのときに語られる
- スイングのアドバイス
- 言葉の一つ一つ
- 練習のときの空気
は、どれも生きた歴史の証言になります。
いずれは「教える側」に回る日も
まだ2人とも現役バリバリですが、
10年、20年とたてば、
きっと教える側に回る時期が来ます。
そのとき
- 自分の経験だけでなく、
「ジャンボからこう教わった」という話 - 「師匠もこう言ってたよ」と、
後輩に受け渡すメッセージ
こういう形で、
ジャンボの“DNA”はさらに次の世代へ広がっていくでしょう。
まとめ
ここまでの話を、
あえて一言でまとめるならこうです。
原英莉花と佐久間朱莉は、
スコアだけじゃなく「生き方のクセ」まで
ジャンボから受け継いでいる。
- 飛距離にこだわる“攻めるゴルフ”
- 勝っても「まだまだ」と言われる中で鍛えられたメンタル
- タイトルの重み、トップを狙い続ける姿勢
- そして「うちの子」と呼ばれる家族のような関係
これらは、リーダーボードの数字には出ませんが、
プレーの節々、コメントの一言一言に表れています。
原と佐久間がこれからも優勝を重ねるたびに、
きっとどこかで
「ジャンボさんだったら、この場面で何て言うかな?」
と想像しながらプレーしているのかもしれません。



