リオデジャネイロ五輪(2016年)の男子棒高跳びで、日本代表としてバーに挑んだ荻田大樹(おぎた・ひろき)選手。
競技そのものよりも、「あの日のハプニング動画」 が世界中で拡散されてしまい、本人も思わぬ形で注目を集めました。
この記事では、
- 荻田大樹ってどんな選手?
- リオ五輪の男子棒高跳び全体の流れ
- 予選での記録と順位
- 例の「ハプニング」は具体的に何が起きたのか
- その後、世界や本人はどう受け止めたのか
を解説していきます。
荻田大樹はどんな選手?かんたんプロフィール
まずは、荻田選手がどんな人なのか、ざっくり整理しておきましょう。
- 名前:荻田 大樹(おぎた ひろき)
- 生年月日:1987年12月30日
- 出身:香川県観音寺市
- 身長・体重:およそ185〜186cm/78〜80kg前後
- 専門種目:陸上・棒高跳び
- 主な所属:ミズノトラッククラブ など
- 自己ベスト:5m70(2013年、マウントサックリレー)
中学生のときに棒高跳びを始め、観音寺一高の3年生で国体少年男子Aを優勝。関西学院大学では当時の日本学生記録となる5m56をマークし、学生時代からすでにトップレベルの選手として知られていました。
その後、実業団のミズノに所属し、
- 東アジア競技大会金メダル
- アジア選手権銀メダル
- 世界選手権 3大会出場
- 2015年 日本選手権優勝
など、国際大会でもコンスタントに結果を残します。
そして2016年、ついに夢だったオリンピック(リオデジャネイロ)代表入りをつかむことになります。
リオ五輪までの道のり|「3度目の正直」でつかんだ五輪
実は、荻田選手は最初から順風満帆にオリンピックまで行けたわけではありません。
ロンドン五輪は“あと一歩”で逃す
2012年のロンドン五輪シーズンでは、
- 織田記念で自己ベスト5m65(当時・日本歴代4位)
- オリンピック参加標準B記録も突破
と、五輪出場に手が届きそうなところまで行きましたが、日本選手権で3位に終わり、ロンドン行きの切符はつかめませんでした。
ここが1回目の「五輪への挑戦」。
世界と戦いながら、記録を積み上げる
その後も、
- 2013年 世界選手権モスクワ出場(5m40で予選落ち)
- 2015年 世界選手権北京出場(5m65成功も、5m70で予選落ち)
と、世界の舞台に出続けながら経験を積み重ねていきます。
2016年、リオへの切符
2016年シーズン、アメリカのテキサスリレーで自己ベストタイの5m70をクリアし、日本陸連が定めたリオ五輪派遣設定記録を突破。
日本選手権では2位でしたが、派遣設定記録を超えている選手の中で最上位となり、ついにリオ五輪代表に選ばれます。
ロンドンでは届かなかった五輪。
世界を転戦しながらの挑戦を続け、ようやくつかんだ「3度目の正直」の大舞台――それがリオだったわけです。
リオ五輪 男子棒高跳びの全体像
リオ五輪の男子棒高跳びは、2016年8月13〜15日にかけて、オリンピックスタジアム(エンジェニャン)で行われました。
- 出場選手:31人(16か国)
- 形式:予選 → 決勝
- 決勝の優勝者:チアゴ・ブラズ(ブラジル)、6m03のオリンピック新記録で金メダル
開催国ブラジルのブラズが、世界記録保持者ルノー・ラビレニ(フランス)を破って金メダルを獲得したことで、「今大会屈指の名勝負」としても知られています。
日本からは3人が出場
日本からは、
- 沢野大地(富士通)
- 荻田大樹(ミズノ)
- 山本聖途(トヨタ自動車)
の3名が予選に出場しました。
結果として、沢野選手のみが決勝進出。荻田選手と山本選手は予選敗退となります。
荻田大樹のリオ五輪 結果まとめ
では、荻田選手本人の記録を、時系列で整理してみましょう。
予選の高さ設定
男子棒高跳びの予選では、おおむね次のような高さが設定されていました(細かい刻みは大会ごとに多少違いますが、リオでは以下の流れ)。
- 1本目:5m30
- 2本目:5m45
- 3本目:5m60
- その後:5m75 など、決勝ラインを意識した高さへ
「5m70前後を跳べる選手」であれば、最低でも5m60はクリアしておきたい、そんなラインでした。
荻田選手の試技
日本語版Wikipediaなどの記録によると、荻田選手は次のような結果でした。
- 5m30:2回目で成功
- 5m45:2回目で成功
- 5m60:3回とも失敗 → 予選敗退(21位)
中日新聞・東京新聞などのリオ五輪結果一覧でも、
棒高跳び予選は沢野大地が5m60で決勝進出。荻田大樹は5m45、山本聖途は記録なしで敗退した
と記録されています。
つまり、
- 自己ベスト5m70には届かず
- 5m60の壁を越えられなかった
- 公式順位は21位で五輪の舞台を終えた
という結果でした。
当日のハプニングとは?世界中で拡散された“あのシーン”
リオ五輪で荻田選手が世界的に注目されたのは、残念ながら「記録」ではなく、ある意味で“事故”のようなハプニング動画でした。
5m30 1回目で起きた出来事
海外メディアの報道によると、問題のシーンが起きたのは5m30の試技(1回目)。
- 荻田選手はバーを越えたものの、
- 体や脚がバーをかすって揺らしてしまう
- そして落下する瞬間、下半身付近がバーに触れたように見える
- 結果としてバーが落ちてしまい、失敗試技に
この様子をスロー再生した映像がネット上に出回り、
一部の海外メディアは、かなり刺激的な見出しで、
「男性器がバーに当たって失敗した」
といった表現で報じました。
本当に“それ”が原因だったのか?
インドの大手メディアや他のニュースサイトでも、
- 「体がバーを揺らし、最後に股間あたりがバーに触れて完全に落ちた」
- 「この失敗がなければ、もっと高い高さに挑戦できた可能性もあった」
といった論調の記事が見られます。
ただし、実際の競技の世界では、
- 体のどの部分がバーに触れても「失敗」は失敗
- そもそも、バーを揺らすほどギリギリの高さだった
という事実の方が重要です。
「股間がバーに…」という表現は、
正直なところメディア側が面白おかしく取り上げた面もあり、
そこだけが一人歩きしてしまった感は否めません。
世界の反応|笑いと心配と、応援の声
SNSで一気に拡散
このハプニング動画は、各国のニュースサイトやSNSで一気に広まりました。
- 「見ているだけで痛そう…」
- 「こんな形で夢が終わるなんて気の毒だ」
- 「これもスポーツのドラマだね」
といったコメントが、英語圏を中心に世界中から寄せられました。
中には、下品な冗談やからかいのような投稿もありましたが、多くの人は「笑いもの」ではなく「気の毒だけど凄いチャレンジだった」という目線で受け止めています。
「五輪の夢を壊した」とまでは言えない
一部の記事では、
もし最初の5m30を失敗していなければ、もっと余裕を持って高さを上げられたかもしれない
という書き方もありましたが、実際の記録を冷静に見ると、
- 2回目で5m30をクリア
- 2回目で5m45もクリア
- しかし5m60は3回とも失敗
という流れなので、最初のハプニング“だけ”が敗因とは言えません。
棒高跳びはミリ単位の世界で、わずかな踏み切りのズレや風向き、精神状態の変化で結果が変わる競技です。
「ハプニングがなければ決勝に行けた」と言い切るのは、さすがに言い過ぎでしょう。
荻田大樹自身は、ハプニングをどう受け止めたのか?
関係する海外記事によると、荻田選手は五輪後、SNSなどを通じておおよそ次のようなメッセージを出したと紹介されています(意訳)。
- ネットの反応を見て驚いたが、
- 失敗の原因は“あの部分”だけではない
- 多くの人が関心を持ってくれたこと自体には感謝している
細かい表現はメディアごとに違いますが、要するに、
「自分の挑戦は、面白ネタだけでは終わらない」
という、前向きなメッセージを発信していたと受け止められています。
アスリートとしては、どれだけバズっても“ネタ”で終わってしまうのは本意ではないはずです。それでも、
「注目してくれた人がいるなら、その関心を次につなげたい」
という姿勢は、非常に荻田選手らしいと言えるでしょう。
「ハプニングの向こう側」にある、荻田大樹の実力
ネット上ではどうしても、
- 「性器」「ハプニング」といった言葉
- 刺激的な見出しの記事
ばかりが目立ってしまいます。
しかし、本来の荻田選手は、
- 自己ベスト5m70(日本歴代上位)
- 世界選手権3大会出場
- 日本選手権優勝
- アジアレベルの大会でメダル多数
という、日本を代表する実力者です。
リオでは確かに予選敗退でしたが、
- 競技人生の中の“たった1日”の結果
- しかも、その一部が切り取られて拡散されたにすぎない
とも言えます。
「ハプニングで有名になった選手」
ではなく、
「長年、世界と戦ってきた棒高跳びの第一人者」
として見ていくと、リオの出来事も、また違った意味を持って見えてきます。
リオ五輪のあと|起業と新しい挑戦へ
リオ五輪を終えた後も、荻田選手はただ「終わった人」にはなりませんでした。
ミズノ退社と起業
2021年には、長く所属してきたミズノトラッククラブを退社し、起業して新しい事業に挑戦することを発表します。
- 競技者としては引き続き棒高跳びに取り組む
- その一方で、子どもたちや次世代アスリートのための環境づくりに力を入れる
というスタイルを選びました。
スポーツを「人生の土台」にする活動へ
現在は、
- スポーツクラブの運営
- パーソナルジムや運動療育の事業
- 子ども向けのかけっこ・運動プログラムの監修
などを通じて、
「スポーツをもっと身近で、もっと楽しいものにする」 活動を続けています。
リオでのハプニングも含めて、長い競技生活で得た経験は、
- ケガや失敗も含めて、チャレンジを続ける大切さ
- 結果だけでなく「プロセス」を楽しむこと
- スポーツが人の人生を支えてくれる力
を伝えるための、ひとつの“ネタ”であり“教材”になっているのかもしれません。
まとめ
最後に、この記事のポイントを整理します。
リオの日の映像だけを見ると、どうしても「ネタ」として消費されがちです。
ですが、その裏には、
- 何年もかけて積み重ねてきた努力
- 何度も五輪に挑んでは届かなかった悔しさ
- それでも折れずに挑戦し続けたメンタル
があり、リオの“あの瞬間”も、長い挑戦の一コマにすぎません。
もしこの記事をきっかけに、
「ハプニングの人」ではなく、
“日本を代表する棒高跳び選手”としての荻田大樹に興味を持つ人が増えたら、
それこそ本人にとっても、いちばんうれしいことかもしれませんね。


