2026年センバツで大きな注目を集めたのが、専大松戸の持丸修一監督です。
77歳でセンバツ最年長勝利記録を更新し、専大松戸を春夏通じて初の4強へ導いたことで、「持丸監督ってどんな人?」と気になった人も多いはずです。
しかも持丸監督は、これまで竜ケ崎一、藤代、常総学院、専大松戸の4校を甲子園出場へ導いた名将として知られています。
2026年のチームについて「約50年監督をやっていて一番面白いチーム」と語ったことでも話題になりました。
持丸修一監督は、77歳でなお第一線に立つ高校野球界の名将です。
4校を甲子園に導いた非常に珍しい実績を持ち、竜ケ崎一・藤代・専大松戸では初出場も実現。
日本史教師として教壇に立ちながら、半世紀近く現場で結果を出し続けてきた監督です。
持丸修一監督のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 持丸修一(もちまる しゅういち) |
| 生年月日 | 1948年4月17日 |
| 年齢 | 77歳(2026年センバツ時点) |
| 出身 | 茨城県藤代町(現在の取手市) |
| 現在の所属 | 専大松戸高校 監督 |
| 主な実績 | 4校を甲子園出場に導く |
| 指導の特徴 | 投手育成、考えさせる指導、郷土愛を大事にしたチーム作り |
持丸監督は、もともと高校時代に竜ケ崎一で甲子園出場を経験した元高校球児です。
その後は國學院大に進学し、大学時代には新聞記者を目指していた時期もありました。
ところが、4年のときに母校でコーチを始めたことが転機となり、卒業後は母校で日本史の教員となります。
野球一筋で一直線に監督になったというより、教師として働く中で監督の道を深めていった人です。
2026年センバツで何がすごかったのか
2026年センバツで専大松戸は初戦で北照に勝ち、持丸監督は77歳11カ月でセンバツ最年長勝利記録を更新しました。
その後も勝ち進み、山梨学院を破って春夏通じて学校初の4強入り。準決勝では大阪桐蔭に2対3で敗れたものの、甲子園通算勝利数は11勝となりました。
2026年センバツでの持丸監督の主な話題
- 77歳でセンバツ最年長勝利記録を更新
- 専大松戸を春夏通じて初の4強へ導く
- 甲子園通算11勝に到達
- このチームを「約50年で一番面白いチーム」と表現した
この年の専大松戸が特別だったのは、結果だけではありません。
持丸監督は試合後、このチームについて「約50年監督をやっていて一番面白い」と語っています。
長い監督人生の中でここまで言うのですから、勝ち負け以上に、選手たちの雰囲気や試合の進め方に大きな魅力を感じていたのでしょう。
持丸監督の経歴を時系列で見る
経歴の流れがひと目でわかる表
| 時期 | 主な歩み |
|---|---|
| 高校時代 | 竜ケ崎一で甲子園出場 |
| 大学時代 | 國學院大へ進学、新聞記者志望の時期も |
| 1975年秋 | 27歳で竜ケ崎一の監督に就任 |
| 1990年夏 | 竜ケ崎一を甲子園へ導く |
| 1991年夏 | 竜ケ崎一で再び甲子園出場、星稜と対戦 |
| 1996年ごろ | 藤代へ転任 |
| 2001年春 | 藤代を甲子園初出場へ導く |
| 2003年 | 常総学院監督に就任 |
| 2007年末 | 専大松戸監督に就任 |
| 2015年夏 | 専大松戸を甲子園初出場へ導く |
| 2026年春 | 専大松戸を初の4強へ導く |
27歳で監督就任、初の甲子園までは16年
持丸監督は1975年秋、27歳で母校・竜ケ崎一の監督に就任しました。
ただ、そこからすぐ甲子園に行けたわけではありません。
初出場は1990年夏で、就任から16年後です。42歳で初めてつかんだ甲子園でした。
派手に一気に駆け上がったのではなく、長く積み上げて結果を出した監督だとわかります。
松井秀喜を擁する星稜に敗れた若き日の夏
1991年夏、竜ケ崎一は甲子園で勝利を挙げたあと、次戦で松井秀喜選手がいた星稜と対戦し、敗れました。
いまでは大ベテランの持丸監督ですが、若い頃にはそうした強豪との真っ向勝負も経験しています。
この時代の悔しさが、その後の指導者人生の土台になったと感じる人も多いはずです。
藤代でも初出場、常総学院でも甲子園へ
その後、持丸監督は藤代へ転任し、2001年春に同校を甲子園初出場へ導きました。
さらに2003年には木内幸男氏の後任として常総学院の監督に就任します。
木内氏が、同じ茨城で長く競ってきた持丸監督の力量を高く評価し、自ら後任に招いたと伝えられています。
ここでも、持丸監督が県内でも特別な存在として見られていたことがわかります。
専大松戸で再び学校の歴史を変えた
2007年末からは専大松戸の監督に就任し、2015年夏に同校を甲子園初出場へ導きました。
専大松戸はその後も着実に力をつけ、2023年春にはベスト8、2026年春にはついに初の4強入りを果たします。
持丸監督は、名門校だけでなく、まだ甲子園の歴史が浅い学校の土台を作って勝たせる監督でもあります。
「4校全て甲子園」の本当のすごさ
持丸監督の実績で特に目を引くのが、「4校を甲子園に導いた」という点です。
こうした記録は非常に珍しく、2026年時点の報道でも、戦後ではごく限られた監督しか達成していない快挙として紹介されています。
ただし、ここは正確に見ておきたいところです。
竜ケ崎一、藤代、専大松戸は持丸監督が初出場へ導いた学校ですが、常総学院はもともと甲子園実績のある学校です。
つまり、「4校すべてを初出場に導いた」という意味ではありません。
それでも、4校で甲子園に出たという事実そのものがとても珍しく、持丸監督のすごさは十分伝わります。
実績をわかりやすく整理するとこうなります
- 4校を甲子園出場へ導いた
- そのうち竜ケ崎一・藤代・専大松戸は初出場
- 常総学院では木内幸男氏の後任として甲子園で指揮
- 学校が変わっても結果を出してきたことが最大の強み
木内幸男が後任に指名した“ライバル”だった
持丸監督の経歴を語るうえで外せないのが、木内幸男氏との関係です。
持丸監督は中学時代に木内氏の指導を受けたことがあり、その後は茨城の高校野球界で互いに競い合う立場になりました。
そして2003年、木内氏が常総学院を離れる際、その後任に持丸監督が就くことになります。
これは、単なる人事というより、実力を認められていたからこそ実現した流れと見ていいでしょう。
強豪校の後を継ぐのは、簡単なことではありません。
期待も大きく、比較もされます。その中で監督を任されたというだけでも、持丸監督がどれほど高く評価されていたかがわかります。
投手育成の名将としても知られる理由
持丸監督は、投手育成に定評のある監督としても知られています。
教え子には、美馬学、上沢直之、高橋礼、横山陸人らがいます。
2022年のインタビューでは、これまでプロ入りした選手13人のうち9人が投手だと紹介されており、投手を育てる力の高さが数字でも見えてきます。
もちろん、ただ球の速い投手を集めただけではここまで続きません。
学校ごとに事情も選手層も違う中で、どこでも投手を育ててきたところに持丸監督の本当のすごさがあります。
誰か一人のスターに頼るのではなく、チーム全体の中で投手を育ててきたからこそ、これだけ長く実績が続いているのでしょう。
寮なし・地元中心でも勝てるという考え方
2026年の報道では、専大松戸には寮がなく、選手は全員が自宅から通っていると紹介されています。
持丸監督は「地元やその周辺の選手たちと野球をやりたい」と語り、昔から大切にしてきた「郷土愛」を今も重視していることを明かしています。
しかも印象的なのは、「寮がないから負けた」といった言い訳は絶対にしたくないと話している点です。
全国から有力選手を集める学校を否定するのではなく、自分は自分のやり方で勝負する。その姿勢が、持丸監督らしさそのものです。
持丸監督の野球観がよくわかるポイント
- 地元や周辺地域の選手を大事にする
- 寮なしでも勝てるチームを作る
- 他校のやり方を否定せず、自分の信念を貫く
- 条件より育成と工夫で勝負する
「強制は好きじゃない」名将の素顔
持丸監督の人柄がよく出ているのが、2026年センバツで紹介された指導哲学です。
毎日新聞では「強制は好きじゃない」という言葉が取り上げられ、ことわざなども交えながら、選手に考えさせる指導を大事にしていることが伝えられています。
また、準決勝後には「子供たちの気力とか、楽しさとか、そういうのに釣られてグラウンドへ行くのが楽しい。楽しくなくなったら辞めるべき」とも話しました。
勝つことはもちろん大事でも、そこだけで野球をしているわけではない。
選手が前向きに野球をやること、子どもたちが喜ぶことを大切にしている監督だと伝わってきます。
2017年のインタビューでも、「野球は楽しまないとだめ。苦しんでやるもんじゃない」という考え方を語っており、この姿勢は今になって急に出てきたものではありません。
長く一貫している考え方だとわかります。
持丸監督は結局どんな人?
持丸修一監督は、77歳でなお結果を出し続ける高校野球界の名将です。
ただ年齢が話題になっている人ではなく、4校を甲子園へ導き、複数校を初出場へ導き、投手を育て、教育者としての視点も持ち続けてきた監督です。
派手さよりも積み重ね、強制よりも自主性、全国から集めるよりも地元を大切にする。
その姿勢を半世紀近く貫きながら、2026年センバツでは「50年で一番面白いチーム」と言える集団まで作り上げました。
そう考えると、持丸監督が今あらためて注目されているのは、決して偶然ではありません。
FAQ
持丸修一監督は何歳ですか?
1948年4月17日生まれで、2026年センバツ時点で77歳です。
持丸監督はどこの監督ですか?
2026年時点では専大松戸高校の監督です。
4校すべてを初出場に導いたのですか?
いいえ。竜ケ崎一、藤代、専大松戸は初出場へ導いていますが、常総学院はもともと甲子園実績のある学校です。
持丸監督の教え子で有名な選手は誰ですか?
美馬学、上沢直之、高橋礼、横山陸人らがよく知られています。投手育成に定評があります。
持丸監督の指導の特徴は何ですか?
「強制は好きじゃない」という考え方に表れているように、選手に考えさせる指導を重視しています。また、地元や周辺地域の選手を大切にする姿勢も大きな特徴です。
まとめ
持丸修一監督は、2026年センバツで77歳の最年長勝利記録を更新し、専大松戸を初の4強へ導いたことで、あらためて全国にその名を印象づけました。
ですが、本当のすごさは今回だけではありません。
27歳で監督になってから長く現場に立ち続け、4校を甲子園へ導き、投手を育て、学校が変わっても結果を出してきたところにあります。
いまの持丸監督をひと言で表すなら、年齢を重ねてもなお進化をやめない現役の名将です。
だからこそ、2026年の専大松戸の快進撃は、多くの人の心を動かしたのだと思います。
