荻原大翔のすごさを語るとき、必ずセットで名前が出てくるのが「父・崇之さん」です。
そして、実はお母さんもスキー・モーグル経験者と言われていて、「ウインタースポーツ一家」で育ったことがわかっています。
この記事では、
- 父・崇之さんはどんな人?
- 母親はどんな役割を担ってきた?
- 家族構成は?兄弟はいるの?
- 子どもの頃のエピソード
をまとめていきます。
- 荻原大翔を育てたのは「ガチ英才教育」ではなく“スノボ大好き家族”
- 父・荻原崇之さんはどんな人?|17歳から滑り続ける“スノボおたく”なお父さん
- 「ネコマ マウンテン」を知り尽くした父|ハーフパイプ造成にも関わっていた
- 「3歳から毎週末スキー場」|子どもの頃のハードだけど楽しそうな生活
- 「スノボを嫌いにさせない工夫」|父の子育てがめちゃくちゃ細かい
- 家族の金銭的・時間的な支え|「高速は基本使わない」レベルの節約
- 母親はどんな人?|モーグル経験者とされる“影の支え”
- 「雪なし県」茨城から世界へ|庭の人工芝とネコマで育った天才
- 父が語る「目標設定のしかた」|9歳にしてすでに“逆算思考”
- まとめ|“世界のHiroto”をつくったのは、こんな家族だった
荻原大翔を育てたのは「ガチ英才教育」ではなく“スノボ大好き家族”
まず大前提として知っておきたいのは、
荻原家は、親子そろってスノーボードが大好きな「雪山ファミリー」
ということです。
- 茨城県牛久市出身(雪がほとんど降らない地域)
- 両親の影響で3歳からスノーボードをスタート
- 2017年、中学生ですでにプロ資格を取得
という経歴を見ると、「めちゃくちゃ早い段階から、本気の英才教育を受けてきたのかな?」と思いがちですよね。
でも、インタビューや父親の話をよく読むと、実態は少し違います。
- 最初のテーマは「うまくさせること」ではなく スノーボードを好きになってもらうこと
- 練習は“修行”ではなく 家族で遊ぶ時間
- 競技モードになるのは、本人が「もっとやりたい」と言い出してから
この空気感こそが、今の「世界一のスピンマスター」につながっているんです。
父・荻原崇之さんはどんな人?|17歳から滑り続ける“スノボおたく”なお父さん
17歳でスノーボードに出会い、25年以上続けてきた
インタビューによると、父の荻原崇之さんがスノーボードを始めたのは17歳の頃。そこから25年以上、ずっと続けている「筋金入りのスノボ好き」です。
- 20代後半にはハーフパイプの大会にも出場
- 海外のキャンプに参加したり、山にこもって滑ったりした時期もある
- 自分のことを「底辺の競技者」と笑いながら語る、ちょっと自虐キャラなお父さん
成績だけ見れば“プロ選手”と言えるほどではなかったかもしれません。でも、
「自分が本気でのめり込んだスポーツを、いつか子どもと一緒にやりたい」
という熱量を持ったお父さんだからこそ、「スーパーキッズ・大翔」が育ったとも言えます。
妻も15年のスノボ歴|夫婦そろって横乗りカルチャー世代
崇之さんはインタビューの中で、
「妻も15年くらいのスノーボード経験がある」
と話しています。
つまり、
- 父:元ハーフパイプ競技者、25年超のキャリア
- 母:15年ほどのスノーボード経験者
- 息子:3歳からボードに乗っている天才スノーボーダー
という“フル装備”のウインタースポーツ一家。
のちほど詳しく書きますが、一部の記事では「母親は元モーグル選手」とも紹介されています。競技レベル(日本代表なのか、実業団レベルなのか)は公式情報が少なく断定できませんが、少なくとも「ガチの雪山経験者」であることはほぼ間違いありません。
「ネコマ マウンテン」を知り尽くした父|ハーフパイプ造成にも関わっていた
大翔のホームマウンテンとして有名なのが、福島県のスノーリゾート、ネコマ マウンテン です。
星野リゾートの特設サイトでは、こんな記述があります。
幼少期からネコマ マウンテン(旧猫魔スキー場)で滑り続けてきた大翔。その原点には、父・崇之さんの存在がある。
自身がかつてハーフパイプ造成に携わった山で、息子を遊ばせ…
つまり、
- お父さんは、過去にネコマのハーフパイプづくりに関わっていた
- 自分がよく知っている地形・パークで、大翔を遊ばせ、練習させていた
ということです。
これ、よく考えるとかなり「最強の環境」ですよね。
- 地形のクセや安全なラインを、父が誰よりも理解している
- その山で息子に滑らせるので、「ここまでなら攻めてOK」「ここは無理させない」と判断しやすい
- だからこそ、高難度トリックでも “壊れないギリギリ” を攻め続けられる
大翔が世界初の2160、2340といった“世界記録レベル”の技をネコマで磨き上げてきた背景には、父のこうした「現場感覚」も大きく影響しているはずです。
「3歳から毎週末スキー場」|子どもの頃のハードだけど楽しそうな生活
3歳デビュー、最初は年10日ペース
父・崇之さんのロングインタビューを読むと、大翔の幼少期の様子がかなり具体的に出てきます。
3歳の冬
- サイドスリップ(横滑り)で、ロープで補助しながら少しずつ滑る
- シーズン中の滑走は、年10日くらい
- シーズン後半になると、緩い斜面で転びながら両方向のターンがなんとかできるように
オフシーズン
- 近所の「カムイ龍ヶ崎」という室内ゲレンデで月1回程度“雪遊び”
- ここで板に乗る感覚を忘れないようにしていた
まだこの頃は、「天才キッズを育てるぞ!」というより、
「雪がない茨城でも、できるだけ雪とボードに触れさせておきたい」
というくらいのイメージだったようです。
4〜6歳で一気に“スノボ中心生活”へ
年齢が上がるにつれ、生活スタイルがどんどん「スノボ寄り」に変わっていきます。
4歳
- 毎週末、いろいろなスキー場へ
- この頃に「パークデビュー」(小さなジャンプやボックスに挑戦)
5歳〜
- シーズン中は「毎週末スノーボード」
- オフはカムイ龍ヶ崎や長野の小布施などの施設へ月2日ペースで通う
6歳〜
- 「千葉キングス」(ジャンプ練習用の人工施設)がオープンしてから、毎週通うように
- 6歳以降は「通年・毎週末スノーボードしている」状態に
ここまで読んで、「いやいや、これほぼプロの生活では?」と思った方も多いはずです。
でも父の言葉をよく読むと、
「大翔にとっては“辛い練習”ではなく“楽しい遊び”の延長」
というのがポイントなんですよね。
平日は「公園でサッカー」「自転車」「外遊び」
意外なのは、平日の過ごし方です。
- 平日はふつうの小学生のように、自転車に乗ったり、公園でサッカーをしたり
- 特別な筋トレやフィジカルトレーニングは、幼少期はほとんど行っていない
父いわく、
「子どものうちは走り回って遊ぶだけで十分」
と考え、体幹トレーニングなども、あえて入れていなかったそうです。
「がちがちに鍛える」のではなく、あくまで「遊びの中で身体能力を伸ばす」スタイルだったのが、荻原家流、と言えますね。
「スノボを嫌いにさせない工夫」|父の子育てがめちゃくちゃ細かい
父・崇之さんが一番大事にしていたのは、
「まずは、スノーボードを嫌いにさせないこと」
です。ここには、親の小さな工夫がたくさん詰まっています。
工夫① 車内のDVDは常にスノーボード
- 車の中で流すDVDは、いつもスノーボードの映像
- 移動時間そのものが「スノボのイメトレ時間」になる
子どもは、長時間の移動って退屈になりがちですが、好きな映像を流しておけば「ゲレンデに着くまでの時間」もワクワクの一部になります。
工夫② 「滑りに行く日は好きなDVDをレンタルしてOK」
- 「ゲレンデに行く日=好きなDVDをレンタルできる日」というご褒美ルール
- 子どもからすると、「スノボの日=楽しい日」と条件付けされていく
このあたり、完全に“親の心理戦”です。
でもこういう小さな仕掛けが、長く続けるうえではめちゃくちゃ効いてくるんですよね。
工夫③ ポケットには常にお菓子
- 父はポケットにお菓子を忍ばせておき、休憩中に渡す
- 寒いゲレンデでも、「甘いもの+一息つける時間」があると、子どもはまた頑張れる
「スノボ=寒くてつらい」ではなく
「スノボ=ちょっと頑張るとごほうびがある、楽しい時間」
という印象で終わらせるように、細かく気をつかっていたことがわかります。
工夫④ 吹雪の日は無理をさせない
父は、
- できるだけ「天気の良いスキー場」を選ぶ
- 吹雪の日は、無理して滑らせない
とも語っています。
大人でも吹雪のゲレンデはつらいですよね。
そこで「もう行きたくない」と思わせてしまったら、せっかく育ち始めた“好き”の芽が折れてしまいます。
「辛い記憶で終わらせない」というのが、荻原家の一貫した方針と言えます。
家族の金銭的・時間的な支え|「高速は基本使わない」レベルの節約
スノーボード競技を、本気で続けるにはお金も時間もかかります。
父のインタビューでは、かなりリアルなお財布事情も語られています。
- オフシーズン:キングスなどの施設のパス・利用料、月4回の交通費、食事代、風呂代
- オンシーズン:リフト券やシーズン券、ギア、遠征費、大会のエントリー費
- 子どもの成長に合わせて、板やブーツもどんどんサイズアップが必要
そして何より効いてくるのが「移動費」。
茨城から各地のゲレンデや練習施設に通うとなると、高速代とガソリン代だけでとんでもない金額になることは想像がつきます。
そこで崇之さんは、
「節約のために、高速道路は基本的に使わない」
というルールまで作っていたそうです。
- 早朝に出て下道で長時間ドライブ
- 車中泊をしながら、あちこちのゲレンデに通う
大変そうに聞こえますが、父は
「全く大変だとは思わない。親も一緒に楽しんでいるから」
と語っています。
「親への感謝はいらない。とにかく、いろんな人との出会いに感謝してほしい」
という言葉からも、サポートを“義務”ではなく、親の楽しみとして受け止めているスタンスがよく伝わってきます。
母親はどんな人?|モーグル経験者とされる“影の支え”
父に比べると、母親についての公式情報はかなり少ないです。
ただ、いくつかのポイントは共通して出てきます。
スキー・モーグル経験者で、雪山に慣れたお母さん
- 父のインタビューで「妻も15年ほどスノーボードをしている」と明かされている
- 一部のメディアでは「元モーグル選手」と紹介されている
「日本代表レベルかどうか」や「オリンピック出場経験があるか」については、
公的な団体や大手メディアのはっきりした裏付けが見つからないため、ここでは断定はしません。
とはいえ、
- 冬の山での過ごし方
- 競技として結果を目指す大変さ
- シーズン中の生活リズムや、遠征のハードさ
を理解している親が二人いる、というだけでも、かなり心強いですよね。
大翔にとっては、
- 父:技術面・練習環境の“攻め担当”
- 母:体調管理・メンタルケアの“守り担当”
というバランスで支えてくれる存在だったと考えられます。
3人家族?兄弟はいるの?
家族構成についても、公式な情報は多くありませんが、
- 市の公式サイトや紹介記事では「両親の影響で3歳からスノーボードを始め…」という書き方が中心
- 家族構成をまとめた記事では、「父・母・大翔の3人家族の可能性が高い」としつつ、兄弟については公式情報がない、としています
兄弟姉妹がいるという噂も一部にはありますが、本人や家族が公にはしていないため、はっきりしたことは言えません。
少なくとも言えるのは、
公に出ている情報として確実なのは、「両親と大翔」という3人の存在
というレベルです。
家族があえて情報を出していない可能性もあるので、ファンの立場としては、
- 無理に詮索しない
- 公開されている範囲の情報を楽しむ
くらいの距離感でいるのが、大人としてのマナーかなと思います。
「雪なし県」茨城から世界へ|庭の人工芝とネコマで育った天才
ここからは、家族全体で作り上げた「環境」の話です。
雪がほとんど降らない茨城で育つ
茨城新聞のインタビューでは、こんな印象的なくだりがあります。
- 大翔は、雪がほとんど降らない「雪なし県」茨城の出身
- 両親に連れられて、3歳から週末に県外のスキー場へ
- 平日は、自宅の庭に人工芝を敷いて、板をひねる感覚をひたすら練習
「雪国で生まれたから強くなった」のではなく、
「雪がないからこそ、“雪を求めて動きまくる家族”になった」
と見ることもできます。
ネコマ マウンテンと練習施設の“トライアングル”
大翔の成長を支えた場所を整理すると、
- 冬:ネコマ マウンテン(旧猫魔スキー場)などのゲレンデ
- オフ:カムイ龍ヶ崎、小布施、千葉キングスなどの練習施設
- 平日:自宅の庭の人工芝
という「三角形」のような構図が見えてきます。
これだけ聞くとすごく特別な環境に思えますが、よく見ると、
- どの施設も「誰でも利用できる」場所
- その代わり、そこに通い続けるだけの情熱と時間とガソリン代が必要
という世界です。
つまり、
特別なトレーナーや私設ゲレンデがあったわけではなく、
「普通にある環境を、家族総出で最大限に使い倒した」のが荻原家
と言えます。
父が語る「目標設定のしかた」|9歳にしてすでに“逆算思考”
父はインタビューで、
「今年何をやるべきか?
そのために今月何をするべきか?
今日何をするべきか?」
という話をよく大翔としていた、と語っています。
これはまさに“逆算思考”。
- 将来:オリンピックやX-gamesで戦う
- 数年後:そのレベルで必要になるトリックを想像する
- 今年:その土台となる技を完成させる
- 今月・今日:そのために必要な練習メニューを考える
こんな会話を、小学生のころから親子でやっていたというのだから驚きです。
ここまで来ると、
- 「すごい才能の子が、たまたま生まれた」のではなく
- 「スノボ大好きな家族の中で、時間をかけて作られてきた天才」
と言った方が、実態に近いのかもしれません。
まとめ|“世界のHiroto”をつくったのは、こんな家族だった
最後に、ポイントを整理しておきます。
父・崇之さん
- 17歳でスノーボードに出会い、25年以上続けている“スノボおたく”
- 20代後半にはハーフパイプの大会にも出場、山ごもりや海外キャンプも経験
- 福島のネコマ マウンテン(旧猫魔スキー場)でハーフパイプ造成に関わった経験もあり、その山で大翔を育てた
- 「スノボを嫌いにさせない」ために、DVD・お菓子・天気など細かい工夫を続けてきた
母親
- 15年ほどのスノーボードキャリアを持つ雪山経験者
- 一部メディアではモーグル経験者とも紹介されているが、詳細は非公開
- 競技の厳しさも楽しさも知る“理解のあるサポーター”として、精神的な支えになっている存在と考えられる
家族全体として
- 雪がほとんど降らない茨城から、毎週末スキー場に遠征
- 平日は庭の人工芝や近所の施設で、ひねりの感覚やイメージトレーニング
- 高速代節約のために下道で通うなど、金銭的工夫をしながらも「親も楽しんでいるから大変ではない」というスタンス
- 小学生の頃から、「将来のオリンピック」を見据えた逆算思考で目標設定をしていた
荻原大翔のとんでもないスピン(2160や2340)は、もちろん本人の努力とセンスの結果です。
でも、その「当たり前」を支える土台には、
- スノボ大好きな父と母
- 雪のない土地から、雪を求めて走り回った家族の時間
- 「楽しい」を最優先しながらも、ブレずに続けた日々
がありました。
ミラノ・コルティナ五輪で彼のライディングを見るとき、
その後ろにいる家族の姿も、ちょっと想像しながら見ると、
画面の向こうの一つひとつのジャンプが、より立体的に見えてくるはずです。







