この記事では、伏見寅威(ふしみ・とらい)選手について
- 兄弟がいるのかどうか
- 中学教師のお父さん
- 「寅威ママ」と呼ばれるお母さん
- 北海道・千歳の実家と、野球を続けてこられた環境
について整理していきます。
※プライバシーに関わる部分もあるので、「推測レベルの話」と「本人・メディアが公表している事実」はきっちり区別してお伝えしますね。
基本プロフィールと「実家」の場所
まずは簡単に、伏見寅威選手のプロフィールから確認しておきます。
- 名前:伏見 寅威(ふしみ・とらい)
- 生年月日:1990年5月12日
- 出身地:北海道・千歳市
- ポジション:捕手
- 出身校:東海大四高(現・東海大札幌)→東海大学
実家は北海道・千歳市の家族と暮らしていた家庭だと報じられています。
少年時代の野球環境
- 小学3年生のとき、江別市の小学校で野球を始める
- 投手や遊撃手としてプレーしていたが、中学時代に所属した「札幌白石シニア」で捕手へ転向
つまり、
「千歳で生まれ、江別で野球を始め、札幌のシニアで捕手になった」
という、道央エリアをまたぐ“どさんこ野球人生のスタート”だったわけですね。
高校は札幌市の東海大四高へ進学し、3年春には北海道大会優勝。主将も務め、まさに地元を背負うキャプテン捕手として育っていきました。
中学教師の父:ラグビー出身の熱血スポーツマン
次に、お父さんについて見ていきます。
中学の体育教師で、ラグビー部の顧問
新聞のインタビューや野球メディアの記事によると、
- お父さんは現役の中学校体育教師
- 自らも学生時代にラグビーをしていて、全国大会(花園)出場経験がある
- 勤務先の中学でラグビー部を一から立ち上げた熱血タイプ
と紹介されています。
「中学の体育の先生で、ラグビー部の顧問」というと、ちょっと怖そうなイメージがあるかもしれませんが、伏見選手いわく
- 本気で激しく叱られたのは人生で一度だけ
だったそうです。
忘れられない“ただ一度の雷”
日刊スポーツの父の日企画では、その「一度だけの雷」のエピソードが紹介されています。
まだ小学生で、チームの主将だった頃。試合に負けたあと、伏見少年は
「あいつがエラーしたから」
と、ついチームメイトのせいにしてしまったそうです。
それを聞いたお父さんが、初めて本気で叱りました。
- キャプテンが人のせいにしたらチームはまとまらない
- 負けた原因は、自分も含めた“チーム全体”で考えなさい
というような内容だったといいます(要旨)。
この出来事は、伏見選手が「キャッチャー=チームをまとめる立場」として成長していく上で、大きな転機になったと語られています。
名前「寅威」の由来はラグビー用語の“トライ”
名前の由来も、お父さんのラグビー愛から来ています。
- ラグビーの得点につながるプレー「トライ(TRY)」
- 「何事にも挑戦してほしい」という思い
これらを込めて、「寅威(とらい)」という漢字を当てた、と複数のメディアで紹介されています。
「ラグビーをやってほしい」という気持ちもあったそうですが、実際には息子は野球を選びました。それでもお父さんは、
- シニアで捕手に転向するときも
- 高校・大学進学の選択も
基本的には息子の意思を尊重しつつ、要所で背中を押してきたタイプのようです。
「寅威ママ」のルーツ?明るくポジティブな母・亜矢子さん
続いて、お母さんについてです。
スポーツニッポンの記事などによると、伏見選手のお母さんは
- 名前は亜矢子さん
- とても明るくポジティブな性格
- 落ち込んでいるときは「そんな顔しててもしょうがないでしょ」とグイッと上向かせてくれるタイプ
と紹介されています。
学生時代からずっと“メンタルの支え”
伏見選手は、学生時代からずっと
- 試合でうまくいかなかったとき
- 怪我やスランプで落ち込んだとき
に、お母さんに支えられてきたと語っています。
実際、2024年の「母の日」に合わせた取材では、
- ふっくらして肌触りが良くなる「育てるタオル」を母にプレゼント
- 「めちゃくちゃポジティブ。性格は母に似ている」と笑顔で話していた
というエピソードも紹介されています。
チームからも「寅威ママ」と呼ばれる存在に
伏見選手自身が「寅威ママ」と呼ばれているのも、有名な話ですね。
- オリックス時代、チーム内の「お母さんランキング」で1位に
- 後輩の初ヒットや誕生日に、サプライズでプレゼントを用意
- ピッチャー陣を陰で支え、気配りが細かい
こうした姿が評価されて、チームメイトから“ママ”と呼ばれるようになったと、地元紙などが伝えています。
伏見選手自身も、
「母に性格が似ている」と感じている
と話していますから、
「寅威ママ」のルーツは、実のお母さんの明るさと面倒見の良さにあると言ってよさそうです。
兄弟はいる?一人っ子と言われる理由
「兄弟はいるの?」という点については、ファンの間でもよく話題になります。
結論から言うと、
- 公的なインタビューや球団の公式情報などで兄弟の存在が語られたことはない
- 家族紹介でも、よく出てくるのは「父と母」の話だけ
というのが現状です。
一部の家族ネタを扱うブログでは、
- これだけ情報が出ないので、一人っ子の可能性が高いのでは
と解釈している記事もあります。
ただしここはとても大事なポイントで、
「伏見選手本人が『一人っ子です』と公言したわけではない」
という点は、きちんと押さえておく必要があります。
つまり、
- 兄弟に関する確定情報は出ていない
- 兄弟がいないという話も、あくまで「情報が見つからない=一人っ子かもしれない」という推測レベル
にとどまります。
チームメイトを“兄弟のように”大切にするスタイル
同じく家族系の記事やコラムでは、
- 後輩やチームメイトにサプライズプレゼントをしたり
- 誕生日を祝ったり
というエピソードから、
「チームメイトを兄弟のように大切にしているのでは」
という見方も紹介されています。
本当の家族構成は本人と家族にしか分かりませんが、
“家族みたいにチームを大事にしている捕手”であることは、エピソードからも強く伝わってきますね。
北海道・千歳の実家と、野球を続けられた環境
ここからは、家族の支えと「実家の環境」に話を広げていきます。
道産子キャッチャーが育ったルート
先ほども少し触れましたが、改めて整理すると、
- 北海道・千歳市で生まれる
- 小学3年で江別市の小学校チームに入り、投手・遊撃手として野球を始める
- 江別第一中学に通いながら、札幌白石シニアで捕手へ転向
- 札幌市の東海大四高(現・東海大札幌)で主将として活躍し、春の北海道大会優勝
- 東海大学では1年秋から正捕手、2年春には4番・首位打者・MVPなど大活躍
かなり移動距離もありますし、
遠征や練習試合が多い高校・大学時代まで含めると、家族のサポートなしでは続けられないスケジュールです。
- 送り迎え
- 遠征費用や道具代
- 応援やサポート
こうした部分を、実家のご両親が支えてきたことは間違いありません。
「渋谷にルーツ?」という話も
道新スポーツの選手対談では、
- 伏見選手には「千歳だけでなく、東京・渋谷方面にもルーツがあるのでは?」
といった話題も出ていました。
詳細は明かされていませんが、
- 両親のどちらかが本州出身
- 親族が首都圏にいる
といった可能性も考えられます。
ただ、ここもやはりプライベートな領域なので、
「地元は千歳市だが、家系として少し東京とのつながりもあるらしい」程度の、ふんわりした情報にとどめておくのがよさそうです。
家族から受け継いだ“寅威らしさ”とは?
ここまで、
- 中学体育教師でラグビー出身の父
- ポジティブで明るい「寅威ママ」こと母
- (兄弟については非公表で、情報はほぼゼロ)
- 北海道・千歳から道内各地を回りながら野球を続けてきた環境
を見てきました。
それらをまとめると、今の伏見寅威像がかなりクッキリしてきます。
父から受け継いだもの
- 「トライ」に由来する“挑戦する心”
- ラグビー部を一から立ち上げる行動力
- キャプテンとして「人のせいにしない」責任感
これらは、
- 捕手として投手を引っ張るリーダーシップ
- 怪我からの復活や、移籍という大きな決断に立ち向かう姿勢
にしっかりつながっています。
母から受け継いだもの
- 落ち込んでいても最終的には前を向かせるポジティブさ
- 周りへの気配りと、さりげない優しさ
これはそのまま、
- 「チームのお母さんランキング」1位
- 「寅威ママ」と呼ばれるほどの面倒見の良さ
という形で、プロの世界でも発揮されています。
家族の応援があってこその“地元・北海道でのプレー”
FAで日本ハムに移籍したとき、本人は
- 「地元・北海道のチームでプレーできることがうれしい」
- 「特別な場所を、もっと盛り上げたい」
と語っていました。
千歳で育ち、北海道のあちこちでプレーしてきた道のりを考えると、
「あの頃からずっと応援してくれた父と母に、プロの舞台で恩返しをしたい」
という思いもきっとあるはずです。
まとめ
最後に、この記事の内容をギュッとまとめます。
こうして並べてみると、
「挑戦する心と責任感をくれた中学教師の父」
「ポジティブさと優しさをくれた“本物の寅威ママ”」
この2人の存在が、
“チームを家族のように支えるキャッチャー・伏見寅威”の土台になっていることがよく分かります。
これからも、私たちファンにできるのは、
- グラウンドで戦う伏見選手を応援すること
- その背中をずっと支えてきたご家族にも、心の中で「ありがとう」と言うこと
かもしれませんね。



