※この記事はドラマ『良いこと悪いこと』第8話までの内容をもとにしたネタバレ&考察記事です。
まだ見ていない方はご注意くださいね。
(最終回はまだ放送前なので、「最終回でこう回収されそう」という予想も含みます)
「森のくまさん」替え歌が怖すぎる…というところから始めよう
『良いこと悪いこと』(イイワル)は、
小6の同級生たちの“ちょっとした悪ふざけ”が、22年後に連続殺人事件になって返ってくる…という考察ミステリーです。
その中でも、ひときわ強いインパクトを残しているのが
童謡「森のくまさん」をベースにした、6年1組オリジナルの替え歌
ですよね。
- 懐かしい童謡なのに、なぜか不気味
- あだ名がそのまま歌詞に入っている
- しかも歌の順番どおりに同級生が狙われていく
という、“笑いのネタ”がそのまま“死の暗号”になっている構図です。
この記事では、
- 「森のくまさん」替え歌の歌詞と仕組み
- 替え歌に仕込まれた伏線
- 最終回でどう回収されそうか
- この替え歌が本当に言いたい“意味”
を整理していきます。
まずは原曲おさらい:「森のくまさん」の基本構造
元になっている童謡「森のくまさん」は、
ある日 森の中 くまさんに 出会った
花咲く森の道 くまさんに 出会った
…というように、
- 「ある日」
- 「森の中」
- 「くまさん」
- 「出会った」
- 「花咲く森の道」
といったパーツを、リズムよくつないでいく歌です。
この“パーツ構造”があるおかげで、
ある日 → あるひんちゃん
森の中 → 森のなかんたろう
…というように、少し文字を足したり区切り方を変えたりするだけで、あだ名を自然に入れられるようになっています。
この「ちょっとした言葉遊び」が、
のちの“大きすぎる伏線”になるわけですね。
ドラマ版「森のくまさん」替え歌の歌詞と仕組み
ドラマ内で出てきた替え歌は、考察勢のまとめによると次のような形になっています。
ある ひんちゃん
森のな カンタロー
くまさん ニコちゃん
出会っ ターボー
花咲く森のみ ちょんまげ
くまさんに出会っ タカキング
それぞれ、6年1組の“仲良し組”のあだ名が入っています。
- ひんちゃん(幹太郎の「幹(みき)」=木→“ひんちゃん”説など諸説あり)
- カンタロー(幹太郎本人)
- ニコちゃん
- ターボー(小山隆弘)
- ちょんまげ(羽立太輔)
- タカキング(高木将=キング)
そしてこの替え歌が、
「誰がどの順番で狙われるか」という“犯行リスト”になっていると考えられています。
ドラマでは、
- 替え歌が流れる
- その順番どおりに、同級生たちが次々と事件に巻き込まれる
という展開が描かれてきました。
子どものころは「ウケる替え歌」
大人になってからは「死の宣告」
というギャップが、視聴者に強い不気味さを与えています。
替え歌がそのまま「伏線のかたまり」になっている理由
この替え歌は、単なる“悪ノリソング”ではありません。
ドラマの中で、いくつもの伏線をはらんだ重要アイテムになっています。
① 犯行の「順番」を示す伏線
まず一番わかりやすいのが、順番の伏線です。
「森のくまさん」替え歌の歌詞
= 狙われる同級生たちの順番
として登場し、
第2話の時点から「この順番どおりに死んでいくのでは?」と考察が盛り上がりました。
順番がわかってしまうからこそ、
- 視聴者は「次は誰だ…?」とハラハラ
- 登場人物たちは「どうすれば止められる?」と右往左往
という緊張感が生まれています。
② 「6人組」だと思わせておいて「7人目」がいる伏線
もう一つの大きなポイントは、
替え歌は“6人組”の歌として覚えられていた
けれど、実は“7人目”の名前も隠れていた
というトリックです。
第7話で、小山(ターボー)が見つけた小学生時代のガラケー動画。
そこには、歌の途中でもう一人フレームインしてくる少年が映っていました。
そして、歌詞をよく聞くと
「森のなカンタロー」
=「森(くん)の中 カンタロー」という聞き方もできる
という、“森”という名字をさりげなく紛れ込ませた構造になっていたことが判明します。
- 子どもたちは「6人組の楽しい替え歌」として歌っていた
- でも実は、“7人目”である森もそこにいた
という「認識のズレ」が、このドラマ全体のテーマにもつながってきます。
③ 替え歌の「作者」は誰か?という伏線
さらに、替え歌そのものも
「これを最初に考えたのは誰なのか?」
という犯人候補をしぼるヒントにもなっています。
- 元の歌の構造を理解している
- クラスメイト全員のあだ名を知っている
- 6人と森をまとめて“ネタ”にできる立場にいた
こうした条件から、
「作詞できるのは6年1組の内側の人間だ」と考察されているわけですね。
「森のくまさん」に隠された“7人目・博士”の正体
第7話〜第8話で、ついに
「7人目の同級生=博士」の正体が森智也である
ことが判明しました。
- 6年1組の途中で転校した男子
- あだ名は「博士」
- そして現在は、主人公・高木の娘・花音の担任教師として登場
…という形で、物語の中心に一気に引き寄せられます。
ここで改めて考えたいのが、
なぜわざわざ「森のくまさん」という曲だったのか?
という点です。
なぜ「森」のくまさんなのか?タイトルにまで仕込まれたダブルミーニング
「森のくまさん」は、漢字で書くと
森のくまさん
ですよね。
この「森」という字が、
- 森智也の「森」
- 森の中(クラス・過去)のメタファー
という、二重の意味を持つようになっています。
① “森の中”=6年1組の世界
「森」というのは、たくさんの木が集まっている場所。
ドラマの中では、
たくさんの子どもたちが集まった6年1組=“森”
という読み替えができます。
- 一人ひとりの木(子ども)
- その間を歩いているくまさん(いじめ・悪ふざけ)
…と考えると、グッと不気味さが増してきませんか。
② “森”という名字を、歌の中に紛れ込ませるトリック
もう一つは、完全に名前遊びとしての「森」です。
森のなか → 森のなカンタロー
“森の”だけ、名字の「森」とも読める
という形で、「森 智也」という人物を歌の中にこっそり紛れ込ませていました。
- 替え歌を覚えている6人
→ 自分たち6人の歌だと思っている - 替え歌の動画を見直したターボー
→ 「もう一人いたんだ…」とゾッとする
この「ずっとそこにいたのに、誰も気づいていなかった7人目」が、
博士=森の一番深い傷になっていると考えられます。
まだ残っている「森のくまさん」関連の伏線
では、第8話時点で、
「森のくまさん」まわりにはどんな伏線が残っているのでしょうか。
大きく分けて、次の3つが最終回で回収されそうです。
① 替え歌の“本当の作者”は誰なのか?
今のところ、
- ターボーが歌っていた
- みんなで盛り上がっていた
という情報は出ていますが、
「最初に考えたのは誰か?」
は、まだハッキリしていません。
- ターボーが中心になって作ったのか
- クラスの“お調子者”たちの合作なのか
- それとも、大人(先生)も関わっていたのか
ここが最終回で明かされると、
「誰がどこまで“悪ふざけ”に加担していたのか」
が、よりはっきり見えてきます。
② 替え歌と「将来の夢の絵」の関係
高木たちの「将来の夢の絵」にも、実は意味深な描写が多くあります。
- 高木の絵には“ヒーロー”と“紫のくま”が登場
- 虹の色は6色だけで、7色目(紫)が抜けている
- その代わり、ヒーローに踏みつけられているのが“紫のくま”
これを「森のくまさん」とからめて考えると、
ヒーロー(高木)は、
虹の仲間(6人組)を守るために、
紫色の“くま”=7人目をやっつけようとしている
という、かなり残酷な構図も見えてきます。
この“夢の絵”と“替え歌”が、
最終回で一本の線になるのかどうかは、大きな見どころです。
③ 替え歌のラスト「くまさんに出会ったタカキング」の意味
替え歌の最後は、
くまさんに出会っ タカキング
で終わります。
- 高木が“くまさん”と出会う
→ 高木が“過去の罪”と向き合う
→ 高木が“本当の犯人”と対峙する
このどれを意味しているのか。
最終回で、
「高木が何(誰)に出会うのか?」
によって、
この替え歌全体の意味も大きく変わってきそうです。
「森のくまさん」替え歌の“本当の意味”を考えてみる
ここからは、完全に考察・予想ゾーンです。
私なりに、この替え歌が象徴している“意味”を整理してみます。
① 子どもの「良いこと」が、誰かにとっての「悪いこと」だった
小学生のころの高木たちにとって、
この替え歌は、ただの
「クラスメイトでふざけて作った、楽しいネタソング」
でした。
- あだ名を入れて笑う
- 動画を撮って盛り上がる
- 「オレたち、仲良し6人組だよな!」
…と、本人たちは“良いこと”をしているつもりだったはずです。
でも、7人目の森から見ればどうでしょうか。
- 自分の名字だけ、背景の言葉として使われる
- 歌の中心はいつも6人
- 動画でも顔がちゃんと映っていない
それは
「自分は、彼らの世界の“外側”の人間なんだ」
と突きつけられるような、
「悪いこと」そのものだったのかもしれません。
② 「忘れられること」の残酷さ
替え歌の一番こわいところは、
みんなが「楽しかった思い出」として覚えていたのに、
“7人目の存在だけ完全に忘れていた”という点です。
森は22年後になっても、
- 掲示板で「誰も自分を覚えていない」と恨みを吐き出し
- その怒りを「博士」という名前に乗せて書き続けていました。
“いじめ”というと、
殴られたり、物を取られたりといったわかりやすいものを想像しがちです。
でもこのドラマが描いているのは、
・「外側の人」として扱われること
・「いないもの」として扱われること
という、もっと目に見えにくい“悪いこと”かもしれません。
③ 最終回で替え歌がどう「回収」されるのか
最終回ではきっと、
- 替え歌が生まれた日の真相
- 7人目の森が、あの日どう感じていたのか
- 高木たち6人が、本当は何を見て見ぬふりしていたのか
が、DVDや回想シーンで明かされるはずです。
そのとき、「森のくまさん」の替え歌は
ただの“犯行順の暗号”ではなく、
「良いこと」と「悪いこと」の境目がどれだけあいまいかをあぶり出す象徴
として、
視聴者の記憶に残るのではないでしょうか。
まとめ
最後に、この記事で整理したポイントをもう一度まとめます。
◆ 最終回で回収されそうな「森のくまさん」関連の伏線
そして、「森のくまさん」替え歌が持っていた本当の意味は、
子ども時代の“良いこと”が、
誰かにとっては“悪いこと”になっていたかもしれない
という、
ちょっと苦くて、でも目をそらしてはいけないテーマなのかもしれません。
最後に
ここまで真面目に語っておいてなんですが…。
この記事を書いているあいだ、
ずっと頭の中で「森のくまさん」のメロディーがループしていました。
ある日〜森のな〜カンタロー〜
くまさんニコちゃん〜出会ったーボー〜…
…と口ずさんでいたら、
家族にこう言われました。
「その歌、なんか怖いからやめて。」
――結局のところ、
一番身近な人に不気味がられるのがいちばん“悪いこと”だった。
最終回を見たあとで、
もう一度この替え歌を思い出してみましょう。
きっと今よりもっと、ゾッとしますから。


