まず結論(最速まとめ)
参考:英語版Wikipedia「Lafcadio Hearn」も、4人の子(Kazuo, Iwao, Kiyoshi, Suzuko)と明記。日本語版「小泉八雲」も同様です。
子ども4人のプロフィール(時系列+簡潔に)
長男:小泉 一雄(1893–1965)
八雲没後、父の遺稿整理や書簡編集に取り組み、『父小泉八雲』『父「八雲」を憶う』などを著しました。経歴は早稲田卒。資料・編集面で“家の記憶”を未来に手渡した存在です。
次男:稲垣 巌(1897–?)
出生直後に母セツの養家稲垣家の養子となり姓が稲垣に。巌系の子孫からは後述の守谷天由子さんが知られています。
三男:小泉 清(1899–1962)
画家。東京美術学校(現・東京藝大)に進むも病で中退。のちに読売賞を得て46歳で画壇デビュー。鮮やかな色彩と厚塗りの作風で知られます。
長女:小泉 寿々子(1903–1944)
末っ子。幼少期の病で長く家族の支えのもとに暮らしたことが伝えられています(記念館の家族展・家族史の紹介参照)。
家系の流れと「現在」の主なご子孫
1) 長男・一雄系 —— 研究・普及の中核
2) 次男・巌系 —— 海外からの発信
- 守谷 天由子さんは巌の玄孫。ブログやインタビューで家系の歴史や自分のルーツを発信し、アイルランド在住など国際的な視点から“八雲の旅の系譜”を現在形で伝えています。
なお、インターネット上には多くの系図まとめ記事もありますが、年次や続柄の表記に揺れが見られることがあります。基本線は松江の公式館情報や一次資料に照らして確認するのが安全です。hearn-museum-matsue.jp
よくある誤解と検証ポイント
「子どもは3人だった?」という記事がある
セットの回想英訳の一部二次資料で“three children”と書かれる例があり、そこだけを引用した古い英語記事がネットに残ることがあります。ですが、記念館の公式解説・展示、日本語・英語Wikipediaともに4人で一致しています。迷ったら松江の記念館情報を基準に。UNLデジタルコモンズ
「長女・寿々子の情報が少ない」
プライベート性が高く、体調や生活の詳細は控えめな記録が多い分野。二次記事では病名や経過の書き方に推測混じりも見られるため、記念館の展示文や家族回想に基づく範囲で押さえるのが無難です。hearn-museum-matsue.jp
小泉八雲“家族の物語”をもう少しだけ
- 八雲は1890年の来日後、松江で小泉セツと出会い結婚(1891)。日本に帰化して「小泉八雲」と名乗り、4人の子を授かります。ウィキペディア
- 八雲没後(1904)、一家の記憶は一雄の編集・回想、清の表現活動、そして曾孫・凡さんの研究・展示へと継承され、「記録→表現→キュレーション」の三層で現在へとバトンが渡されてきました。コトバンク
- 記念館は2016年にリニューアル。凡さんが館長就任後、直筆原稿・初版本・遺愛品などの展示を再構成し、講演・企画展・国際交流を重ねて年約15万人規模の来訪があると紹介されます(館・観光情報等)。松江観光の核としても機能しています。hearn-museum-matsue.jp
主要人物の見取り図(ざっくり家系メモ)
- 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) × 小泉セツ
┣ 一雄 →(資料編集・回想)→ 曾孫:小泉凡(記念館館長)コトバンク
┣ 巌(稲垣家へ養子) → 玄孫:守谷天由子(創作・発信)ウィキペディア
┣ 清(画家)hearn-museum-matsue.jp
┗ 寿々子(家族の庇護のもとで暮らす)hearn-museum-matsue.jp
いま“八雲の家”が伝えてくれること
「家族」は八雲文学の重要な背景です。
来日前の孤独、松江で得た温かな日々、そして子どもたちへ。一雄の編集が文字資料を未来へつなぎ、清の絵が目に見える形にし、凡さんの展示と言葉が現代の観客に開いてくれる。
さらに海外で発信する玄孫の天由子さんの存在は、ギリシャ—アイルランド—日本というハーンの旅路を、21世紀の個人の暮らしへ引き寄せてくれます。
答えはシンプルです。子どもは4人。そして子孫は今も“物語を受け継ぎ、語り直す”仕事を続けています。
参考・出典
- 小泉八雲記念館(家族・展示の解説、館長就任・沿革)hearn-museum-matsue.jp
- Lafcadio Hearn(英語版Wikipedia:4人の子)ウィキペディア
- 小泉八雲(日本語版Wikipedia:4人の子、家族)ウィキペディア
- 小泉凡さんの職務・略歴(松江/焼津の記念館・公的紹介、Nippon.com ほか)焼津市公式サイト
- 守谷天由子さん(インタビュー・本人ブログ等)集英社インターナショナル