※この記事は『教場』前編のネタバレを含みます。まだ見ていない方はご注意ください。
なぜ「ボヤの犯人」と「退校届」がそんなに気になるのか?
『教場』前編を見た人の多くが、X(旧Twitter)でつぶやいているのは、だいたい次の2つです。
- ボヤ騒ぎって、結局「本当の犯人」は誰だったの?
- 風間教官が出してくる「退校届」って、ただの“脅し”なの? 本当の意味は?
どちらも、ドラマのテーマのど真ん中にある大事なポイントです。
このブログでは、
- 前編の流れをなるべく簡単におさらい
- ボヤ事件の「真犯人」が誰なのかを整理
- 退校届がこの物語の中で持っている“本当の意味”を考察
という順番で解説していきます。
『教場』前編のざっくりあらすじ(ボヤ&退校届まわり中心)
まずは、話を思い出すために、ボヤと退校届まわりに関係する部分だけ、ざっくり整理します。
舞台は「警察学校」
舞台は、警察官のタマゴたちが集まる警察学校。
教官の風間公親(木村拓哉)は、白髪で右目が義眼、冷たくて感情をほとんど見せません。
彼の口ぐせの一つが、
「警察学校は、適性のない人間をふるい落とす場だ」
という考え方です。
だからこそ彼は、生徒に対して“優しい先生”ではなく、“フィルター役”として立っています。
その「ふるい落とし」に使われる象徴的なアイテムが、「退校届」です。
日下部准と樫村卓実 ―― ボヤ事件の表と裏
前編の重要人物の1人が、元プロボクサーの日下部 准(三浦翔平)。
もう1人が「調達屋」と呼ばれる樫村 卓実(西畑大吾)です。
- 日下部:成績があまり良くなく、妻子もいるので「絶対に落ちたくない」と焦っている
- 樫村:持ち込み禁止の物を外から調達して、生徒たちに売る裏の顔を持つ
ある授業で、日下部が「火の起こし方」について、あまりに完璧な答えをします。
その裏には、樫村から「試験で何が聞かれるか」という“情報”を事前にもらっていた、という事情がありました。
ちょうどその頃、警察学校内では「ボヤ事件」が発生。
校内で火事が起きかけたことで、「火」に詳しく、怪しい行動もある日下部が、徐々に犯人扱いされていきます。
しかし――これは、樫村によって仕組まれた「濡れ衣」でした。
ボヤの“真犯人”は誰だったのか?
ここが、視聴者が一番モヤモヤしやすいポイントです。
結論から言うと、
- ボヤ(小火)を実際に起こしたのは、先輩の尾崎賢治巡査
- その罪を日下部になすりつけようとしたのが、調達屋の樫村
という構図です。
尾崎巡査は、学校敷地内の模擬室で、覚醒剤をあぶって吸っていました。
その違法行為の最中に火が出て、ボヤになってしまったのです。
尾崎の犯罪を隠すため、樫村は「日下部が犯人」というストーリーを作り上げました。
- 日下部に試験情報を渡して「火の起こし方」を完璧に答えさせる
- その様子を周囲に見せつけて、「火の扱いに詳しい=怪しい」と印象づける
- 噂や状況証拠を積み上げて、日下部をボヤ犯に仕立て上げる
――という流れです。
ただし、風間教官は最初から「本当の犯人は別にいる」と気づいていました。
そして、樫村と尾崎の裏の関係も見抜き、最終的に樫村には退校届が突きつけられます。
もう一つの軸:楠本と岸川、そして「退校届」
前編では、楠本しのぶ(大島優子)と岸川沙織(葵わかな)のエピソードも大きな柱です。
- 楠本:色彩感覚に優れた優秀な訓練生
- 岸川:その友人で、いつも楠本のそばにいる存在
楠本は、過去に恋人をひき逃げで失っており、その犯人を今も追い続けています。
ある写真の車の色を見て、「岸川こそが恋人をひいた犯人だ」と思い込み、彼女に執拗な手紙を送りつけていました。
しかし、風間は「車の色が偏光塗料で、角度によって見え方が変わる」という事実を示し、楠本の思い込みを崩します。
その結果、岸川は退校届を出して学校を去り、楠本は罪悪感と向き合うことになります。
この一連の流れの中でも、「退校届」という紙切れが、生徒の人生に大きく影響することが分かります。
ボヤの犯人は誰? もう一度整理してみる
ここからは、「ボヤの犯人は誰?」という疑問を、さらに丁寧に整理してみましょう。
表向きの犯人:日下部 准
・生徒たちの間で「ボヤの犯人」として噂されるのは、日下部です。
- 「火の起こし方」を完璧に答えた
- 成績不振なのに急に“詳しすぎる”
- ちょうどボヤ捜査のタイミングと重なる
こういった理由から、「あいつ怪しくない?」と、周囲の目が日下部に向きます。
しかし、これはあくまで“作られたストーリー”です。
真の原因を作った人:尾崎賢治巡査
実際に火を起こしたのは、先輩の尾崎巡査。
- 覚醒剤をあぶって吸っていた
- 校内の模擬室で行われたため、火が出てボヤになる
- 自分の犯罪を隠す必要がある
という状況でした。
もしこれがそのままバレれば、尾崎は警察官どころか、完全に“アウト”です。
そこで、樫村に「なんとかしてくれ」と頼む形になります。
濡れ衣を着せる役割を担ったのが樫村
樫村は「調達屋」として、禁止物の持ち込みや情報の売買で生きている生徒です。
- 日下部が点数に困っていること
- 「家族のためにどうしても合格したい」という弱み
ここに目をつけ、試験の想定問答を渡して信用を得ます。
その上で、
- 火に関する授業の答えを完璧にさせる
- 周りに「日下部=火に詳しい」と印象づける
- ボヤとのつながりを、噂と空気によって作り上げる
こうして、日下部をボヤの犯人に仕立て上げようとしました。
樫村は、自分も尾崎も表向き“無傷”で抜けようとしたわけです。
かなり計算高く、冷たいやり方です。
風間教官はどこまで分かっていたのか?
ドラマの中でハッキリ描かれているわけではありませんが、風間が
- ボヤの真犯人が尾崎
- 濡れ衣を着せようとしたのが樫村
- 日下部は「点数欲しさに調達に手を出した」という意味でグレー
という構図を、かなり早い段階で把握していたことは、行動から読み取れます。
風間は、ただ事件の「犯人」を見つけるだけではなく、
- 誰に「警察官としての資質」が残っているのか
- 誰は「ここで落とすべき人間」なのか
を見極めるために動いているのがポイントです。
その結果、
- 樫村:退校処分
- 日下部:厳しく責めるが、最後は“救い上げる”
- 尾崎:犯罪の発覚と責任問題(ドラマでは細かい処分までは描かれない)
という形に落ち着きます。
退校届って何? 「追い出しの紙」ではない理由
次に、「退校届」の意味について考えていきます。
表向きの役割:自主退学のための紙
退校届は、本来は“自分から警察学校をやめる”ための書類です。
- 自分から「もう続けられない」と判断したとき
- 家庭の事情や健康問題で続けられないとき
などに出す、いわば「自主的なギブアップ宣言」です。
しかし『教場』では、この退校届が“風間教官の武器”として使われます。
風間が退校届を突きつけるときに見ているもの
風間は、生徒に退校届を見せながら、こう問いかけているように見えます。
- 「君は本当に警察官としてやっていけるのか?」
- 「その覚悟は、自分の人生をかけるだけのものか?」
つまり、退校届は「やめさせるための紙」ではなく、
生徒自身に、自分の覚悟と適性を突きつけるための鏡
のような役割をしています。
前編での具体例:誰が退校届を出し、誰が残ったのか
前編では、退校届は主に次のような場面で出てきます。
- 樫村:調達屋としての行為と、ボヤ事件への関与が見抜かれ、退校処分
- 岸川:楠本への手紙事件などを経て、自ら退校届を出し、学校を去る
- 日下部:風間から厳しく詰められ、「ここを去るか」「なお残るか」の選択を迫られる(最終的には残る方向へ)
それぞれの退校届の意味は少しずつ違います。
- 樫村の場合:
→「警察官にしてはいけない人間」を、学校から追い出すためのもの - 岸川の場合:
→「自分の甘さと向き合った結果、自分から身を引く」ためのもの - 日下部の場合:
→「ここから逃げるのか、それとも向き合うのか」を試すための“踏み絵”
同じ「退校届」でも、それぞれの人物にとって意味が変わっているのが分かります。
退校届の“本当の意味”を考察する
では、『教場』という作品全体の中で、退校届はどんな“象徴”になっているのでしょうか。
「警察官という仕事」は、そもそも“自分で選ぶ”もの
風間は、「警察学校は、適性のない人間をふるい落とす場だ」と言いますが、それはつまり、
「ここに残るかどうかは、最終的には『自分の選択』だ」
ということでもあります。
退校届は、その“選択の紙”です。
- ただ流されて入ってきた人
- 覚悟がないまま、なんとなく警察官になろうとしている人
こういった人たちは、退校届を前にしたとき、「ここまでして続けるべきか?」と自分に問い直さざるを得ません。
「逃げるための紙」にするか、「覚悟を固める紙」にするか
退校届は、2つの使われ方をします。
- 逃げるための出口
- 覚悟を固めるための最後のテスト
例えば、笠原のエピソード(後編寄りですが)では、彼が退校届を出したことで逆に覚悟を認められ、風間は退校届を破り捨てます。
つまり風間にとって退校届は、
- 「やめたいなら、ここでやめなさい」という逃げ道
- でも、「それでもここに残りたい」と言えるかどうかを見る試金石
という、両方の意味を持っています。
風間の“冷たさ”は、本当に冷たいのか?
退校届を突きつける姿だけを見ると、風間はとても冷たい人間に見えます。
しかし、ボヤ事件や楠本・岸川のエピソードを通して見えてくるのは、
- 本当に危険な人間(樫村たち)は、きちんと排除する
- でも、罪を犯しかけたとしても「警察官として立ち直れる余地がある人間」は、ギリギリで救い上げる
というスタンスです。
退校届は、その線引きをするための“道具”であり、
同時に「自分の人生に責任を持てるか?」を生徒に問うための紙でもあります。
ボヤ事件と退校届から見える『教場』のテーマ
最後に、「ボヤの犯人」と「退校届」の話を、作品全体のテーマと結びつけてみましょう。
ボヤ事件が教えてくれるもの
ボヤ事件は、単なる「犯人探しのミステリー」ではありません。
- 弱みを持つ人間(日下部)が、どこで“線”を越えてしまうのか
- その弱みにつけ込む人間(樫村)の冷酷さ
- 身内の犯罪(尾崎)をどう扱うか
こうした要素が重なり、「警察組織の中でも、同じ人間同士の弱さや欲が渦巻いている」という現実を、少し誇張しつつも描いています。
そして、その中で風間は
「弱いままなら、ここから出ていきなさい」
「それでも立ち直れるなら、徹底的に鍛え直す」
という判断を下していきます。
退校届が象徴しているもの
退校届は、
- 覚悟のない人間を“外に出すための扉”
- 覚悟を決めた人間の“通過儀礼”
この2つを同時に象徴しています。
紙切れ一枚ですが、その裏には、
- 自分は本当に人の命を預かる仕事に向いているのか
- 過去の罪や弱さと、きちんと向き合えているのか
- 単なる「安定した公務員」というイメージで来ていないか
こうした問いが詰まっています。
視聴者への問いかけとしての『教場』
『教場』は、一見すると「怖い教官が生徒を追い詰めるドラマ」に見えます。
でも、ボヤ事件や退校届の描写をよく見ると、
「あなたは、自分の仕事にそこまでの覚悟を持っているか?」
という問いが、視聴者にも突きつけられているように感じます。
- なんとなく会社に入った
- とりあえず資格を取ってみた
- 周りがそうしているから、自分もそうしている
そういう“流される生き方”をしていると、風間に退校届を静かに差し出されそうな気がして、ちょっと背筋が伸びます。
まとめ:ボヤの犯人と退校届の意味
最後に、本記事のポイントをまとめます。
もしあなたが今、仕事や進路で迷っているなら、
「自分だったら風間に退校届を突きつけられたとき、どうするだろう?」
と一度考えてみると、『教場』がただのサスペンスではなく、自分ごととして見えてくるはずです。
