スノーボード・ハーフパイプで世界トップレベルの活躍をしている小野光希さん。
その強さの裏には、「スノーボード一家」ともいえる家族の存在があります。
- 両親は2人ともスノーボード経験者
- 姉もかつてハーフパイプで全日本選手権に出ていたボーダー
- 家族4人で新潟のゲレンデに通い詰めた幼少期
と、まさに “家族ぐるみでスノーボード” の環境で育っています。
一方で、両親のお仕事やプライベートな部分は公表されていないところも多く、
「分かっていること」と「推測でしか言えないこと」を分けて整理することが大切です。
この記事では、
- 家族構成(父・母・姉)の基本情報
- 両親はどんな人なのか
- 姉の影響と、姉妹ならではのエピソード
- 最近話題になった“母と娘のエピソード”
を、公開されているインタビューや記事をもとに、分かりやすくまとめていきます。
家族構成を整理|4人家族のスノーボード一家
まずは基本の家族構成から。
父
母
姉・愛佳(あいか)さん
本人(光希さん)
という4人家族だと紹介されています。
姉妹は2歳違いで、姉の愛佳さんは2002年2月19日生まれ、光希さんは2004年3月5日生まれ。
両親については、
- プロ選手ではない
- 夫婦ともにスノーボード経験者
- 趣味として家族でゲレンデに通っていた
といったことが、埼玉県のインタビューやネットメディアで共通して語られています。
簡単プロフィール(公表範囲で)
- 父:一般の会社員とみられる。詳細な職業や年齢は非公表
- 母:名前は「静恵(しずえ)」さんと報じられているが、職業は非公表
- 姉:小野愛佳さん。ハーフパイプの大会で全日本選手権ユース・一般クラス優勝や、全日本選手権3位などの実績を持つスノーボーダー
なお、両親の職業や詳しいプロフィールは公式な情報がほとんどなく、
推測で書かれているサイトも多いので、この記事では分かっている範囲にとどめて紹介していきます。
スノーボード一家の原点|両親と姉の影響
「もともと両親がスノーボードを趣味でやっていた」
埼玉県のインタビューで、光希さんはスノーボードを始めたきっかけについてこう話しています。
もともと両親がスノーボードを趣味でやっていて、姉が先にスノーボードを始めていました。
それについていくようになり、その流れで5、6歳の頃にスノーボードを始めました。
また、五輪公式のインタビューでは「3歳からスノーボードを始めた」とも語っており、
3〜6歳くらいの“かなり幼い時期”から家族に連れられて雪山に通っていたことが分かります。
ここから見えてくるのは、
- 最初にハマっていたのは両親
- その背中を見て、お姉さんがスノーボードをスタート
- さらにその後を追いかけるように、光希さんも自然と板に乗るようになった
という流れです。
週末は家族4人で新潟のゲレンデへ
ネットメディアの取材によると、小野家は
- 埼玉から新潟のゲレンデまで家族4人で通っていた
- 幼い姉妹を連れて、何度も長距離移動をしていた
というエピソードも紹介されています。
仕事をしながら週末ごとに雪山に通うのは、かなりの時間とお金がかかります。
これだけでも、両親がどれだけスノーボード好きで、どれだけ子どもたちの「やりたい!」を応援していたかが伝わってきますよね。
母・静恵さんはどんな人?|支え方がすごすぎるエピソード
最近の新聞記事では、母・静恵さんに関する印象的なエピソードが紹介されています。
交通事故で右足を手術、それでも娘を気遣う
報道によると、
- 母の静恵さんは、交通事故で右足を手術
- 約1か月半、入院生活を送っていた
- それでも「競技に影響が出ないように」と、光希さんには詳しい状況を話さなかった
とされています。
普通なら、家族が大けがをしたと聞くだけで気持ちが乱れてしまいますよね。
でも静恵さんは、
娘が競技に集中できるように
自分のことを気にしすぎないように
という思いから、あえて心配をかけまいとしたと言われています。
電話越しに「一緒に頑張ろう」と声をかける
同じ記事の中で、光希さんが進退に悩んだとき、
母は入院先から電話で気持ちを受け止めていたことも紹介されています。
「一緒に頑張ろう」
と声をかけてくれたことで、光希さんは
- 4年前の北京五輪の悔しさを晴らしたい
- 次の五輪でもう一度勝負したい
という前向きな気持ちを取り戻したとされています。
病院のベッドからでも娘を励まし続ける――
まさに「影から支えるお母さん」という言葉がぴったりな存在ですよね。
ずっと前から夢を信じていた母
ローザンヌ2020ユースオリンピックのインタビューでは、光希さんが
「まだ現実味のない時点から、オリンピックへの夢を応援してくれていたので、両親のことを尊敬していますし、すごく感謝しています」
と語っています。
ユース五輪に出るよりずっと前から、
- 「オリンピックに出たい!」という幼い娘の夢を否定せず
- 本気でかなえてあげようとしてきた
その一人が、母・静恵さんだったことは間違いないでしょう。
父親はどんな人?|情報は少ないけれど見えるもの
一方で、父親については名前や職業など、細かい情報はほとんど公表されていません。
ただ、いくつかの点から“どんなお父さんか”がなんとなく見えてきます。
趣味としてのスノーボードが家族の原点
先ほどの埼玉県のインタビューでも、
「もともと両親がスノーボードを趣味でやっていた」と話していました。
また、姉の愛佳さんのプロフィールでも、
「スノーボードを始めたきっかけは? → 両親がやっていたから」と書かれています。
この2つの情報から、
- 父も母も、もともとスノーボードが好き
- 子どもたちは、その“楽しそうに滑る姿”を見て育った
ということが分かります。
送迎や遠征の「運転手役」としての支え
新潟などの遠方のゲレンデに家族で通っていたことを考えると、
父親は
- 冬のたびに長距離運転をこなしていた
- 子どもたちが大会に出るようになってからも、車で送迎していた
という可能性が高いです。
(ここは具体的な証言はありませんが、多くの競技家庭がそうであることを踏まえた一般的なイメージとして。)
少なくとも、
- 家族で雪山に通うことに賛成していた
- 「危ないからやめなさい」ではなく、「やってみろ」と背中を押すタイプ
の父親だったからこそ、今の光希さんの活躍がある、と言ってよさそうです。
姉・愛佳さんの影響|“お姉ちゃんについていった”ところから始まった
タイトルにもある「姉の影響」。ここが小野家の一番のポイントかもしれません。
姉・愛佳さんもハーフパイプの選手
愛佳さんは、JSBA(日本スノーボード協会)やPSA ASIA(プロ団体)の大会で活躍していた選手です。
公式のメンバー紹介やリザルトによると、
- ハーフパイプ種目を中心に出場
- 関東地区大会ユース優勝、全日本選手権ユース優勝
- 第34回全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ女子オープンで3位入賞
と、かなり本格的に競技をやっていたことが分かります。
「妹だけがすごい」のではなく、
姉も全国レベルの実力者だったというのが、小野姉妹の特徴です。
「姉が先に始めて、それについていった」
埼玉県のインタビューで、光希さんはこう話しています。
両親がスノーボードを趣味でやっていて、姉が先にスノーボードを始めていました。
それについていくようになり、その流れで5、6歳の頃にスノーボードを始めました。
つまり、
- まず両親がスノボを楽しんでいた
- その姿を見た姉・愛佳さんが、本格的にスノーボードをスタート
- そのあとを追いかけるように、光希さんも自然とボードに乗り始めた
という順番です。
「お姉ちゃんの真似」をしているうちに、
気づけば世界のトップまで登りつめた――そんなストーリーが見えてきます。
姉妹で“同じハーフパイプ”を滑るという特別な時間
想像してみると、
- 同じゲレンデ
- 同じハーフパイプ
- 同じコーチや仲間たち
という環境で、姉妹そろって練習してきたはずです。
大会写真やブログ記事でも、
姉妹で写っているショットや、「お姉さんも美人ボーダー」といった紹介が多く、
“仲の良い姉妹ボーダー”という印象が強く出ています。
もちろん、公式に「ライバルだった」と明言しているわけではありませんが、
- 姉の背中を追いかける
- 姉も「負けていられない」と頑張る
という、いい意味でのライバル関係だった可能性は高いでしょう。
家族エピソード①:ユース五輪で語った「両親への感謝」
2020年のローザンヌ冬季ユースオリンピックで金メダルを獲ったあと、
光希さんは五輪公式のインタビューで、家族への感謝をこう語っています。
「とくに両親には、改めて感謝を伝えたいです」
その背景には、
- まだ結果が出る前から、オリンピックを目指すことを応援し続けてくれた
- 家族全員でゲレンデに通い、練習環境を整えてくれた
- 経済的にも時間的にも、スノーボード中心の生活を支えてくれた
といった、長年の支えがあります。
「ユース五輪で金メダル」という大舞台に立ったとき、
真っ先に「両親への感謝」が出てくるところに、家族の絆の深さが表れていますよね。
家族エピソード②:大学での生活と、家族との距離感
早稲田大学スポーツ科学部に進学してからも、
光希さんはインタビューの中で、家族の支えについて何度も触れています。
リクルート財団の奨学生インタビューでは、
- 海外遠征で家を空ける時間が長くなっても、家族がいつも味方でいてくれること
- 成績が良いときも悪いときも、同じように接してくれること
などが語られており、
「家族がいてくれるから、結果に一喜一憂しすぎずに前を向ける」
というニュアンスが伝わってきます。
実家を離れての大学生活でも、
- 試合前後には家族と連絡を取り合う
- 帰省したときには、家族で過ごす時間を大切にしている
といったエピソードが紹介されており、“距離は離れても心は近い”家族だと言えそうです。
家族エピソード③:母の入院と「一緒に頑張ろう」の言葉
もう一度、母・静恵さんの入院の話に戻ります。
- 交通事故で右足を手術
- 1か月半入院という状況にもかかわらず、娘には細かく伝えなかった
- 入院中も、娘の進退の悩みを電話で受け止め、「一緒に頑張ろう」と励ました
このエピソードは、
- “心配だからこそ言わない”という親心
- 自分がつらい状況でも、まず娘のことを思う母の強さ
を象徴しているように感じられます。
そして光希さんにとっても、
「母の分まで頑張りたい」
「4年前の悔しさを、今度こそ母と一緒に晴らしたい」
というモチベーションにつながっていると考えられます。
家族エピソード④:姉の現在と、これからの“応援スタイル”
最近のネット記事などでは、姉の愛佳さんについて、
- 以前はハーフパイプの大会に出ていたが、現在は競技の第一線からは離れている
- いまは“応援する側”として、妹を支えているのではないか
と紹介されています。
公式に「引退」を宣言したわけではありませんが、
- PSA ASIAの選手紹介が更新されていない
- 直近の大きな大会のリザルトに名前が見当たらない
ことからも、今は競技よりも別の道を歩んでいる可能性が高そうです。
とはいえ、
- 同じハーフパイプを経験してきた“同志”
- 技の難しさや怖さを、一番よく理解している身内
として、精神的な支えになっていることは間違いありません。
光希さんにとって、
「自分より先に、壁を登っていったお姉ちゃん」
の存在は、これからも大きな意味を持ち続けるでしょう。
小野家から学べる“トップアスリートを育てる家族像”
ここまで見てきた家族像を、少し整理してみます。
① 親が本気で楽しんでいる姿を見せる
- 両親自身がスノーボードを心から楽しんでいた
- 「やりなさい」ではなく、「一緒にやろう」というスタンス
これは、どんな習い事にも通じるポイントですよね。
親が楽しんでいるからこそ、子どもも自然と興味を持ちます。
② 無理に止めず、子どもの「やりたい」を尊重
- 幼いころから「オリンピックに出たい」と言っていた光希さん
- 両親はその夢を笑わず、本気で応援してきた
もしこの段階で「そんなの無理だからやめなさい」と言っていたら、
今の光希さんはいなかったかもしれません。
③ 結果よりも“プロセス”を見てくれる
インタビューを読むと、
- 勝ったときだけでなく、負けたときも同じように支えてくれる
- 結果だけでなく、そこまでの努力や姿勢を認めてくれる
という家族のスタンスが伝わってきます。
だからこそ、光希さんは
「良い結果のときも悪い結果のときも、前を向いていられる」
メンタルを保てているのだと思います。
④ 家族それぞれが“自分の役割”で支える
- 母は精神面で寄り添う存在
- 父は実務面(送迎・費用面など)で支える柱
- 姉は同じ競技を経験した“理解者”としての役割
と、家族全員がそれぞれ違う立場から支えてきたことが分かります。
まとめ
最後に、この記事の内容をコンパクトにまとめます。
- 家族構成
- 父・母・姉・光希さんの4人家族
- 両親はスノーボード経験者で、姉も全日本レベルのハーフパイプ選手
- スノーボードとの出会い
- きっかけは「両親と姉が先にやっていたから」
- 3〜6歳ごろから家族でゲレンデに通い始め、小学低学年でハーフパイプにも挑戦
- 母・静恵さんのエピソード
- 交通事故で右足を手術し入院中でも、娘に心配をかけまいとふるまう
- 電話で「一緒に頑張ろう」と声をかけ、娘のメンタルを支えた
- 父親の存在
- 詳しい情報は少ないが、スノーボード好きで、家族で雪山に通う生活を支えた
- “反対する親”ではなく、“背中を押す親”だったからこそ今がある
- 姉・愛佳さんの影響
- ハーフパイプの選手として全日本選手権3位などの実績
- 「姉についていった」ことが光希さんのスノーボード人生のスタートであり、今も大きな支えになっている
- 家族から学べること
- 親が本気で楽しみ、子どもの「やりたい」を尊重すること
- 結果ではなくプロセスを見て、どんなときも味方でいること
——
テレビで光希さんの大技や表彰台シーンを見るとき、
その後ろには、
- 両親が運転したクルマで何度も通った雪山
- 姉と並んで滑ったハーフパイプ
- 入院先から見守る母の想い
といった「家族の物語」がいつもセットである、と思ってみると、
きっと観戦がもっと深く、温かく感じられるはずです。
これからも大会の結果だけでなく、
その背景にある“家族の支え”にも思いをはせながら、
小野光希さんを一緒に応援していきましょう。




