ミラノ・コルティナ冬季オリンピックで、日本代表として世界の氷上に立つカーリング選手・小谷優奈。
テレビ中継でその名前を知り、「どんな人なんだろう?」「どこ出身?どこの学校?」と気になった方も多いと思います。
実は小谷選手は、雪国出身ではなく神奈川県相模原市育ち。
しかも、カーリングと出会った場所は、北国の専用リンクではなく、地元のスケート場「銀河アリーナ」です。
この記事では、
- 出身小学校・中学校・高校はどこなのか
- どんな学生生活を送りながら、カーリングの腕を磨いてきたのか
- 相模原市の「銀河アリーナ」との特別な関係
をまとめていきます。
基本プロフィールをサクッとおさらい
まず最初に、簡単なプロフィールを整理しておきましょう。
- 生年月日:1998年5月26日
- 出身地:神奈川県相模原市
- 所属チーム:女子カーリングチーム フォルティウス
- ポジション:セカンド(主に担当)
- 家族:父・母・妹(妹の有理沙さんも元チーム富士急のカーリング選手)
そして今回のテーマである「学歴」について、要点だけ先にまとめると──
- 小学校:相模原市立桜台小学校
- 中学校:相模原市立麻溝台中学校
- 高校:神奈川県立海老名高等学校(各種報道で「神奈川・海老名高出」と紹介)
それでは、小学校〜高校までの流れと、銀河アリーナとの関わりを、もう少し丁寧に見ていきます。
小学校時代:桜台小学校と「銀河アリーナ」との出会い
地元の公立小「桜台小学校」
小谷選手は、相模原市南区にある公立小学校「桜台小学校」の出身です。
市長への表敬訪問の記事でも「桜台小学校、麻溝台中学校出身」と明記されています。
ごく普通の公立小で育ちながら、そこから世界を目指すトップ選手になった、という点も、多くの人の心をつかんでいるポイントですね。
銀河アリーナってどんなところ?
カーリングとの運命的な出会いの場所が、相模原市中央区のスポーツ施設 銀河アリーナ です。
- 公園内にある市営のスケート場
- 冬はアイススケートリンクとして一般開放
- カーリングやアイスホッケーの教室も開催
という、「地域のスケート拠点」のような場所です。
元々はプールも併設されていましたが、現在はスケートに特化した施設として運営されており、相模原周辺では貴重な氷上スポーツの場になっています。
父の趣味について行ってカーリングをスタート
小谷選手がカーリングを始めたのは、小学4年生のとき。きっかけは、お父さんの趣味でした。
- 父・靖広さんが銀河アリーナでカーリングを楽しんでいた
- そこへ「一緒に行ってみるか」と連れて行かれた
- 氷の上でストーンを投げてみたら、とても楽しくてハマった
という流れが、地元メディアの記事で紹介されています。
お父さんは取材の中で、
「最初は月に一度、私の練習について来て、遊びの延長で投げていただけだった」
と振り返っています。
ところが、その“遊びの延長”だったカーリングが、いつの間にか人生そのものを変える存在になっていくわけです。
中学時代:麻溝台中学校で「バレーもカーリングも」全力の日々
出身中学は「麻溝台中学校」
小学校を卒業した小谷選手は、地元の公立中学校である 相模原市立麻溝台中学校 に進学します。
麻溝台中は、自然が多く、広い校庭を持つ中学校として知られており、運動部も盛ん。
その環境の中で、小谷選手は「バレーボール」と「カーリング」の二刀流生活を送っていました。
バレーボール部のアタッカー
中学ではバレーボール部に所属し、アタッカーとして活躍していたという情報もあります。
バレーは、
- ジャンプ力
- 体幹の強さ
- フットワーク
が大きく問われるスポーツです。
後にセカンドとして激しいスイープ(氷をこする動き)や、安定したフォームでのショットを支える基礎体力は、この頃の部活で養われたのかもしれません。
学校生活とカーリングの両立
一方で、小谷選手は中学生の頃から、ジュニアのカーリング大会にも出場しています。
- 地元・相模原で学校生活
- 週末や休みの日は銀河アリーナで練習
- さらに日本ジュニアカーリング選手権(2010・2011年)にも出場
という、かなりタイトな毎日を過ごしていたことがわかります。
相模原は決して「カーリングが盛んな地域」ではありません。
専用リンクもなく、練習できる時間も限られる中で、大人のチームに混ざりながら少ないチャンスを最大限に生かしていたと言えるでしょう。
高校時代:神奈川県立海老名高等学校で迎えた“転機”
高校は「神奈川県立海老名高校」
出身高校については、しばらく公式プロフィールなどに記載がなく、ファンの間でも「どこの高校?」という声がありました。
しかし、ミラノ・コルティナ五輪関連の選手名鑑や各種スポーツメディアのプロフィールでは、
「神奈川・海老名高出」 と紹介されています。
この「海老名高」とは、神奈川県海老名市にある 神奈川県立海老名高等学校 のこと。
地元では、
- 文武両道を掲げる県立高校
- 部活動にも力を入れている
- 進学実績も安定している
といったイメージを持たれています。
※高校名については、あくまで新聞社系の選手名鑑・スポーツメディアの紹介による情報であり、学校や本人が大々的に公表しているわけではありません。そのため、ブログなどで触れる場合は、「報道によると〜」という書き方をしておくと安心です。
高校時代に訪れた「チーム富士急」からの誘い
小谷選手のカーリング人生にとって、大きなターニングポイントとなったのが高校時代です。
相模原市のローカルメディアによると、
高校生の頃、山梨県を拠点とする実業団チームから声がかかり、卒業後にそのまま就職・入団することが決まったと紹介されています。
そのチームが、のちに日本一にも輝く女子カーリングチーム チーム富士急 です。
- 高校在学中から、山梨のチームと関わり始める
- 卒業後は大学に進学せず、そのまま実業団へ
- 同世代の中でも、かなり早い段階で「プロに近い環境」に飛び込んだ
という、覚悟の決断をしています。
「カーリングで高みを目指すんだな、と思った」と語るお父さんの言葉からも、高校時代に進路が大きく動いたことが伝わってきます。
チーム富士急で一気に全国区へ
高校卒業後、小谷選手は山梨県を本拠地とするチーム富士急に入団します。
日本選手権優勝と世界選手権出場
2018年の日本カーリング選手権でチーム富士急は優勝し、小谷選手は一気に全国区の存在に。
この優勝によって、日本代表として世界女子カーリング選手権に出場。
まだ20歳前後の若さで、世界のトップ選手たちと同じシートに立つことになりました。
妹と一緒に「姉妹カーラー」として戦う
さらに特筆すべきは、妹・有理沙さんも同じチーム富士急の一員だったという点です。
- 姉:サード
- 妹:リード
という布陣で、日本一・世界選手権の舞台を経験。
「姉妹で日本代表」という、非常に珍しいケースとして話題になりました。
相模原の銀河アリーナから始まった“小さな遊び”が、姉妹を日本代表、そして世界へと連れて行ったわけです。
チーム富士急の休部、そしてフォルティウスへ
その後、チーム富士急は2022年にカーリング部の休部を発表し、所属選手たちはそれぞれの道へ進むことになります。
小谷選手は、北海道を拠点とする女子カーリングチーム・フォルティウスへ移籍。
再び日本選手権で優勝し、世界選手権代表、そしてミラノ・コルティナ五輪代表の座をつかみました。
ここまで来ると、
- 「銀河アリーナの小学生カーラー」
- 「麻溝台中のバレー部&カーリング女子」
- 「海老名高校から山梨の実業団へ」
という、一本の太いストーリーが見えてきます。
それでも「原点は銀河アリーナ」
帰省したら今も銀河アリーナで練習
おもしろいのは、トップ選手になった今でも、時間が合えば相模原の銀河アリーナで昔からの仲間たちと練習しているということ。
地元メディアのインタビューで、小谷選手は、
「今でも時間が合う時には銀河アリーナで、昔から知っている人たちと練習しています」
と語っています。
世界選手権や五輪で戦うようになっても、原点は変わらない。
そこに、相模原という街や銀河アリーナへの強い愛着がにじんでいます。
銀河アリーナから世界へ
相模原市長も、X(旧Twitter)や壮行会の場で、
「本市・銀河アリーナ出身のカーリング日本代表」
と紹介し、市を挙げて応援しています。
普通の公立小・中・高を経て、地元の公共スケート場から世界へ。
このストーリーは、同じように「スポーツを頑張りたい」と思っている子どもたちや、その親御さんにとっても、大きな励みになるのではないでしょうか。
出身校ごとに見る「小谷優奈ストーリー」おさらい
ここまでの内容を、「学校ごと」にもう一度整理してみます。
桜台小学校時代
- 地元の公立小で友だちと普通の小学校生活
- 小学4年で父に連れられ銀河アリーナへ
- 「遊びの延長」のつもりでカーリングを始める
麻溝台中学校時代
- 相模原市立麻溝台中学校に進学
- バレーボール部のアタッカーとしても活躍
- その一方でカーリングも続け、ジュニアの全国大会に出場
- 学校生活・部活・遠征を両立させる忙しい毎日
海老名高校時代
- 報道によると、神奈川県立海老名高等学校に進学
- 高校生活を送りながらカーリングも継続
- 山梨県を拠点とする実業団チーム(のちのチーム富士急)から誘いを受ける
- 高校卒業と同時に大学進学ではなく実業団入りを選択
社会人〜現在
- チーム富士急で日本選手権優勝・世界選手権出場
- チーム休部後はフォルティウスへ移籍し、再び日本一
- 世界選手権、日本代表としてミラノ・コルティナ五輪へ
- 帰省時には銀河アリーナで今も練習し、地元とのつながりを大切にしている
まとめ:普通の公立校から、世界の舞台へ
最後に、この記事のポイントを簡単にまとめます。
- 出身中学は「相模原市立麻溝台中学校」
市長への表敬訪問記事やSNSなど、複数の公式・公的な情報で紹介されています。 - 出身高校は、報道ベースで「神奈川県立海老名高等学校」
五輪関連の選手名鑑などで「神奈川・海老名高出」と表記されており、信ぴょう性の高い情報です。ただし、本人や学校が直接発信しているわけではないため、ブログなどでは「報道によると」と一言添えるのがおすすめです。 - カーリングとの出会いは、地元・相模原の銀河アリーナ
父の趣味について行ったことがきっかけで、小学4年生からカーリングを始めました。 - 公立小・中・高での普通の学校生活と、カーリングの両立
桜台小・麻溝台中・海老名高という、ごく一般的な学校を経ながら、休日にはリンクで練習し、ジュニア大会に出場。高校時代には実業団チームから声がかかり、卒業後は大学進学ではなく社会人カーラーの道へ進みました。 - 今でも「原点は銀河アリーナ」
世界大会や五輪で活躍するようになった今でも、帰省時には昔からの仲間たちと銀河アリーナで汗を流しているといいます。
「特別なスポーツ推薦の名門校出身だから成功した」というわけではなく、
普通の公立校に通いながら、地元の公共施設でコツコツと練習を続けてきた選手。
だからこそ、小谷優奈選手のストーリーは、
- 「うちの子も、こんなふうに頑張れるかもしれない」
- 「地方でも、雪国じゃなくても、世界を目指せるんだ」
という、現実味のある希望を与えてくれます。
ミラノ・コルティナ五輪や世界選手権で彼女の名前を聞いたら、
ぜひ頭の片隅で、「相模原の銀河アリーナから始まったカーリング人生だったな」と思い出してみてください。
きっと、テレビの向こうの1投1投が、少し違って見えてくるはずです。




