結論:鹿児島大学時代に人生が大きく動いた
先に結論から言うと、岡本公三は京都大学を二度受験して失敗し、1968年に鹿児島大学農学部に入学しています。
そこから赤軍派に加わるまでには、大学に来た1本のドキュメンタリー映画がきっかけになったと伝えられています。
この記事では、彼の学生時代から思想的な転機、赤軍派加入までの流れを、事実として確認できる範囲でまとめていきます。
熊本県で生まれた岡本公三のルーツ
岡本公三は1947年12月7日、熊本県葦北郡芦北町で生まれました。
父親は小学校の校長先生だったそうで、いわゆる教育熱心な家庭で育ったと考えられます。
実は彼には兄がいて、その兄・岡本武はのちに「よど号」ハイジャック事件を起こした人物です。
兄弟そろって過激な行動に走ったことから、当時の新聞では「過激に走った秀才兄弟」と報じられたこともあります。
兄たちと同じ道を目指した高校時代
岡本公三は熊本マリスト学園高等学校を卒業しています。
この学校を選んだ経緯についての詳しい記録は見当たらず、そこはわかっていません。
ただ、高校卒業後の進路選択には、兄たちの存在が大きく影響していたようです。
京都大学受験に失敗し、鹿児島大学へ(1968年)
岡本公三には2人の兄がいて、どちらも京都大学に進学していました。
公三もその背中を追うように京都大学を目指しましたが、二度受験して二度とも合格できませんでした。
正直、優秀な兄弟の末っ子として同じ大学を狙うのは、それなりにプレッシャーだったんじゃないかと想像してしまいます。
そして1968年、彼は鹿児島大学農学部に入学することになります。
ここまでは、よくある「浪人からの進路変更」の話です。
ただ、鹿児島大学に入ったことが、結果的に彼の人生を大きく変えていくことになります。
鹿児島大学農学部生としての日々
入学した当初の岡本公三が、どんな学生生活を送っていたかを詳しく伝える資料は多くありません。
農学部の学生として普通に授業を受けていた時期があったことは間違いないようですが、成績や交友関係などの細かい記録までは残っていないようです。
ここは「わからない部分」として、正直に伝えておきます。
県警が「要注意学生」としてマークしていた
一方で、当時の鹿児島県警は岡本公三を早い段階から警戒していたと言われています。
理由は単純で、「よど号事件の実行犯の弟」だったからです。
報道によると、当時の県警は彼のことを「鹿児島大学で最もマークすべき学生」と見なしていたとされています。
本人がまだ何もしていない段階から、兄の事件のせいで注目される立場に置かれていたわけです。
転機になった1971年の映画上映会
1971年、鹿児島大学に若松孝二監督と足立正生監督が制作したドキュメンタリー映画がやってきます。
タイトルは『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』で、両監督がレバノンのベイルートに渡り、現地のアラブゲリラの日常を撮影した作品でした。
今でこそ「伝説的なドキュメンタリー」と評されることもある作品ですが、当時の学生にとってはかなり刺激の強い映像だったはずです。
岡本公三はこの映画に強く共鳴したとされています。
1本の映画が、その後の人生を変える引き金になった、というのはなかなか重い話です。
「赤バス隊」への参加と学生運動
映画に感化された岡本公三は、この作品の上映運動を展開していた「赤バス隊」というグループに参加します。
「赤バス隊」は、映画を各地で上映して回りながら、その内容への共感を広げていく活動をしていたグループです。
ここでの活動を通じて、岡本公三は思想的にどんどん過激化していったと考えられています。
大学の農学部生が、映画をきっかけに活動家になっていく流れは、当時の時代背景を抜きには語れません。
1972年3月、赤軍派加入という選択
そして1972年3月、岡本公三は共産主義者同盟赤軍派に正式に加わります。
高校卒業から数えると、およそ4年ほどで「大学生」から「赤軍派メンバー」へと立場が変わったことになります。
この年の後半、彼は日本を出国してベイルートに渡り、そこで射撃訓練を受けたとされています。
その後の道のり(簡潔に)
この記事の主題は学歴と赤軍派加入までの経緯なので、事件そのものの詳細には深く触れません。
簡潔に触れておくと、1972年5月に岡本公三はイスラエルのテルアビブ空港で襲撃事件に関与し、その直後に鹿児島大学から放学処分を受けています。
つまり彼の「学生」としての肩書きは、事件と同時に正式に失われたことになります。
学歴・経歴を年表でまとめて整理
ここまでの流れを、年表として整理しておきます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1947年 | 熊本県葦北郡芦北町で誕生 |
| 高校卒業まで | 熊本マリスト学園高等学校を卒業 |
| 京大受験 | 京都大学を二度受験するも失敗 |
| 1968年 | 鹿児島大学農学部に入学 |
| 1971年 | 映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』の上映に共鳴し「赤バス隊」に参加 |
| 1972年3月 | 共産主義者同盟赤軍派に加入 |
| 1972年5月 | テルアビブ空港での事件に関与、鹿児島大学から放学処分 |
よくある質問
Q. 岡本公三は鹿児島大学のどの学部だった?
A. 農学部です。1968年に入学しています。
Q. なぜ京都大学ではなく鹿児島大学に入学したの?
A. 兄2人と同じ京都大学を二度受験しましたが、いずれも不合格だったためです。
Q. 大学在学中は普通の学生だったの?
A. 入学当初の詳しい生活記録は残っておらず、はっきりしたことはわかっていません。ただ兄の事件との関係で、県警から早くから警戒されていたと言われています。
Q. 赤軍派に加わったきっかけは?
A. 1971年に鹿児島大学で上映されたドキュメンタリー映画に強く共鳴したことが、大きなきっかけになったと伝えられています。
- 誕生:1947年、熊本県
- 高校:熊本マリスト学園高等学校
- 大学:鹿児島大学農学部(1968年入学)
- 転機:1971年の映画上映と「赤バス隊」への参加
- 赤軍派加入:1972年3月
まとめ
岡本公三の学歴を追っていくと、京都大学受験の失敗から鹿児島大学農学部進学、そして1971年の映画上映というきっかけを経て、1972年に赤軍派へ加入するという流れが見えてきます。
兄・岡本武がよど号事件を起こしていたことも、彼の人生に影を落としていたことは間違いなさそうです。
ただし大学入学当初の詳しい生活ぶりなど、資料として確認できない部分もあります。
結局のところ、1本の映画との出会いが、平凡だったはずの学生の人生を大きく変えてしまった、というのがこの話の核心だと言えそうです。


