「近江谷杏菜って、日本代表になるくらいすごい選手だけど、
実は家族もみんなカーリング人らしい……?」
この記事では、
近江谷杏菜さんの父・近江谷好幸さん
妹・近江谷七海さん
このお二人を中心に、
- どんな経歴を持っているのか
- どれくらい“カーリング一家”なのか
- その家族環境が近江谷杏菜さんにどう影響したのか
を整理していきます。
まずざっくり結論:近江谷家はガチの「カーリング一家」
先にポイントだけまとめておきます。
一言でいうと、
「お父さんは長野五輪の代表、娘はバンクーバー五輪の代表、
妹も高校時代から全国レベルで戦っていた」
という、超本格派のカーリング一家です。
ここからは、それぞれもう少し丁寧に見ていきましょう。
近江谷杏菜はどんな選手?家族の話の前に軽くおさらい
この記事の主役は父・妹ですが、軸になるのはやっぱり杏菜さん本人。
カンタンにプロフィールだけ押さえておきます。
- 生年月日:1989年10月12日
- 出身地:北海道北見市(旧・常呂町)
- 身長:165cm
- 所属チーム:フォルティウス
- 主な実績:
- 2010年バンクーバー五輪・女子カーリング日本代表
- 日本選手権優勝 6回(チームとして)
- 世界選手権出場多数
ウィキペディアには、
父は長野五輪男子代表&ソルトレーク五輪女子代表コーチ、
実妹もカーリング選手を目指している
と、はっきり書かれています。
つまり杏菜さんの強さの裏には、
「そもそも家族全員がカーリングにどっぷり」という背景があるわけですね。
父・近江谷好幸は“日本カーリング界のレジェンド”
続いて、いよいよお父さんの話です。
プロフィールと基本情報
父・近江谷好幸さんは、
日本カーリングの歴史を語るうえで外せない存在です。
- 名前:近江谷 好幸(おおみや よしゆき)
- 生年月日:1959年1月8日(北海道・常呂町生まれ)
- 身長:178cm
- 出身:北海道常呂町(現・北見市)
- 学歴:北海道常呂高校、北海道立農業大学校を卒業
- 職歴:北見市教育委員会 常呂教育事務所に勤務と紹介されている
カーリングを始めたのは26歳ごろとされ、
決して「子どものころからの英才教育」タイプではありません。
それでもそこから一気に頭角を現し、
日本代表レベルにまで駆け上がっています。
長野オリンピックで男子日本代表に
近江谷好幸さんの代名詞といえば、やはり長野オリンピックです。
- 1998年 長野冬季五輪
- カーリング男子日本代表として出場
- 最終順位は5位
当時は、カーリングが日本ではまだまだマイナーだった時代。
その中で、自国開催の五輪で代表入りしたわけですから、
「日本カーリングのパイオニア」の一人と言っていいでしょう。
日本選手権8回優勝という“勝ち癖”
日本カーリング選手権(男子)では、
- 優勝:8回(1992、1993、1994、1997、1998、1999、2004、2005)
という、とんでもない記録を残しています。
カーリングの日本選手権は毎年1回。
8回優勝するということは、
「10年以上にわたって、ほぼ常に日本のトップにいた」
ということです。
映画「シムソンズ」にもつながる人
さらにおもしろいのが、映画とのつながりです。
- 2002年:ソルトレークシティ五輪で女子代表「シムソンズ」のコーチを務める
- 2006年:そのチームをモデルにした映画『シムソンズ』が公開
- 映画の中で、近江谷さんをモデルにした人物を、俳優の大泉洋さんが演じた
つまり、
「リアル五輪選手であり、映画のモデルにもなった人」
というかなりレアな存在なんです。
指導者としても一流:娘たちを支えた“コーチ父さん”
近江谷好幸さんのすごさは、「選手として強かった」だけではありません。
ソルトレーク五輪で女子代表のコーチに
先ほど少し触れましたが、
- 2002年 ソルトレークシティ五輪
- 女子代表シムソンズのコーチとして帯同
- 世界の舞台で日本女子カーリングを支えた
選手としての経験を、
そのまま次の世代に渡す役割も担っていたわけですね。
娘のチーム「grace」「北見選抜」のコーチも
ウィキペディアによると、
- 2006年世界選手権出場以降は、
娘・杏菜さんの所属チーム「grace(グレイス)」のコーチを担当 - 現在は、実妹・七海さんがスキップを務める「北見選抜」のコーチを務めていると紹介されています
つまり、
「父は選手 → 娘のチームを指導 → 妹のチームも指導」
と、家族の成長に合わせて、
自分の役割もアップデートしてきたわけです。
地元・常呂の“カーリング文化”を背負う存在
常呂町(現・北見市常呂)は、日本のカーリング発祥地の一つと言われる地域。
その地で、選手としても指導者としても活躍してきた好幸さんは、
「地元のカーリング文化を支えてきた人」
と言っても大げさではありません。
地元誌の資料やカーリング特集記事でも、
「カーリングの伝道師」としてたびたび名前が挙がっています。
妹・近江谷七海も実力派の“カーリング次世代スター”
次は、妹の七海さんについて見ていきましょう。
高校時代から全国区の実力
2010年のバンクーバー五輪期間中、
スポーツ紙『日刊スポーツ』は七海さんを
「カーリング新アイドル!近江谷妹 ソチの星」
と紹介しています。
この記事によると、
- 当時16歳(のちに17歳になる年)
- 全国高校カーリング選手権で準優勝
- 「実力もあるし、ルックスも姉に負けない」とチーム関係者から太鼓判
と書かれており、
単なる“有名選手の妹”ではなく、
自分自身の実力で注目されていたことが分かります。
将来はソチ五輪を目指す存在だった
同じ記事の中で、七海さんは
- 「将来はオリンピックに出場したい」
- 「行けるなら姉と一緒のチームでやりたい」
といったコメントも残しています。
当時の報道では、
「ソチ大会以降の五輪で、“カーリング界の新アイドル”としてブレークする可能性大」
とまで書かれていました。
地元リーグや強化チームでも活躍
先ほどのブログ記事などを整理すると、七海さんは
- 北海道北見市常呂町出身
- 地元の常呂リーグチーム「Shines」でスキップを務めていたことがある
- 全国高校選手権で準優勝経験
- 「姉と同じチーム青森のメンバーとして登録されていたシーズンもある」との記述もあり、国内トップレベルでプレーした時期もある
また、父・好幸さんがコーチを務める「北見選抜」で、
スキップ(司令塔)としてチームを率いていたことも、
父のウィキペディアに記載されています。
姉・杏菜へのリスペクトが強い妹
2010年当時のインタビューでは、七海さんは姉について
「家では明るくて一緒にバカなこともやってくれるけど、
カーリングのことになるとガラっと真剣になる。あこがれの人」
と話しています。
また、バンクーバー五輪期間中も、
- 「今から開会式行ってくるよ」
- 「高校選手権がんばってね」
といったメールのやり取りをしていたことが紹介されており、
姉妹の距離感の近さが伝わってきます。
家族構成:4人全員が「カーリングをよく知っている」
ここで一度、近江谷家の家族構成を整理しておきます。
ブログ記事などでも、
「オリンピアンの父を中心に、家族全員がカーリングに深い理解を持つ“エリート一家”」
と表現されており、
まさに「カーリング一家」という言葉がピッタリです。
親子二代オリンピアンという特別な重み
近江谷家で特に象徴的なのが、
父と娘が、別々の大会で冬季五輪に出場している
という点です。
- 1998年:父・近江谷好幸さんが長野五輪男子代表
- 2010年:娘・杏菜さんがバンクーバー五輪女子代表
ウィキペディアにも、
「これにより父娘による冬季オリンピック日本代表選手となることが事実上決まった」
と、わざわざ書かれているほど。
日本のウィンタースポーツの中でも、
「親子で国際大会代表」という例は多くありません。
特にカーリングのような競技で、
- 父:男子日本代表&女子代表コーチ
- 娘:女子日本代表
という関係性は、かなりレアケースだと言えるでしょう。
カーリング一家だからこそ生まれた“3つの強み”
では、この「カーリング一家」の環境が、
杏菜さんの強さにどうつながっているのでしょうか。
中学生にも分かるように、ポイントを3つにまとめてみます。
① いつでも氷の話ができる“家庭内ミーティング”
- 父は元代表&現役コーチ
- 妹も全国レベルの選手
という家族なので、家の会話の中でも
- 「あの場面のショット、こっちの選択もあったよね」
- 「ハウスの見方はこうするといいよ」
といった具体的な戦術の話が自然に出てきます。
普通の家庭であれば、
「今日の練習どうだった?」
「楽しかったよ〜」
くらいで会話が終わりますが、
近江谷家の場合は、
「あのエンドの2投目、もう少し外を狙っても良かったかもね」
といった、かなり専門的な話までできる環境です。
これは、
「常に頭の中でカーリングを回し続けられる」という意味で、
大きなアドバンテージになっているはずです。
② モチベーションが続く「一番身近なライバル」
妹の七海さんは、
単に“応援してくれる家族”というだけでなく、
「同じ競技をする、一番近いライバル」
でもあります。
- 互いに全国大会を目指して練習する
- メディアからも“美人姉妹”として注目される
- それぞれの試合結果で刺激を受け合う
この関係性は、
「やめようと思っても、やめられないくらいの良いプレッシャー」
になっていたのではないでしょうか。
③ いつでも相談できる“現役コーチ”が家にいる
他の選手は、
- コーチに相談できるのは、練習や試合の時間だけ
というパターンが多いですが、
近江谷家の場合は、家に帰っても
「お父さんちょっと、この場面の選択どう思う?」
と聞けるわけです。
もちろん、
家庭なので常に“指導モード”ではないと思いますが、
- ふとしたときにアドバイスをもらえる
- 落ち込んだときに、経験者として励ましてもらえる
というのは、メンタル面でも大きな支えになっています。
「カーリング一家の物語」として近江谷杏菜を見ると…
ここまで、
- 父・近江谷好幸さん
- 妹・近江谷七海さん
- そして家族全体の雰囲気
を見てきました。
最後に、
「カーリング一家の物語」として、
近江谷杏菜さんのキャリアを振り返ってみます。
- 10歳でカーリングを始める(常呂小4年から)
- 父はすでに長野五輪代表として名を残した存在
- ジュニア時代には、父がコーチを務めるチームで日本ジュニア優勝、高校選手権2連覇
- チーム青森で日本代表となり、バンクーバー五輪へ
- 地元に戻って北海道銀行フォルティウス、その後フォルティウスと、地元北海道のチームでキャリアを重ねる
- 2020年代に入っても日本選手権優勝、世界選手権出場、
そして2026年のミラノ・コルティナ冬季五輪を目指すベテランとして活躍中
この流れを見ると、
一人の天才少女が突然現れた、というより、
「カーリングの町」と「カーリング一家」によって、少しずつ育てられてきたトップアスリート
というイメージの方がしっくりきます。
まとめ
最後に、この記事のポイントをもう一度整理します。
- 父・好幸さんはレジェンド級のカーリング選手
- 長野五輪男子代表
- ソルトレーク五輪女子代表コーチ
- 日本選手権8回優勝、映画『シムソンズ』のモデルにもなった人物
- 妹・七海さんも全国レベルの実力者
- 全国高校カーリング選手権準優勝
- 「カーリング新アイドル」「ソチの星」として注目された
- 家族全員がカーリングに詳しい“エリート一家”
- 父の経験と指導力
- 母の生活面のサポート
- 妹との良いライバル関係
→ 杏菜さんが長年第一線で活躍できる土台になっている
- 親子二代で冬季五輪日本代表という特別な歴史
- 1998年:父が長野五輪に出場
- 2010年:娘がバンクーバー五輪に出場
→ 日本スポーツ史の中でも貴重な「親子オリンピアン」
テレビや配信で近江谷杏菜さんの試合を見るとき、
これからはぜひ、
「この人の後ろには、長野を戦ったお父さんと、
一緒に氷を見てきた妹がいるんだな」
と、家族ごとの物語も重ねてみてください。
一投一投の重みが、
きっと今までよりも、ぐっと深く感じられるはずです。





