「宮岡凜太の進路、実業団?それとも“ふつうの就職”?どっちなんだ問題。」
早稲田の長距離ブロックで、
ずっと箱根メンバーに名前がありつつも、
なかなか走るチャンスが回ってこなかったのが
宮岡凜太(みやおか・りんた)選手。
そしてついに最終学年の今、
「実業団に行くの?」「会社員になるの?」と
進路が気になっている人も多いはずです。
結論から先に言うと――
宮岡凜太の進路は、実業団ではなく「一般企業への就職」です。
しかも、アスリートの“コンディショニング”を支える会社に内定しています。
この記事では、
- 宮岡凜太ってどんな選手なのか
- 4年間の競技生活でどんな道を歩んできたのか
- 卒業後の進路「TENTIAL(テンシャル)就職」の意味
- 実業団ではなく“就職”を選んだ背景と、今後の可能性
を整理していきます。
宮岡凜太ってどんな選手? プロフィールと自己ベスト
まずは基本情報を整理しておきましょう。
- 名前:宮岡 凜太(みやおか りんた)
- 生年月日:2003年10月7日
- 大学:早稲田大学 商学部 4年
- 所属:早稲田大学競走部 長距離ブロック
- 出身地:神奈川県
- 出身校:鎌倉学園高校(2019年 全国高校駅伝に出場)
早稲田の公式プロフィールによると、主な自己ベストは:
- 1500m:4分05秒14
- 3000m:8分36秒29
- 5000m:14分16秒96
- 10000m:29分46秒31
- ハーフマラソン:1時間01分59秒
- マラソン:2時間19分02秒
特にハーフ1時間01分59秒は、
学生ハーフとしてもトップクラスのタイムです。
さらに、2025年の全日本大学駅伝では、
ついに三大駅伝デビューを果たし、
6区を任された4年生としてタスキをつなぎました。
「学年はエース級ほど派手ではないのに、
気づいたらチームの“縁の下の力持ち”になっていたタイプ」
というのが、宮岡凜太という選手のイメージです。
中学〜高校時代:地元・湘南から全国へ
宮岡選手は、神奈川の湘南エリア出身。
出身高校は鎌倉学園で、2019年には全国高校駅伝にも出場しています。
いわゆる「バリバリの世代トップ」というより、
- 地元の強豪校でコツコツ力をつけ
- 高校駅伝の全国舞台も経験し
- 早稲田には指定校推薦で入学
という、“頭も運動もどちらも頑張ってきた”タイプの選手です。
高校時代の派手な入賞歴よりも、
「真面目に練習して、着実に伸びてきたランナー」
という印象が強く、そのスタイルは大学に入ってからも変わっていません。
早稲田での4年間:補欠から「頼れる4年生」へ
1〜2年:ケガと空回りからのスタート
1年生の頃は、
- 大学の練習についていこうとしすぎて空回り
- 練習をやりすぎて貧血気味になったり
- 夏合宿前にケガをして参加できなかったり
と、なかなか思うように走れなかった時期もありました。
そこで、当時のキャプテンなどから、
「休むことも練習だよ。メリハリが大事。」
とアドバイスを受け、「走る・休む」のバランスを見直したことが大きな転機になります。
3年:ハーフ61分台で一気に存在感アップ
3年生になると、
日本学生ハーフマラソン(丸亀)で1時間01分台の好記録をマーク。
自己ベストを大きく更新し、
「宮岡=ハーフが強い選手」というイメージが一気に広がります。
チーム内でも、
- 夏合宿の走行距離は“部内トップクラス”
- 長い距離をコツコツ踏める“タフさ”
が評価され、箱根のメンバー争いでも名前が挙がるようになりました。
しかしこの年も、
箱根駅伝ではエントリー止まりで出走はならず。
「メンバーには入るのに、なかなか走らせてもらえない」
という、もどかしい立場が続きます。
4年:ラストイヤー、ついに箱根路へ…?
2025年9月、朝日新聞の4years.の特集では、
宮岡選手は
「ラストイヤーで箱根に出るために、心の中に炎を灯し続けてきた」
と語られています。
2025年12月時点で、
- 学年:商学部4年
- 箱根駅伝2026(第102回)のエントリーメンバーに4年連続で選出
というところまで来ています。
しかも、地元は湘南エリア。
本人は以前から、
「どうしても3区か8区、地元を走りたい」
と語ってきました。
箱根路に立てるかどうかは、
この記事を書いている時点ではまだ“当日発表待ち”ですが、
「4年間エントリーされてきて一度も走っていないので、
最後は、自分が任された区間をしっかり区間上位で走りたい」
とコメントしており、
まさに“ラストチャンス”に賭ける年になっています。
そもそも「実業団」と「ふつうの就職」って何が違う?
タイトルにもある「実業団か就職か?」を考える前に、
ざっくり両方の違いを整理しておきます。
実業団選手の場合
- 企業の陸上部に所属して給料をもらう
- 練習や大会参加が“仕事”の一部
- ニューイヤー駅伝などの実業団駅伝にも出場
- トレーナーやコーチ、用具などのサポートが手厚い
簡単に言うと、
「社会人になっても“ガチのアスリート”として走り続ける道」
です。
一般企業への就職の場合
一方、普通に会社に就職すると、
- 仕事のメインは営業・企画・マーケ・事務など
- 走るかどうかは“プライベート次第”
- 競技としてではなく、趣味や健康維持として走り続ける人も多い
つまり、
「陸上は区切りをつけて、社会人としてのキャリアを優先する道」
になります。
では、宮岡凜太はどちらを選んだのか。
宮岡凜太のリアルな進路:TENTIAL(テンシャル)に就職内定
ここが一番気になるところだと思うので、
ハッキリお伝えします。
コンディショニングブランド「TENTIAL(テンシャル)」の公式noteでは、
宮岡凜太についてこう紹介されています。
- 早稲田大学4年 競走部長距離ブロック所属
- 就職活動を通じてTENTIALと出会い、内定
- 2026年4月からTENTIALに入社予定
つまり、
進路は「株式会社TENTIALへの就職」で、
実業団ランナーとして走り続けるのではなく、
コンディショニングを“支える側”に回る道を選んだ
ということになります。
TENTIALってどんな会社?
TENTIALは、
- 「健康に前向きな社会をつくる」ことをミッションに掲げる
- コンディショニングブランド(ウェルネスブランド)
- リカバリーウェア「BAKUNE」やインソール、枕、布団など
“体の回復・パフォーマンスアップ”を助ける商品を展開している会社です。
元アスリートが中心になって立ち上げたベンチャーで、
- 着て寝るだけで疲労回復を狙うリカバリーウェア
- 姿勢や睡眠の質を考えた枕やインソール
など、“毎日のコンディショニング”をテーマにした商品が有名です。
そんな会社に、
学生ランナーとしての経験を持った宮岡凜太が2026年4月に入社予定。
まさに、
「選手から、選手や一般の人を支える側へ」
というキャリアチェンジですね。
なぜ実業団ではなく「就職」を選んだのか?
TENTIALのインタビュー記事を読むと、
宮岡選手の考え方がよく分かってきます。
① もともと「競技は大学まで」と決めていた
宮岡選手は、
大学2年の終わり頃から就職活動を始めたとき、
「競技は大学で区切りをつけようと思っていた」
「卒業後は“市場価値の高い人間”になりたい」
という考えを持っていたと話しています。
つまり、
- 走ることは大好き
- でも“人生トータル”で見たときには、
社会人としてのキャリア作りも大事にしたい
という価値観だったわけです。
② きっかけはサマーインターン
就活の中で、
TENTIALのサマーインターンに参加したことが
大きなターニングポイントになりました。
- 最初は「日程が合うから」と軽い気持ちで参加
- しかし、メンターからのフィードバックに強く心を動かされる
- 「自分の殻を破る挑戦ができる場所」に行きたいと考えるようになる
そこから、
「スポーツ×コンディショニング×スタートアップ」
という軸で、自分に合う場所を探した結果、
TENTIALを選んだと話しています。
③ 「自分にしか出せない価値」がある場所を選んだ
インタビューの中で、宮岡選手は
「中学からずっと陸上を続けてきて、
自分なりにコンディショニングを試行錯誤してきた。
その経験を社会に還元できる場所として、
TENTIALに“自分にしか出せない価値”を感じた」
と語っています。
- ただの“スポーツ好き”として働くのではなく
- 自身の競技経験+コンディショニングへのこだわり
- それを商品やサービスの形で人々の健康に役立てる
という道を選んだ、ということですね。
「有力候補先」はどこ? → すでに“本命内定済み”だった件
この記事のタイトルは、
「宮岡凜太の進路!実業団か就職か?有力候補先は?」
となっていますが、
ここまでの情報を整理すると、
- 宮岡凜太はTENTIALに内定済み
- 2026年4月から入社予定
- つまり「有力候補先」どころか、本命が確定済み
という状態です。
強いて“候補”の話をするなら、
- 実業団に進んで、長距離選手として駅伝・マラソンを続ける
- 一般企業に就職して、走るのは趣味レベルにする
- スポーツ・コンディショニング系の会社に入って“支える側”に回る
という3ルートを
かなり真剣に考えた上で、
③の「コンディショニングを支える会社に就職」という道を、
自分で選び取り、TENTIALから内定を得た。
…という流れと言えます。
実業団入りの噂が出てもおかしくない記録・実績ではありますが、
あえてそこには進まない選択をした、というところが
宮岡選手らしい「堅実さ」とも言えますね。
社会人になった宮岡凜太に期待できること
では、
TENTIALに入社したあとの宮岡凜太は、
どんな未来が待っていそうか。
これはあくまで“予想”ですが、
せっかくなので、ファン目線で3つほど挙げておきます。
① コンディショニングの「伝道師」として活躍
- 自分自身がケガや貧血で悩んだ経験
- 練習のやりすぎから「休むことも練習」と学んだ経験
- ハーフ1時間01分台という実績
これらを持つ人が、
コンディショニングブランドの社員として、
「どうすればケガしにくく、
長く競技を続けられるのか」
を伝えていくのは、かなり説得力があります。
学生ランナー向けのイベントや、
高校・大学への講習会などで
宮岡さんの名前を見かける日が来るかもしれません。
② 「走る社員」として市民マラソンで再登場?
インタビューでは、
「競技は大学で区切り」としつつも、
コンディショニングや健康への興味はずっと持ち続けている
ことがにじんでいます。
会社の仲間と駅伝に出たり、
市民マラソンで2時間10〜20分台を狙ったり…といった
「走る会社員」
としての姿を見られる可能性も、十分ありそうです。
特にTENTIALは
インソールやリカバリーウェアなど“走る人向けの商品”が多いので、
「TENTIAL社員兼ランナー・宮岡凜太」
みたいな立ち位置で、
プロモーションに登場する未来も想像できます。
③ 将来、指導者として陸上界に戻る可能性も
宮岡選手は、
もともと早稲田に入学したときの志望理由書に
「将来は治療の先生になりたい」
と書いていたと話しています。
これは裏を返せば、
- 人の体や健康を支えることに関わりたい
- 選手を支える側にも興味がある
ということ。
TENTIALで経験を積んだあと、
- トレーナー
- コンディショニングコーチ
- 陸上部のサポートスタッフ
といった形で、
再び“現場”に戻ってくる可能性もあります。
「選手として箱根を走れなかった悔しさを、
将来“支える側”として取り返す」
そんなストーリーがあっても、素敵ですよね。
まとめ
ここまでの内容を、あらためて整理します。
つまり、この記事の問いに答えるなら、
Q. 宮岡凜太の進路!実業団か就職か?
A. 就職(TENTIALに入社)でほぼ確定。
実業団ではなく、“コンディショニングのプロ”として生きる道を選択。
というのが、現在分かっている“正しい答え”になります。

