遠藤保仁の引退は、ただ「年齢だから」「出場機会が減ったから」という単純な話ではありません。
インタビューや本人のコメントを追っていくと、「ヤットらしい」すごく遠藤保仁っぽい理由が見えてきます。
この記事では、
- いつ・どうやって引退が決まったのか
- 本人が語った“本当の引退理由”
- 実質の引退試合となったゲームと、そのメンバー
- 日本代表ラストの舞台裏
を整理していきます。
2024年1月9日、静かに届いた「現役引退」の知らせ
まずは事実関係から整理します。
- 2024年1月9日
→ ジュビロ磐田が、遠藤保仁(当時43歳)の「2023シーズン限りでの現役引退」を公式発表。
→ 同日にガンバ大阪が、「トップチームコーチ就任」も発表しました。 - 引退にあたってのコメント
→ 「磐田・浜松での生活を本当に楽しめた。最高の想い出ができた」
→ 「来シーズンはJ1でみんなが輝いているところを陰ながら応援したい」など、ジュビロと磐田・浜松への感謝を語っています。 - 記者会見はナシ
→ 専属事務所のYouTubeで「オフはオフなので、会見は開きません」と説明。「真面目な会見は自分らしくない」という理由も話していました。
日本代表152試合出場、日本史上最多の“記録の男”の引退にしては、とても静かで、ちょっと肩の力が抜けたような形でした。
ここから、「じゃあ、本当の引退理由って何だったの?」という話に入っていきます。
「試合に出られないから」ではない。ヤットが語った“真の引退理由”
「自然と、もういいかなーって思いが大きくなっていった」
ガンバ大阪の公式インタビューで、遠藤本人がかなり正直に“心の中”を話しています。
ポイントをかんたんにまとめると、
- J2のシーズンで出場は42試合中21試合と半分ほど
→ でも「だから引退しようとは思わなかった」 - 昇格するかどうか、出場時間が減ったかどうかは、決め手ではない
- 判断基準は「自分が選手を続けたいか、続けたくないか」だけ
- シーズンが進む中で「自然と、もういいかなー」という気持ちが大きくなった
という内容です。
つまり、
「出られないから辞めた」
「チーム状況が悪いから辞めた」
ではなく、
「やり切った。もう十分だな」
という、本人の心の声が大きかったわけですね。
「夏が暑すぎる。命に関わるから危ない」
もう1つ、本人がハッキリ口にしている理由があります。
自分のYouTube企画「ヤットへインタビュー」で、こう話しています。
- 「きっかけとかタイミングとかない。ある程度、今年までかなと」
- 「これという決め手は、あまりない」
- そのうえで
→ 「夏が暑すぎるのは、ひとつある。命に関わるから危ない」
Jリーグの夏の酷暑でプレーすることが、本当に危険なレベルになってきている、という話ですね。
同じく日本代表DF吉田麻也も「生命の危機を感じるレベル」と話していたほどです。
もちろん、
- 暑さ=一番大きな理由
とまでは言っていませんが、
「もう十分やった」+「この暑さで無理をする年齢でもない」
この2つが合わさって、背中を押したのは間違いなさそうです。
2〜3年前からあった“そろそろかな”という気持ち
さらに、Jリーグ公式番組「KICK OFF! KANSAI」での中村俊輔との対談では、こんな舞台裏も語っています。
- 「そろそろかな、は2〜3年前からずっとあった」
- 2023シーズンのはじめに、ジュビロの藤田俊哉SDに
→ 「もしかしたら今シーズンまでかな」という話をしていた - 最終的に、2023年10月ごろに
→ 「99%今年で辞めます」と伝えた
つまり、気分で「引退しよっかな」と思ったわけではなく、2〜3年かけてゆっくり考えて、2023年の秋に“決定ボタン”を押した、という流れです。
「自分の引退試合だと思っていた」2日連続の特別なゲーム
ガンバのインタビューでは、こんな印象的な言葉も出てきます。
- 2023年12月16日:橋本英郎 引退試合(ガンバ大阪’05 vs 日本代表フレンズ)
- 2023年12月17日:中村俊輔 引退試合
この2試合について、遠藤は
「実は勝手に自分の引退試合だと思っていた」
と笑いながら話しています。
- 懐かしいガンバの仲間たちとパナスタでプレーし、
- その翌日に、日本代表の仲間たちともボールを蹴る。
そして試合後には、
「あー楽しかった!」
「最高の引退試合になりました! ま、誰も知らんかったけど(笑)」
と語っています。
このあたりに、“らしさ全開”の引退の仕方が見えますよね。
本当の引退理由を一言でまとめると?
ここまでの話を、あえて1つにまとめると、
「やり切った満足感」と「指導者へのワクワク感」が、選手としての自分を上回った
と言えそうです。
具体的には、
- 結果・タイトル・記録の面で、もう十分すぎるほど達成した
- J1最多出場、代表最多出場など、ほとんどの“最多”を更新。
- ジュビロ磐田をJ1に戻して一区切りがついた
- 2023年、磐田は最終節で逆転昇格を決めてJ1復帰。
- 2〜3年前から「そろそろかな」と考え続け、2023年秋に決断
- 酷暑でのプレーに、本当に危険を感じていた
→ 「夏が暑すぎるのは、命に関わるから危ない」 - 「選手よりコーチのほうが面白そう」と感じるようになった
→ 「選手より指導者に対するモチベーションが圧倒的に大きくなったからそっちを選んだ」と本人。
なので、「本当の理由」を一言で言うなら、
『選手として“もう十分”。次は指導者として本気でやりたい』
これが、遠藤保仁の“真の引退理由”と言っていいと思います。
実質の「引退試合」となった2つのゲームと、そのメンバー
橋本英郎 引退試合(2023年12月16日)
まず1つ目は、2023年12月16日にパナソニックスタジアム吹田で行われた「橋本英郎 引退試合」。
- 対戦カード:
→ ガンバ大阪’05 vs 日本代表フレンズ - ガンバ大阪’05側のメンバー(一部抜粋)
→ 橋本英郎、シジクレイ、フェルナンジーニョ、アラウージョ、二川孝広、松波正信、大黒将志 など。 - 日本代表フレンズ側のメンバー(一部抜粋)
→ 川島永嗣、中澤佑二、坪井慶介、駒野友一、内田篤人、佐藤寿人、稲本潤一、今野泰幸、玉田圭司、大久保嘉人、中村憲剛 など。
さらに後日発表では、ジュビロ磐田所属だった遠藤保仁も「ガンバ大阪’05」側として追加参加しています。
ガンバ黄金期の仲間と、代表戦士たちが一堂に会した、まさに“平成Jリーグ総集編”のような顔ぶれでした。
中村俊輔 引退試合(2023年12月17日)
その翌日、12月17日には中村俊輔の引退試合が開催されました。
ここでも、日本代表時代をともに戦ったメンバーが大集合。
ガンバのインタビューで遠藤は、この中村俊輔の引退試合について、
「実は勝手に自分の引退試合だと思っていた」
と語っています。前日の橋本英郎 引退試合とセットで、
「最高の引退試合になりました!」
と振り返っているので、本人の中ではこの2日間が“自分のラストマッチ”という感覚だったのでしょう。
公式戦としてのラストは“静岡ダービー”
いっぽう、「ガチの公式戦」という意味でのラストマッチは、J2最終盤の清水エスパルスとの静岡ダービーだったと本人が明かしています。
- 後半38分から出場し、約7分間だけプレー
- 本人も「どれが最後の試合になるか分からなかったけど、結局静岡ダービーだったかな」と語っています。
サポーターとしては、あとから振り返って「実はあの7分がラストプレーだった」と知ることになった、というわけですね。
日本代表ラストの舞台裏と、“静かなフェードアウト”
代表最多152試合出場という大記録
まず大前提として、日本代表の公式戦(国際Aマッチ)出場記録は、
- 出場数:152試合(歴代1位)
- 期間:2002〜2015年
と、ダントツの数字です。
W杯も3大会連続で出場し、2010年南アフリカ大会ではデンマーク戦で直接FKを決め、日本のベスト16入りに大きく貢献しました。
2014年ブラジルW杯・コロンビア戦「代表ラストになるかもしれない一戦」
2014年ブラジルW杯のグループ最終戦・コロンビア戦の前には、メディアでも
「代表ラストになるかもしれない重要な一戦」
と表現されています。
当時34歳。
ザッケローニ体制の4年間の集大成であり、同時に「黄金世代」の一区切りでもありました。
結果としてあの試合が「完全なラスト」ではなかったものの、
- “この試合が最後になるかもしれない”という覚悟
- チームとしても、世代交代の入り口に差しかかっていたこと
を考えると、精神的にはここが一つの“代表ラストの山”だったと言えます。
2015年アジアカップが“代表として最後の大会”
その後も、2015年アジアカップにベテランとして参加し、日本は準々決勝でUAEに敗退。
この大会が、結果的に
- 遠藤保仁にとって、日本代表として最後の公式大会
- その後の新体制(ハリルホジッチ監督)のもとでは、メンバーからはずれる
という流れにつながっていきます。
ハリルホジッチ体制になった2015年3月、チュニジア戦・ウズベキスタン戦のメンバー発表では、
「国際Aマッチ152試合の遠藤保仁を、あえて外した」
ことが「改革の象徴」として取り上げられました。
つまり、日本代表については、
- 「引退会見」をしたわけではない
- でも、2015年アジアカップ前後を境に、静かに代表からフェードアウトした
という形です。
まとめ
ここまでの話を整理すると、
派手なセレモニーではなく、
自分のペースで、静かに、でもしっかりと「区切り」をつける。
それは、
- 横浜フリューゲルス消滅という苦しいスタートから、
- ガンバ黄金期、代表最多出場、ジュビロでのラストイヤーまで、
ずっと「チームのために」「自分のスタイルを崩さず」淡々とやり抜いてきた、あの遠藤保仁のイメージそのものです。
これからは、
- ガンバ大阪のトップチームコーチとして
- そしていずれは、監督や日本代表スタッフとして
ピッチの外から、日本サッカーを動かしていく姿を見ることになるかもしれません。
「ヤットのプレーはもう見られないけれど、
ヤットが作るチームは、これから何度も見られるかもしれない。」
そう思うと、引退はゴールではなく、“第2のキックオフ”なんだな、という気がしてきますね。



