2025年11月23日、大相撲九州場所の千秋楽。
本来なら、結びの一番で「横綱・大ノ里(大の里)」と「横綱・豊昇龍」の横綱同士の激突が組まれていました。
ところが、館内に流れたのはまさかのアナウンス。
「東横綱・大の里は、ケガのため本日休場。不戦敗となります」
この瞬間、「大ノ里 休場」「大の里 休場理由」といったワードが一気にネットでトレンド入り。
しかも大ノ里は、14日目終了時点で11勝3敗の首位グループ。まだ優勝の可能性が十分にあった中での休場でした。
では、大ノ里はいったいなぜ休場する決断をしたのか?
そして、復帰はいつごろになりそうなのか?
この記事では、
- 休場の正式な診断内容
- ケガをした「発端の一番」
- 千秋楽当日の決断までの流れ
- 肩鎖関節脱臼とはどんなケガか
- 復帰時期の目安と今後の影響
を整理していきます。
大ノ里(大の里)ってどんな力士?
まずは、簡単に大ノ里についておさらいしておきましょう。
- 四股名:大の里
- 本名:中村泰輝(なかむら だいき)
- 出身:石川県
- 所属部屋:二所ノ関部屋
- 年齢:25歳(2025年時点)
若くして横綱に昇進した、日本出身の新しい時代の象徴のような力士です。
前の場所では優勝も飾り、今場所の九州場所でも「2場所連続優勝」「年間4度目の優勝」がかかっていました。
つまり、大ノ里にとって九州場所は、
- 横綱としての存在感をさらに固める
- 「強い新横綱像」を世間に印象づける
そんな大事な場所だったわけです。
休場理由は「左肩の肩鎖関節脱臼」― 診断書の内容
日本相撲協会に提出された診断書によると、
大ノ里の正式なケガの内容はこう書かれています。
左肩鎖関節脱臼で1カ月間の安静加療が必要
ざっくり訳すと、
- 左肩の「肩鎖関節」という部分が
- 脱臼(ずれてハマっていない状態)してしまい
- 少なくとも1か月は安静と治療が必要
ということです。
さらに、師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)はメディアに対して、
- ケガをしたのは13日目の安青錦戦の立ち合い
- 千秋楽の朝、稽古場で動かしてみたが「これは無理をさせられない」と判断
- 30日から始まる冬巡業も休場する方向
といった説明をしています。
つまり、
「横綱なのに優勝争いトップで千秋楽を休むなんて、根性が足りない」
という話ではまったくなく、
「悪化させれば、横綱生命に関わるレベルのケガなので、ここはあえて止めた」
という方向の判断だったことがわかります。
発端は13日目「安青錦戦」の立ち合いだった
大ノ里の左肩を壊すきっかけとなったのは、13日目の関脇・安青錦(あんせいにしき)戦です。
テレビや動画で見た人もいると思いますが、ポイントは「立ち合いの衝突」です。
13日目・安青錦戦で何が起きた?
- 立ち合いで、両者がぶつかった瞬間
- 大ノ里の体勢がやや崩れ、左肩に強い負荷がかかった
- その後の動きもどこかぎこちなく、最後は押し切られて黒星
土俵から落ちるときなどに肩から落ちるような形になり、そこで肩鎖関節に大きな力がかかった可能性が高いと見られています。
14日目・琴桜戦には出たが…
14日目、大ノ里は大関・琴桜と対戦しましたが、このときすでに左肩の状態はかなり悪かったようです。
- 立ち合いからいつもの力強さが見えない
- 攻め込まれても、肩をグッと使った粘りが出せない
- 結果として、力なく敗れてしまう
記録上も、この14日目の黒星で11勝3敗の首位グループにとどまったまま、千秋楽を迎えることになりました。
千秋楽当日の朝に下された「休場」という決断
では、千秋楽の朝、どんなやり取りがあったのでしょうか。
報道によると、
- 朝稽古の時間に、大ノ里が軽く体を動かしてみた
- 左肩の痛みや動きに、まだ大きな問題があることが判明
- 大ノ里本人と、二所ノ関親方が話し合い
- 結果として、「ここで無理はさせない」という結論に
二所ノ関親方は、
千秋楽の休場で大変申し訳ない
とファンに向けて謝罪していますが、その裏側には
- これ以上やれば、長期離脱につながるリスク
- 横綱として、今後も長く土俵に立つ責任
この2つを、かなり重く考えたことがうかがえます。
千秋楽の結びの一番で組まれていた豊昇龍との横綱対決は不戦勝となり、優勝争いの構図も一気に変わりました。
「肩鎖関節脱臼」ってどんなケガ?かんたん解説
ここからは、「左肩の肩鎖関節脱臼って、結局どこのケガ?」という疑問にお答えします。
肩鎖関節(けんさかんせつ)とは?
肩鎖関節は、
- 鎖骨(さこつ)…首の下を横に走っている骨
- 肩甲骨(けんこうこつ)…背中側で肩を作っている大きな骨
この2つがつながっている関節です。
肩から転んだり、コンタクトスポーツで強くぶつかったりすると、
- 鎖骨と肩甲骨をつないでいる靱帯(じんたい)が伸びたり切れたり
- 関節がずれて「脱臼」した状態になる
これが「肩鎖関節脱臼」です。
どんなときに痛い?
- 腕を上げようとするとズキッと痛む
- 肩を回す動きがつらい
- 力を入れて押し込む動きができない
大ノ里のように、全体重を預ける立ち合いや、土俵際で粘るときの踏ん張りには、肩の安定が欠かせません。
そこが脱臼している状態では、横綱レベルの相撲はまず無理と考えてよいでしょう。
回復までどれくらい?
肩鎖関節脱臼には、ケガの重さによっていくつかのタイプがありますが、
- 軽いタイプなら、数日〜数週間で日常生活に支障がないレベル
- スポーツに本格的に復帰するには、1〜2か月ほどかかることも多い
といった目安が医療機関の情報として出ています。
診断書に書かれた「1カ月間の安静加療」という期間は、
まさにこの一般的な回復目安に近い数字だと言えるでしょう。
復帰時期はいつ?公式情報と現実的な見通し
ここが、ファンとして一番気になるところですよね。
公式にわかっていること
- 診断書には「1カ月間の安静加療」とある
- 30日からの冬巡業は休場の方向になっている
つまり、
- 少なくとも12月いっぱいは本格的な相撲はできない
- 巡業での相撲やファンサービスも、今回は見送る
ここまでは確定している情報です。
「じゃあ、本場所復帰は?」という問いへの答え方
本場所への復帰時期については、現時点ではっきりした公式発表はありません。
ただ、一般的な肩鎖関節脱臼の情報から考えると、
- 軽いタイプ:1〜2か月でスポーツ復帰が可能なケースもある
- コンディション調整や相撲の稽古を考えると、
「診断書どおりの1か月」+「実戦復帰に向けた調整期間」が必要
というイメージになります。
ですから、
「次の本場所には必ず出られる」
と言い切ることもできませんし、
「長期離脱は確定」
と言い切ることもできません。
大切なのは、
- 焦って土俵に戻さないこと
- 完全に近い形で肩が戻ってから復帰すること
この2つです。
個人的な見立てとしては、
無理をせず治療を優先すれば、「数か月単位」で見ておいたほうが安全
という感覚に近いです。
優勝争い・相撲界への影響 ― 「不戦勝優勝」という異例の結末
大ノ里が休場したことで、九州場所の優勝争いにも大きな変化が起きました。
- 14日目まで:大ノ里・豊昇龍・安青錦の3人が11勝3敗で並ぶ
- 千秋楽の結びは「大ノ里 vs 豊昇龍」という、まさに優勝決定戦級の一番
- しかし大ノ里が休場したことで、豊昇龍は不戦勝
- 安青錦が琴桜に敗れたことで、豊昇龍の優勝が決まる
「横綱同士の結びの一番が、休場によって消える」というのは、
ファンにとっても協会にとっても、かなり異例で残念な展開でした。
一方で、
- 背景には「左肩鎖関節脱臼」という、決して軽くないケガ
- 横綱として「土俵人生を守るための休場」
という事情がある以上、
「潔く休む」という選択もまた、横綱としての覚悟の裏返しととらえることもできます。
大ノ里が戻ってきたとき、さらに強くなる理由
ケガからの復帰は、ただの「マイナス」ではありません。
トップアスリートや力士たちのケースを見ると、
- ケガをきっかけに、自分の体の使い方を見直す
- フォームや稽古内容が洗練される
- メンタル面が一段と強くなる
という「ステップアップのきっかけ」になった例も少なくありません。
大ノ里の場合も、
- 肩周りの筋力バランス
- 立ち合いの衝撃の受け方
- 土俵際のしのぎ方
こうした部分を見直すことで、さらに完成度の高い横綱像に近づいていく可能性は十分あります。
ファンとしてできること ― 「責める」より「待つ」ほうが効く
SNSを見ていると、
- 「千秋楽で休むなんて…」
- 「横綱なんだから出てほしかった」
といった声もゼロではありません。
ただ、事情を冷静に見ていくと、
- 「左肩鎖関節脱臼」は、無理をすれば選手生命に関わるケガ
- 診断書でも「1か月の安静加療」が必要とされている
- 親方も「千秋楽で申し訳ない」と謝りつつも、「無理はさせない」と決断
という流れがあります。
ファンとしてできる一番の応援は、
「しっかり治して、元気な姿で戻ってきてほしい」
と願いながら、復帰の土俵を楽しみに待つことです。
それは、大ノ里本人にとっても、
「無理をしてでも出ろ」
というプレッシャーより、ずっと力になるはずです。
まとめ:大ノ里はなぜ休場したのか?いつ戻ってくるのか?
最後に、この記事のポイントをギュッとまとめます。
大ノ里は、まだ25歳という若い横綱です。
今回の休場が、結果的に「長く相撲をとるための一歩」になってくれることを願いたいですね。
そして私たちファンにできることは、ただひとつ。
「しっかり治して、もっと強くなって戻ってこい!」
と、画面の前から、そして土俵の桟敷から、静かにエールを送り続けることだと思います。


