バスケットボール女子日本代表として、東京五輪やパリ五輪で大活躍したポイントガード・宮崎早織選手。
「すごいスピード」「小柄なのに世界と戦っている」――そんなプレーの“原点”がどこにあるのか。
宮崎選手は、愛媛県の強豪・聖カタリナ女子高校(現・聖カタリナ学園高校)でプレーし、インターハイ・ウインターカップで準優勝や3位など、全国トップレベルの成績を残しています。
この記事では、
- どんな道をたどって聖カタリナ女子に進学したのか
- 高校3年間の主な成績
- 一色先生のもとでどんなことを学んだのか
- メンタル面でどんな壁を乗り越えたのか
を整理していきます。
宮崎早織の基本プロフィールと「聖カタリナ女子」への進路
まずは、簡単にプロフィールから整理しておきましょう。
- 生年月日:1995年8月27日
- 出身地:埼玉県(川越市出身)
- ポジション:ポイントガード(PG)
- 出身校:
- 川越市立南古谷小学校
- さいたま市立与野東中学校
- 聖カタリナ女子高校(聖カタリナ学園高校)
小学生のころ、5歳上のお姉さんがバスケットをしていたことがきっかけで、自分もミニバスを始めたと言われています。
中学では与野東中のバスケ部で活躍し、そこから一気に愛媛の強豪・聖カタリナ女子高校へ。
埼玉から愛媛という、かなり思い切った進学ですよね。
バスケットボール専門メディアのインタビューによると、宮崎選手は
「一色先生に教わりたいと思ってカタリナに決めた」
という趣旨のことを話しています。
つまり、
- 「バスケの強さ」だけではなく
- 「この先生のもとで学びたい」という思い
で学校を選んだ、ということです。
聖カタリナ女子高校とは?どんなバスケ部だったのか
聖カタリナ女子高校(現・聖カタリナ学園高校)は、愛媛県松山市にある私立高校で、女子バスケットボールの強豪として全国的に知られています。
特徴をざっくり言うと、
- 全国大会の常連校
- 「走るバスケ」「前からプレッシャーをかけ続けるディフェンス」が持ち味
- 小柄な選手でも、運動量とスピードで勝負できるスタイル
というチームです。
これは、後に宮崎選手が日本代表として見せる「スピード」「前からプレッシャーをかける守備」とも重なります。
また、聖カタリナはカトリックの学校でもあり、礼拝や宗教の授業などもある、生活面もきちんとした環境だとインタビューの中で語られています。
1年生:全国の雰囲気を知った「スタートの年」
U16日本代表とウインターカップ
宮崎早織が最初に「全国の舞台」を味わったのは、高校1年のときです。
- U16日本代表として国際大会に出場
- ウインターカップ(全国高校バスケットボール選抜優勝大会)に、1年生でメンバー入り
インタビューでは、初めての国際大会について、
- すごく緊張して気持ち悪くなったり、お腹が痛くなったりした
- それでも、チーム一丸となって優勝をつかんだ
というエピソードが紹介されています。
この時すでに、「背が低いチームが、前からのプレスと運動量で戦う」というスタイルで鍛えられていたそうです。
後の宮崎選手のしつこいディフェンスや、試合終盤でも落ちない運動量は、ここでの経験が土台になっていると考えられます。
初めてのウインターカップで感じた「圧」
ウインターカップについても、
- インターハイと比べて、会場の雰囲気がまったく違う
- 観客の数、空気の重さ、緊張感がすごかった
と話しています。
この年、聖カタリナ女子は3回戦で岐阜女子高校に敗退。
だからこそ、
「いつかメインコートで試合がしたい」
という気持ちが強くなった、と語っています。
1年生の宮崎早織は、
- すでに全国レベルのスピードと技術を持ちながら
- メンタル面では「緊張と戦う」段階
だったと言えそうです。
2年生:インターハイ&ウインターカップ準優勝のシーズン
高校2年生になると、聖カタリナ女子は一気に結果を出します。
- インターハイ準優勝(2012年)
- ウインターカップ準優勝(2012年)
全国大会で、どちらも決勝まで行って「あと一歩届かず」というシーズンでした。
「桜花学園に負けて、もっと上に行きたいと思うようになった」
ウインターカップでは、超強豪・桜花学園(愛知)と戦うことになります。
インタビューの中で宮崎選手は、
- 桜花学園に負けたことで、「もっと上に行きたい」という思いが強くなった
- 全国トップレベルとの“差”を、肌で感じた
という内容を語っています。
「準優勝=すごい結果」です。
それでも本人にとっては、
- 「あと一歩の悔しさ」
- 「全国の頂点に立つには、まだ足りないものがある」
という感覚の方が強かったのでしょう。
この「悔しさ」が、3年生のラストシーズンにつながっていきます。
3年生:チームを引っ張った最後の一年と「大会ベスト5」
高校3年生のシーズン、聖カタリナ女子は引き続き全国上位をキープします。
- インターハイ3位(2013年)
- ウインターカップ3位(2013年)
そして、宮崎早織本人はウインターカップの「大会ベスト5」に選ばれています。
「大会ベスト5」とは、その大会を代表する5人の選手に選ばれる賞です。
チームの成績だけでなく、個人としても全国トップクラスの評価を受けた、ということになります。
「辞めたい」と思うほどきつかった高校3年生
一見、順風満帆に見える高校3年間ですが、インタビューによると、3年生のときにはかなりきつい時期もあったそうです。
- 指導していた一色先生が、日本代表の仕事に専念する期間があり、チームにいない時間が増えた
- その間、選手だけで練習メニューを決めたり、チームをまとめたりしなければならなかった
- メンタル的に本当にきつくて、「辞めたい」と思ったこともあった
と話しています。
高校生にとって、
- 全国レベルの練習
- 勉強や生活
- さらに「チームをまとめる」という役割
を背負うのは、相当なプレッシャーだったはずです。
宮崎早織を支えた「ユニフォームをもらっていないキャプテン」
そんな苦しい時期を支えてくれたのが、当時のキャプテンの存在でした。
- そのキャプテンは、もともとユニフォームをもらっていない選手
- 試合には出られないのに、練習では誰よりも声を出してチームを引っ張っていた
- みんなのためにいろいろ動いている姿を見て、「こんなことをしていたらダメだ」と思い直した
と、宮崎選手は語っています。
このエピソードから見えてくるのは、
- 「スター選手がチームを支える」のではなく
- 「試合に出られない選手の努力が、エースの心を支える」
という、スポーツのもう一つの姿です。
宮崎選手にとって、このキャプテンの存在は、メンタル面の大きなターニングポイントだったのではないでしょうか。
親元を離れて気づいた「家族の大切さ」
宮崎早織は、埼玉から愛媛の高校に進学し、寮生活を送っています。
親元を離れて生活することについて、インタビューの中でこう振り返っています。
- 高校に入る前は、かなりわがままな性格だった自覚がある
- 親元を離れて暮らしたことで、初めて親のありがたさや大切さに気づいた
- 高校3年間は、バスケだけでなく「人としての成長」にもつながった
と話しています。
また、これから親元を離れて進学する学生に向けて、
「逃げたい」「帰りたい」と思っても、そこで帰ってしまうと、
みんなと離れて、出遅れて、もっとつらくなる。
だからこそ、ぐっとこらえて頑張ってほしい。
というメッセージも残しています。
これは、寮生活や一人暮らしを経験したことがある人なら、よくわかる感覚かもしれません。
小柄なポイントガードを支えた「走る・守る」スタイル
宮崎早織は、身長167cmのポイントガードです。
バスケットボール選手としては決して大柄ではありません。
その中で武器になったのが、
- 圧倒的なスピード
- コートを走り続けるスタミナ
- 相手にプレッシャーをかけ続けるディフェンス
といった部分です。
高校時代の代表活動では、
- 身長の低いメンバーが多いチームだった
- そこで「全員で前からプレスをかけ続けるバスケット」を徹底した
- 「あと1分頑張れ」と言われてから、実際には5分ぐらい交代させてもらえないような、きつい練習だった
というエピソードも語られています。
この「とにかく走る」「最後まで落ちない運動量」が、
のちの ENEOSサンフラワーズや日本代表でのプレーにも、そのままつながっていることがわかります。
高校時代の主な成績まとめ(インターハイ&ウインターカップ)
ここまでの内容を、成績ベースで一度整理しておきます。
聖カタリナ女子高校(現・聖カタリナ学園高校)時代の全国大会成績
公的なプロフィールや、自治体サイトなどで紹介されている主な戦績は次の通りです。
- インターハイ(全国高校総体)
- 2012年:準優勝
- 2013年:3位
- ウインターカップ(全国高校バスケットボール選抜優勝大会)
- 2012年:準優勝
- 2013年:3位(宮崎早織は大会ベスト5)
1年生のときには、U16日本代表として国際大会に出場し、優勝も経験しています。
3年間ずっと全国のトップ争いをしながら、
- チームとしては「優勝にあと一歩届かない悔しさ」を味わい
- 個人としては「大会ベスト5」にも選ばれる評価を得た
という、非常に濃い高校時代でした。
高校時代は、その後のキャリアにどうつながったのか
高校卒業後、宮崎早織はJX-ENEOSサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)に入団します。
その後の主なキャリアとしては、
- Wリーグでの優勝・ベスト5受賞
- 東京2020オリンピックで銀メダル
- FIBA女子アジアカップ優勝・ベスト5
- アジア大会でのメダル獲得
など、世界レベルの実績を次々に積み上げていきます。
こうした実績の“土台”として、
- 小柄でも、走り続けることで戦うバスケット
- 全国トップレベルの中で、常に「あと一歩」の悔しさと向き合い続けた経験
- コーチ不在の期間に、選手だけでチームをまとめた経験
- 試合に出られない仲間の姿に励まされ、「辞めたい」を乗り越えた経験
といった、高校時代のエピソードが強く影響していることがわかります。
まとめ
最後に、この記事のポイントを簡単にまとめます。
- 聖カタリナ女子高校時代の成績
- 2年生:インターハイ&ウインターカップ準優勝
- 3年生:インターハイ&ウインターカップ3位
- 3年時のウインターカップで「大会ベスト5」に選出
- なぜ聖カタリナ女子を選んだのか
- 「一色先生に教わりたい」という思いで、埼玉から愛媛の強豪校へ進学
- メンタル面の大きな壁と、それを支えた仲間
- コーチ不在の期間、選手だけでチームを回さなければならず「辞めたい」と感じた時期もあった
- 試合に出られないキャプテンが、誰よりも声を出してチームを支える姿を見て、再び前を向けるようになった
- 親元を離れて気づいたこと
- 寮生活を通じて、親のありがたさや人としての成長を実感
- 小柄なガードを支えたスタイル
- 身長のハンデを、スピード・スタミナ・前からのディフェンスでカバー
- 高校・代表で徹底的に鍛えられた「走るバスケット」が、のちの日本代表のスタイルにもつながっている
テレビや配信で見る宮崎早織は、どうしても「華やかな今」が目に入りがちです。
しかし、その裏側には、
- 何度も感じた「悔しさ」
- 逃げたくなるような「きつさ」
- それでも支えてくれた「仲間」や「家族」
がありました。
もしこれからウインターカップやインターハイの映像を見る機会があれば、
「聖カタリナ女子時代の宮崎早織」を思い浮かべながら、
今のプレーを眺めてみると、また違った面白さが見えてくるはずです。


