「石井講祐って、どこの中学出身なんだろう?」
「サッカー少年だったのに、どうしてバスケを始めたの?」
この記事では、
- 石井講祐選手はどこの中学校出身なのか
- そもそもどういう流れでバスケを始めたのか
- 中学時代はどんな選手だったのか
を中心にまとめていきます。
石井講祐ってどんな選手?簡単プロフィール
まずはざっくりプロフィールから整理しておきましょう。
- 名前:石井 講祐(いしい こうすけ)
- 生年月日:1987年9月29日
- 出身地:千葉県船橋市
- 身長:182cm
- 体重:85kg
- ポジション:シューティングガード(SG)
- 所属:B1リーグ・シーホース三河(背番号27)
プロの世界では、
- 千葉ジェッツ
- サンロッカーズ渋谷
- そしてシーホース三河
と、Bリーグの中でも有名なクラブでプレーしてきたシューターです。
3ポイントシュートが得意で、Bリーグのシーズンで3P成功率のタイトルを取ったこともある、まさに「職人タイプ」の選手です。
石井講祐はどこの中学出身?
本題のひとつ目、「どこの中学出身?」からいきましょう。
公式プロフィールや過去の所属チームの紹介文を確認すると、経歴にはこのように書かれています。
船橋市立船橋中学校 → 千葉県立八千代高校 → 東海大学
さらに、地元・船橋の地域情報サイトの記事でも、
- 夏見台出身
- 夏見台小学校、船橋中学校の卒業生
と紹介されています。
このことから、
石井講祐選手の出身中学は「船橋市立船橋中学校」
というのが公式な情報になります。
「市船」との混同に注意
バスケやサッカーが好きな人だと、
「市立船橋って、あの有名な“市船(いちふな)”?」
と、高校とごちゃごちゃになりがちです。
- 「市立船橋高校」
- 「市立船橋中学校」
は別の学校です。
石井選手は、
- 中学:船橋市立船橋中学校
- 高校:千葉県立八千代高校
という進路なので、「市船サッカー部出身のバスケ選手」などではありません。ここは間違えやすいポイントなので、バスケブログや選手紹介を書くときは注意したいところですね。
もともとは「サッカー少年」だった
実は石井選手、最初からバスケットボール一筋だったわけではありません。
インタビューによると、
- 小学3年生までは地域のサッカークラブで本気でサッカーに取り組んでいた
と話しています。
さらに、別の記事でも、
- 幼いころにサッカーや水泳をしていた
- その後、小学4年生のときにバスケットボールを始めた
と紹介されています。
つまり、
最初のスポーツはサッカー
→ 小学4年生からバスケにスイッチ
という流れだったわけです。
「プロのバスケ選手=ずっとバスケだけやってきた人」というイメージを持ちがちですが、石井選手の場合はサッカー少年からのスタートだった、というのはおもしろいポイントですね。
バスケを始めたきっかけは「友達のひと言」
では、どうしてサッカーからバスケに変わったのでしょうか?
インタビュー記事を読むと、その理由はとてもシンプルです。
友達がいなくなってしまったサッカークラブ
石井選手は、小学4年生になるタイミングで「学校の部活に入るかどうか」を考えていました。
そのときの状況
- サッカーは、地域のクラブチームで続ける予定だった
- ところが、一緒にサッカーをしていた友達が
- 転校したり
- ユースチームに入ったりして
同じチームで続ける仲間が急に少なくなってしまった
「サッカー部に入ろう」と思っていたけれど、
「一緒に入る友達がほとんどいない…どうしよう」
という状態になってしまったそうです。
そこでかかった「一言」
そんなときに声をかけてくれたのが、サッカーとは関係のない友達でした。
「バスケ部、一緒に行ってみない?」
深い理由があったわけではなく、
- 仲のよい友達に誘われた
- 「じゃあ行ってみようかな」と思った
という、とても素朴なきっかけだったと本人は話しています。
ミニバスとの出会い
また、別の記事では、
- 小学4年のときに、地元の「夏見台MBC」というミニバスチームに入った
というエピソードも出てきます。
サッカーからバスケに切り替わったタイミングで、
- 学校の部活
- 地域のミニバスチーム
の両方でバスケットボールに触れるようになり、そこから一気にのめり込んでいったようです。
小学生時代:最初から「エリート」ではなかった
バスケを始めたからといって、最初からずっと順風満帆だったわけではありません。
インタビューによると、小学生のころはこんな感じでした。
- バスケを始めたばかりのころは、当然ながら思うようにプレーできない
- 練習を重ねていくうちに、少しずつ勝てるようになっていった
- 小学6年生のころには、市の大会で上位に入れるチームになった
でも、その中でも「どうしても勝てない相手チーム」がいたそうです。
みんなで
「どうしたら勝てるだろう?」
「どこを工夫したらいいかな?」
と話し合い、工夫して練習をした結果、最後の大会でそのチームに勝つことができた──この経験が、とても印象に残っていると語っています。
このときの成功体験は、
- 「工夫して努力すれば、越えられない壁はない」
- 「自分にもできるんだ」という感覚
を教えてくれた、と本人は振り返っています。
中学時代:県ベスト8、それでも“無名の存在”
では、中学生になった石井講祐は、どんな選手だったのでしょうか。
先ほどのプロフィールにあったように、出身中学は
船橋市立船橋中学校
です。
月刊バスケットボールの特集記事では、中学時代についてこう触れられています。
- 中学での最高成績は県ベスト8
- しかし、当時から特別有名なスター選手というわけではなかった
県ベスト8というと、十分に強いレベルです。
でも、全国クラスの選手に比べると「名前が知られている存在」ではなかった、ということですね。
それでも石井選手は、
「高校では絶対に全国に行きたい」
という思いを強く持つようになります。
高校選びにも中学時代の経験が影響
中学までの経験をふまえて、高校は
- 全国大会を目指せる強いチームであること
- 勉強面の環境も整っていること
この2つを満たす学校を考え、その結果選んだのが、
千葉県立八千代高校
でした。
このあたりからも、
- バスケの実力だけでなく、
- 将来を見すえた進路選び、
- 文武両道を大事にする価値観
が見えてきます。
「きっかけ」がその後の人生を変えた
ここまでの流れをあらためて整理すると、
- サッカー少年としてスタート
- 小学4年のとき、友達に誘われてミニバスを体験
- バスケにハマり、練習を重ねていく
- 小学生〜中学生時代に、勝てない相手に挑戦する経験を通して
- 「努力すれば乗り越えられる」という感覚をつかむ
- 中学では県ベスト8止まり、全国的なスターではない
- それでも「全国に行きたい」という強い思いで八千代高校へ進学
- 高校・大学・実業団を経て、プロの世界へ
というストーリーになります。
ここで大事なのは、
すべての始まりは、「友達の一言」だった
ということです。
- 「バスケ部、一緒に行ってみない?」
- 「ミニバスの見学、来てみない?」
この小さな声かけがなければ、
もしかしたら今、私たちは「3Pシューター石井講祐」を見ることはなかったかもしれません。
キャリアの“最初の分岐点”は意外と小さい
この話を読むと、また違った見え方もあります。
きっかけは「環境」と「人」
石井選手のストーリーを分解してみると、
- サッカーを本気でやる環境があった
- 友達が転校したりユースに進んだりして、「一緒に続ける仲間」がいなくなった
- 別の友達が「バスケ、一緒にやってみない?」と声をかけてくれた
- 地元にミニバスチーム(夏見台MBC)があった
という、「環境」と「人」の組み合わせで、人生の方向がスッと変わっていったことが分かります。
大人になってからのキャリアでも、
- 何気ない飲み会での一言
- たまたま紹介された仕事
- ふと目にとまった募集記事
こういったものが、あとから振り返ると「大きな分岐点」になることも多いですよね。
「ちゃんと決めてから動く」より、「動きながら決める」
石井選手のように、
- まずは軽く一歩踏み出す
- 続ける中で、自分の軸や目標が固まっていく
というスタイルは、スポーツに限らず、仕事や副業にもそのまま当てはまります。
「やる理由がはっきりしてから」
ではなく、
「ちょっと気になったからやってみる」
このくらいの温度感で始めてみてもいいんだ、と思わせてくれる実例だと感じます。
まとめ
最後に、この記事のポイントを整理しておきます。
一言でまとめるなら、
石井講祐のバスケ人生は、「友達のひと言」から始まり、「中学時代の地道な努力」が土台になっている
ということだと思います。
これから石井選手の試合を見るときは、
- 「この3Pを決めている人は、もともとサッカー少年だったんだな」
- 「あの友達の一言がなかったら、このシュートは生まれてないかもな」
そんな背景も頭の片すみに置きながら見ると、
また一段と試合が楽しくなるかもしれません。
そして、この記事を読んでいるあなた自身の
- ちょっとした興味
- 誰かからのささいな誘い
も、もしかしたら、これからの人生を大きく変える「きっかけ」になるかもしれませんね。

