日本赤軍メンバー
岡本公三、死去のニュースを整理
結論から言うと、日本赤軍メンバーだった岡本公三容疑者(78)は、2026年7月23日、亡命先のレバノンの首都ベイルート南郊で死亡しました。
発表したのは、彼を長年保護してきた過激派組織PFLP(パレスチナ解放人民戦線)です。
死因は明らかにされていません。
PFLP幹部は「高齢で体調を崩していた」とだけ語っています。
この記事では、岡本公三とはどんな人物だったのか、事件からレバノンでの晩年、そして今回の死去までの流れをまとめます。
この記事でわかること
岡本公三が何をした人物か/事件後の人生の流れ/死去の詳細/日本との関係
岡本公三は1947年12月7日、熊本県葦北郡芦北町生まれ。
小学校校長の家庭に育ち、熊本マリスト学園高等学校を卒業しています。
鹿児島大学農学部に進学したあと、大学に来た映画監督の若松孝二・足立正生によるパレスチナ関連の映画に共鳴し、学生運動に参加するようになりました。
1972年3月には過激派「共産主義者同盟赤軍派」に加わり、その2カ月後、世界を揺るがす事件の実行犯の一人になります。
1972年5月、イスラエルのロッド空港(現ベン・グリオン空港)で、自動小銃を乱射する事件が起きました。
約100人が死傷する大惨事で、実行犯は3人。
そのうち2人はその場で死亡し、生き残ったのは岡本公三ただ一人でした。
この事件は、パレスチナ解放を掲げるPFLPと日本赤軍が連携して起こしたテロとして、当時世界中に大きな衝撃を与えました。
事件直後、岡本はイスラエル当局に拘束され、終身刑を言い渡されました。
ところが1985年、パレスチナ側との捕虜交換によって釈放されます。
その後の拠点となったのがレバノンでした。
レバノンのベッカー高原にあった日本赤軍のキャンプで、しばらく生活していたとされています。
1997年、岡本を含む日本赤軍メンバー5人が、旅券偽造容疑などでレバノン当局に逮捕されました。
禁錮3年の判決を受け、2000年3月に出所しています。
このとき、他の4人は日本に強制送還されました。
ですが岡本だけは違いました。
親パレスチナ団体による数週間のデモが起きたこともあり、イスラエルと対立するレバノン政府が、彼の政治亡命を認めたのです。
つまり岡本公三は、日本には送還されず、そのままレバノンで暮らし続けることになりました。
補足
日本国内では、この事件をめぐり殺人罪などで国際手配されたままの状態が続いていました。日本の警察に身柄が引き渡されることは、最後までありませんでした。
亡命が認められて以降、岡本はPFLPの保護のもと、ベイルートで生活していたとされています。
近年は体が弱り、ほとんど表に出ない、半ば隠遁生活のような状態だったと報じられています。
それでも、亡くなった日本赤軍メンバーの追悼式には、時折姿を見せていたそうです。
2022年5月には、事件から50年の節目の式典に、珍しく公の場へ姿を現しています。
PFLPの武装集団に付き添われ、ベイルートのシャティーラ・パレスチナ難民キャンプそばの墓地を訪れる様子が伝えられました。
日本では手配犯である一方、レバノンの一部パレスチナ難民キャンプでは、過去の世代の生き証人として、一定の敬意を払われる存在だったともいわれています。
2026年7月23日、岡本公三はベイルート南郊の潜伏先で死亡しました。
78歳でした。
PFLPが同日、死亡を発表しています。
死因については、現時点で公表されていません。
PFLP幹部は取材に対し「高齢で体調を崩していた」とコメントしており、老衰や持病による自然死の可能性がうかがえますが、これはあくまで関係者の発言であり、断定できる情報ではありません。
埋葬は、ベイルート周辺で行われる見通しと伝えられています。
PFLPは声明で、パレスチナの大義のために多くを犠牲にした人物として、岡本を悼む姿勢を示しました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1947年 | 熊本県で誕生 |
| 1972年3月 | 共産主義者同盟赤軍派に加入 |
| 1972年5月 | テルアビブ近郊ロッド空港で乱射事件、実行犯唯一の生存者に |
| 1972年 | イスラエルで終身刑の判決 |
| 1985年 | 捕虜交換で釈放、レバノンへ |
| 1997年 | 旅券偽造容疑で逮捕、禁錮3年 |
| 2000年 | 出所、レバノンが政治亡命を承認 |
| 2022年5月 | 事件50周年式典に公の場で姿を見せる |
| 2026年7月23日 | ベイルート南郊で死去、78歳 |
- 事件から2026年の死去まで、岡本公三が日本の警察に引き渡されることは一度もなかった
- 日本には帰国せず、事件から半世紀以上をレバノンで過ごした
- 死因は公表されておらず、老衰などの可能性は関係者の発言にとどまる
- 実兄は「よど号」ハイジャック事件のグループにいた岡本武
いいえ、確認されている限り、事件後に日本へ帰国した記録はありません。国際手配されたまま、レバノンで生涯を終えています。
公式には発表されていません。PFLP幹部が「高齢で体調を崩していた」と語っているのみで、詳しい病名や状況はわかっていません。
2000年に出所した際、イスラエルと対立するレバノン政府が、彼の政治亡命を認めたためです。他の日本赤軍メンバーは日本に送還されましたが、岡本だけはレバノンにとどまることになりました。
本人が死去した以上、刑事手続き上の進展は考えにくい状況です。ただ、日本側の正式なコメントなど、続報が出てくる可能性はあります。
まとめ
岡本公三は、1972年のテルアビブ空港乱射事件の実行犯として国際手配され続けた人物です。
イスラエルでの終身刑、1985年の釈放、そしてレバノンへの亡命という道をたどり、一度も日本に戻ることなく、2026年7月23日、78歳でベイルート南郊で亡くなりました。
死因は明らかにされておらず、わかっていないことは正直にわかっていないままお伝えしましたが、半世紀以上にわたって続いた事件の当事者の生涯が、ここで一つの区切りを迎えたことは確かです。


