「飛鳥・藤原の宮都」の何がすごい?子供にも分かる登録理由

「飛鳥・藤原の宮都」の何がすごい?子供にも分かる登録理由 国内

「飛鳥・藤原の宮都」の何がすごい?子供にも分かる登録理由

結論から言うと、飛鳥・藤原の宮都がすごいのは「日本という国がどうやって生まれたか」を、現地に残る遺跡だけでほぼ全部たどれるからです。

2026年7月26日、韓国・釜山で開かれたユネスコの世界遺産委員会が、奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」を世界文化遺産に登録することを決めました。

これで日本の世界遺産は27件になりました。

「古墳とかお寺の跡でしょ?」くらいの印象の人も多いと思いますが、実はもっと面白い話です。

この記事では、専門用語をなるべく使わずに、何がどうすごいのかを順番に説明していきます。

飛鳥・藤原の宮都って、そもそも何?

奈良県の明日香村・橿原市・桜井市あたりに広がる、飛鳥時代の遺跡群です。

時代でいうと、6世紀末から8世紀のはじめごろです。

まだ「奈良の大仏」も「京都」もない、もっと前の時代の話です。

この時代、天皇の住まいである「宮」を代替わりのたびに移すのが普通でした。

それが少しずつ一か所に定着し、やがて694年、日本で初めての本格的な都「藤原京」が完成します。

その「引っ越しを重ねながら国のかたちが整っていく過程」が、この遺跡群の主役です。

いつ、どこで世界遺産に決まったの?

登録が決まったのは2026年7月26日、韓国・釜山で開かれた第48回世界遺産委員会です。

ユネスコの諮問機関イコモスが同年6月に「登録が適当」と勧告していて、その通りに正式決定した形です。

ちなみに、この遺跡群がユネスコの「暫定リスト」に載ったのは2007年です。

そこから約19年かけて、ようやく正式登録にたどり着いたことになります。

何がそんなにすごいのか

世界には「昔ここに国ができました」という遺跡がたくさんあります。

でも、「バラバラだった地域が、一つの中央集権国家にまとまっていく過程」を、途切れずに追える場所はほとんどありません。

飛鳥・藤原の宮都は、宮殿の跡・お寺の跡・お墓(古墳)の3種類の遺跡が、時代の流れに沿って並んで残っています。

つまり「政治」「宗教」「権力者の存在」という3つの視点から、国のはじまりを同時に見られるということです。

これが評価された一番のポイントだと考えられます。

19の構成資産、一覧で見てみる

世界遺産としては、1つの巨大な遺跡ではなく19か所の遺跡セットとして登録されています。

大きく「飛鳥の宮都」グループと「藤原の宮都」グループに分けられます。

グループ主な遺跡
飛鳥の宮都飛鳥宮跡、飛鳥京跡苑池、飛鳥水落遺跡、酒船石遺跡、飛鳥寺跡、橘寺跡、川原寺跡、檜隈寺跡
飛鳥のお墓石舞台古墳、牽牛子塚古墳、天武・持統天皇陵古墳、中尾山古墳、菖蒲池古墳
藤原の宮都藤原宮跡、本薬師寺跡、大官大寺跡、山田寺跡
壁画古墳キトラ古墳、高松塚古墳

数が多くて覚えきれなくても大丈夫です。

この中でも特に知っておくと面白い場所を、次から絞って紹介します。

主役その1:乙巳の変の舞台「飛鳥宮跡」

飛鳥宮跡は、明日香村にある宮殿の跡です。

ここは「乙巳の変(いっしのへん)」の舞台になった場所として知られています。

乙巳の変とは、当時強い力を持っていた蘇我氏を倒したクーデターのことです。

この事件をきっかけに、後の「大化の改新」と呼ばれる政治改革が始まります。

教科書の年表に出てくる大きな出来事の、まさに現場が今も残っているわけです。

主役その2:日本初の本格的な都「藤原宮跡」

藤原宮跡は、橿原市にあった「藤原京」の中心部分です。

藤原京は694年に完成した、日本で初めての本格的な計画都市とされています。

道路を碁盤の目のように整備した、それまでにない規模の都でした。

710年に平城京(今の奈良市)へ都が移るまで、政治と文化の中心地だった場所です。

「行き当たりばったりの引っ越し」から「計画的に作られた都」へ。

この変化そのものが、国が成熟していく様子を表しています。

キトラ古墳と高松塚古墳の壁画のすごさ

この2つの古墳は、19資産の中でも特に有名です。

キトラ古墳の石室には、東西南北を守るとされる4匹の霊獣(青龍・朱雀・白虎・玄武)と、天文図が描かれています。

この天文図は、現存するものとしては東アジアでも最古級とされる精密な星の図です。

高松塚古墳は1972年に発見され、色鮮やかな女性群像「飛鳥美人」の壁画で一気に有名になりました。

どちらも、当時の日本が中国大陸や朝鮮半島の文化から強い影響を受けていたことを示す証拠として重視されています。

石舞台古墳、結局だれの墓なのか

石舞台古墳は、明日香村を代表する巨石の古墳です。

もともと方墳だった上部の土が失われ、中の石室が丸見えになっているのが特徴です。

使われている石は30個ほど、推定の総重量は約2300トンとされます。

「誰の墓?」とよく聞かれますが、624年に亡くなった有力者・蘇我馬子の墓という説が有力です。

ただし、これはあくまで有力な説であり、学術的に確定しているわけではありません。

正直なところ、はっきりとは分かっていない、というのが誠実な答えです。

世界(イコモス)は何を評価したのか

世界遺産委員会は、この遺跡群について次のようなポイントを評価しました。

  • 中国大陸や朝鮮半島との交流、そして仏教の伝来を示していること
  • 後の時代の日本文化に大きな影響を与えたこと
  • 東アジアにおける古代都市の形成過程を示す、重要な物的証拠であること

難しく聞こえますが、要は「日本という国が、周りの国と交流しながらどう形になっていったか」を、この場所からたどれるということです。

実は登録までの道のりが長かった

ここまで読むと「すんなり登録されたのかな」と思うかもしれません。

ですが、実際にはかなり時間がかかっています。

2007年に暫定リストへ入ってから、正式な推薦候補になれなかった年もありました。

民有地の権利関係の調整や、遺跡の管理体制づくりなど、地道な準備を重ねてきた結果として今回の登録があります。

華やかな古墳の壁画の裏側には、こうした長い実務の積み重ねがあった、ということも知っておくと面白いです。

よくある質問

Q. 飛鳥・藤原の宮都は、いつの時代の遺跡ですか?

A. 6世紀末から8世紀はじめごろ、飛鳥時代の遺跡です。

Q. 全部で何か所の遺跡がありますか?

A. 19の構成資産があり、宮殿跡・寺院跡・古墳の3種類に分けられます。

Q. なぜ「国のはじまり」がわかるとされているのですか?

A. 宮殿・寺院・古墳という異なる種類の遺跡が、時代の流れに沿ってまとまって残っているためです。

Q. 石舞台古墳は誰の墓ですか?

A. 蘇我馬子の墓という説が有力ですが、確定はしていません。

まとめ

飛鳥・藤原の宮都は、宮殿・寺院・古墳という3種類の遺跡がそろって残る、国のはじまりを追える場所です。

2026年7月26日、韓国・釜山での世界遺産委員会で正式に登録が決まりました。

乙巳の変の舞台となった飛鳥宮跡、日本初の本格的な都だった藤原宮跡、そして極彩色の壁画で知られるキトラ古墳・高松塚古墳。

それぞれが単独ですごいだけでなく、つなげて見ることで「日本という国ができるまでの物語」が見えてくるのが、この世界遺産の一番の魅力です。

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